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人事課題を劇的に解決する「サーベイ」とは何か?【伊達洋駆×倉重公太朗】最終回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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企業の組織のありかたや働き方が変わる中で、人事が学ぶべきことも変化してきています。人事もどんどん新しい知識を身につけていかなければなりませんが、海外の調査によると、学術論文を定期的に読む人事マネジャーは1%を切るそうです。その理由として、論文が研究者に向けて書かれているため、理解・活用しにくいという点があげられます。しかし、研究知見は、ビジネスパーソンの実践知にはない観点をもたらしてくれます。研究知見と実務をつなぐ伊達さんに、今後人事が追求していくべきことを聞きました。

<ポイント>

・キャリアの展望が描けない人が多い理由

・研究知見をどうやって身に付ければいいのか?

・人事に求められるものも変わっていく

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■なぜキャリアの展望を持てないのか

伊達:組織サーベイを実施する中で見えてきた日本企業に共通する課題の2つ目、キャリア展望です。キャリア展望が成果指標に影響を与えるケースは多く見られます。キャリア展望を持てないと、様々なネガティブな状態に陥ります。

倉重:それはそうです。この会社の未来にいる自分が想像できないとなれば、つらいですよね。

伊達:あまりにキャリア展望の重要性が検証されるため、「なぜキャリア展望を持てない人がいるのか」を、これまでの組織サーベイの結果をもとに考え、自分なりの仮説を立てました。キャリアサクセス、すなわち、キャリアがうまくいっている状態について、レパートリーが少ないことが問題だと感じています。

倉重:どういうことですか?

伊達:会社の中で上にあがっていくことを良しとするようなキャリアサクセスが、意識的にも無意識的にも通底されすぎています。そうなると、「上にあがる見込みがない」と思った途端、「キャリア展望が持てません」という形になってしまいます。

倉重:部長になりたくない者はどうしたらいいのかという話ですね。

伊達:そうです。なれる見込みがある人、なりたい人であればキャリア展望を持てますが、そうではない人や、それを目指していない人にとっては、キャリア展望が描けないのです。しかし、冷静に考えてみると、これは少しおかしな話です。キャリアサクセスは、別に上にあがることだけではないはずです。

倉重:確かに。自分自身がキャリアを選択してそれでいいと思っていればいいわけですから。

伊達:本当はもっといろいろな方向性があります。例えば、決まった仕事しかしなくても、定時で帰れてプライベートが充実する方向性もあるでしょう。逆に思い切り時間を使って、どんどん難しい仕事をしていく方向性もあるかもしません。会社を立ち上げることも一つの方向性になります。社外での越境学習に力を入れることも一つです。金を稼ぐこともキャリアサクセスですよね。そのように本来は様々なキャリアサクセスが存在するはずです。そのことが十分に浸透していないのが、キャリア展望が描きにくい原因になっているのではないかと考えています。

倉重:そう感じます。やはり昭和の時代は人生ゲームのように、皆が同じようにルートを上っていきました。マイホームを買い、定年を上がり、退職金をもらって余生を過ごそうという感じだったので、「ポケモンGO型」といわれますね。それ以外の選択肢を、個人も見えていないし、会社も示せていないので、どちらも困ってしまっている状態なのかなと思います。

伊達:「さまざまなキャリアサクセスをイメージしてほしい」と言って、複数のキャリアパスを提示する企業は多いのですが、よく見るとどのキャリアパスも、組織の中で上にあがっていっているのです。

倉重:結局上がることを前提に考えているわけですね。

伊達:そうです。社会的にも組織的にも、もっとサクセスのレパートリーを増やしていかないといけません。そうでないと、上にあがらないキャリアを選択した人や、選択せざるを得なかった人が「降りた」と認識され、ネガティブな捉えられ方をしてしまうわけです。

倉重:あの人はもう競争から降りた人ですと。

伊達:それは非常に不健康なことです。皆が皆、上がれるわけでもないし、上がることを望んでいるわけでもありません。そこは、変えていったほうがいいと思う部分です。

倉重:40代でそうなってしまったら、定年まで20年はあります。ましてや高年齢者雇用安定法改正で70歳まで就業確保といわれていますから。30年間もモチベーションを低く働くのですかという話ですね。

伊達:「自分には未来がない」と思いながら、30年間働くのは本人にとっても会社にとってもお互いつらいです。

倉重:その問題に対する解は、少しは見えていますか?

