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一大飲食チェーンを作ったグローバルダイニングの長谷川耕造さんが初めて作った店は「北欧館」という喫茶店でした。15坪の店にコの字型カウンターをつくり、注文に応じて電動ミルで豆を挽き、サイホンでいれるコーヒーが人気だったそうです。最高で1日の来客が480人、月商が370万と当時の物価と喫茶店の規模を考えるとかなりの実績を残しました。ところが繁盛の裏で、大変な痛手をこうむる出来事があったのです。

<ポイント>

・喫茶店経営で、2年間で1000万円貯める

・毎晩バスタオルを抱えて号泣する日々

・憎しみを選ぶと、自分の人生を汚してしまう

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■初めての店、「北欧館」

倉重:日本に帰ってきて、奥様と一緒に始めたのが「北欧館」という喫茶店ですね。これが今のグローバルダイニングの原型になったと。

長谷川:そうです。北欧館をオープンするのに開業資金が1200万必要でした。これは祖父からお金を借りたのです。うちは酒屋と米屋でしたが金目のものはほとんどなく、あるのは約800万円のキリンビールの株券だけでした。僕は800万の借用証書をつくり、半ば強引に祖父にサインさせて、株券を強奪したんです。株券を保管しているのは父なので、ひと悶着どころか、三悶着ぐらいありました。何とか手に入れて日興證券で売り、開店までこぎつけたものの、内装費にお金を使いすぎてしまいました。最初の試練だと思って、ビルのオーナーに東海銀行に口を利いてもらい、テナント代金として300万を借りたのです。その頃の金利を知っていますか?

倉重:今は超低金利ですけれども、当