伊達:いや、これは難しい問題です。一組織だけの課題ではないと思います。

倉重:これはもう日本型雇用全体の問題のような気がします。

伊達:とても難しい問いで、すぐには解決できないのですが、社会的にも取り組んでいくべき課題だと思います。

倉重:本質的なご指摘です。やはり働き方改革の中でいわれる多様な働き方は、一人ひとりが働き方を選択することですし、ライフステージに応じて変わってもいいはずです。しかし、それは転職も含むので1社だけではなかなか達成できず、結局雇用慣行全体の話になってきます。企業としても、今後どうサクセスしていくかが見えにくい世の中なので、なおさら示しにくいという世の中の状況も関係していると思います。

伊達:キャリアサクセスにおいては、正解を一つに定められないので、企業側としては様々なレパートリーを示していく必要があります。さらに、どのキャリアサクセスが上で、どれが下などはない、ということを伝え続ける。このことを粘り強くやるのが大事です

倉重:以前の対談に出ていただいた、神戸大学の江夏先生との対談でも、やはりコロナ禍の就労調査で、「企業が働く人にどういうことをするべきか」という話がありました。今後、企業の方向性もコロナによって変わっていきます。それに対するメッセージや理念を企業から発してほしいという話を聞きました。

伊達:そうですね。企業の価値観を伝え続ける必要がありますね。

■人事経験が浅い人はこれからどうすればいいのか

倉重:最後に、これからの若い人事の方にメッセージをお願いします。

伊達:若い人事、20代ほどでしょうか。

倉重:年に限らず、経験です。

伊達:まず、基本的に経験は大事です。経験を経て人は学んでいきますし、それは人事の領域でもいえます。ただ、経験だけではなかなか難しい面もあります。経験だけではない、プラスアルファが必要になってくるのです。

人事の世界でここ数年ほどいわれるようになってきているコンセプトの一つに、「科学的人事」というものがあります。科学的人事は、若い人事の方にとって大きな武器になるはずです。経験だけだと年数が物を言いますが、科学的人事という要素を足せば、状況は少し変わってきます。

倉重:科学的な人事であれば、経験のなさを補えるわけですね。

伊達:そうです。ただ、科学的人事というコンセプトの下に語られるのは、データドリブンの話が多くて。

倉重:非常にテクノロジーな文脈で語られることが多いですね。

伊達:そうです。データを用いていきましょうという話です。データを用いることについては、簡単な集計をするだけではなく、統計分析をするところまで踏み込むことをおすすめします。「統計で正解が出てくる」と思う方もいるかもしれませんが、正解は出てきません。誤っている確率を下げることができます。

これは職業倫理的に大事なことです。特に人事は、従業員の職業生活に関わる意思決定を下すことがあります。そうした意思決定において誤りの確率を少しでも下げられるのは有益です。他方で、科学的人事はデータドリブンの観点だけではありません。

倉重:いいですね。

伊達:「科学的」というのは、データだけにとどまりません。研究知見を用いることもまた科学的です。ところが、こちらの観点はほとんど言及されることがない。研究知見を用いて意思決定をしていってほしいところです。若い人事に対するメッセージとしては、研究知見に触れる機会や学ぶ機会をもっと増やしていくとよい、いうことです。とはいえ、論文を読むことに慣れていない人がほとんどだと思います。よく質問を受けるのは、「研究知見をどうやって身に付ければいいのか」ということです。有効な方法の一つは、教科書を読むことです。

倉重:MBAへ行くのではないのですね。

伊達:大学の時にそれぞれの分野の教科書がありましたね。例えば社会心理学であれば社会心理学の教科書がありますし、組織行動論であれば組織行動論の教科書があります。そういう教科書を読んでみることから始めていきましょう。それだけでもいろいろな知識を得られます。

倉重:きちんと読むことは大変なことですから。

伊達:あと、手前味噌で恐縮ですが、私自身も研究知見を伝える本をこれまでも出しています。『オンライン採用』や『人と組織のマネジメントバイアス』という本をこれまでに出しました。この8月には、『人材マネジメント用語図鑑』という新刊が出ました。

倉重:すごいです。

伊達:『人材マネジメント用語図鑑』はレジュメとイラストの形式で研究知見について学ぶことができます。

倉重:それはいいですね。概念は何となく分かるというような。

伊達:例えば、エンゲージメントとはどういうものなのか、どのような効果があるのか、それを促す要因は何か、などが書かれています。

倉重:それは面白いですね。

伊達:そういうことを整理した本なので、見ていただければ、結構力になると思います。

倉重:人事が学ぶべきものも変わりつつあるということですね。ありがとうございます。

伊達さんは研究者の中でも特異なポジションだと思います。今、「研究者が稼げない」「研究の道に行ったけれどもポストがない」、あるいは、大学もお金を減らされているなど、いろいろな問題があると思います。伊達さんは実務と研究を結び付けてマネタイズしています。そういう視点から研究者の方へ、ぜひメッセージをお願いしたいです。

伊達:最近は年を取ってきて少しずつ研究業界でも居心地が良くなりつつありますが、私が大事だと思っていることは、大学院生の時からある意味で一貫しています。大学院時代から、研究と実務の距離が遠いという問題意識をずっと持っていました。今後も、できる限り、その距離を近づけるべく、研究知見を用いたサービスを提供していきたいと思います。

一方で、こうした取り組みを何と呼べばいいのか、というのを考え続けており、この1・2年で「臨床」というコンセプトが見えてきています。例えば、心理学の領域には臨床心理学があります。専門的な知識に基づいて改善を目指して介入することを臨床と呼んでいますが、その経営学バージョン、すなわち、「臨床経営学」を自分たちは実践していた、と解釈しています。

 この点が若い研究者へのメッセージにもつながってきます。市場の中で臨床経営学をやってみませんか、というメッセージです。大学から一歩踏み出して経営臨床をしてみると、実践的に意義がありますし、理論的にも発見があり、楽しいですね。

倉重:伊達さんの肩に乗ってさらに進む人ということですね。

伊達:はい。臨床経営学を志す人が増えてくると、私たちだけでは見えてこなかった景色が見えてきそうで、わくわくします。確かに、大学は研究を行う環境ではありますが、本来、数ある環境の中の一つです。

倉重:大学でなければ研究できないわけではありません。

伊達:市場の中でも研究はできるということを、私は示したかったのですね。そして、有り難いことに、それが実現できた。今度は、臨床経営学というコンセプトで、私たち以外の人にも、経営臨床に取り組む人が増えてくるといいなと思います。私のように法人を設立する人はまれだと思いますが、もしいれば、できる限りのサポートをしたいですね。

とはいえ、いきなり起業するのは難しいかもしれません。その場合は、研究知見を用いている会社を探して、そこで経験を積むのも一策です。臨床家を育てるためには臨床経験が必要なわけですから、臨床経験を提供してくれる会社にアプローチしてみてください。

倉重:最後の質問です。伊達さんの夢を教えてください。

伊達:まず、産業界に対しては、研究知見や統計分析の知識を提供していきたいです。そのことで、特に、人事の方々のリテラシーを高めるお手伝いができれば嬉しいです。人事の方々のリテラシーが高まれば、HR事業者の方々もより良いサービスを出していくことにつながります。もちろん、これは非常に時間がかかることだと思います。粘り強く進めていきたいです。

 学術界に対しては、臨床経営学を形にして、次の世代につないでいきたいですね。今までの十数年間は自分たちの会社を成立させ、発展させることに精一杯でした。幸運にも、ある程度、そのことは実現できてきたので、これからは、学術界への貢献もより積極的に行っていきたいと考えています。

倉重:まさに研究と実務の架け橋ですね。伊達さんのというよりは、分野としてそういう領域が出来上がると。これが日本のためにも、HR業界のためにもなるということですね。

伊達:そこがもうライフワークです。

倉重:いいですね。本当に後に続く人がどんどん出てきてくれることを祈ります。それを各企業に生かしていただいて、最終的には日本型雇用が変わっていくのが本当に理想の循環かなと思います。

 質問に最後にお答えいただいて終わりたいと思います。では、ツルさんに上がってきていただきます。聞こえますか。今日の観覧者からご質問をいただきたいと思います。

ツル:観覧者は私だけですね。今日はありがとうございました。職業は主に企業の人事制度を作るコンサルタントをしています。まさに今日、耳と心が痛いなと思いながらお話を聞いていました。お客さんの要望に対して、われわれの経験と勘に基づいてしてしまっている部分があり、「本当の要因はそうではなかった」と思うところもたくさんありました。

 私も仕事をしている中で、サーベイはまだ日本の企業さんには距離が遠かったり、なじみにくかったりするという話をされていたと思います。私も今日お話を聞いて、サーベイは改めてすごく重要だと思いましたが、もっと普及させていくために「こんなことができるのではないか」というお考えはありますか。

伊達:そうですね、私たちは普段、いろいろなご相談を受けています。しかし、ご相談をいただいているのに、提案をしたら失注するケースがあります。

倉重:それはなぜでしょうか?

伊達:これまでの傾向を見る限り、研究知見や統計分析について関心や知識がない場合、落ちやすいですね。社内で説得することが難しいからでしょうね。先ほどの例をもう一度出すと、スーツについて関心や知識があるとオーダーメードの魅力も理解しやすいですよね。その意味で、知識の底上げを図っていくことが、一番大事なことでしょう。

倉重:人事・経営者も分析リテラシーを持つ必要があるということですね。ありがとうございました。

(おわり)

対談協力:伊達 洋駆(だて ようく)

株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役

神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『オンライン採用 新時代と自社にフィットした人材の求め方』(日本能率協会マネジメントセンター)など。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒業後司法試験合格、オリック東京法律事務所、安西法律事務所を経てKKM法律事務所 第一東京弁護士会労働法制委員会外国法部会副部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)理事 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 労働審判等労働紛争案件対応、団体交渉、労災対応を得意分野とし、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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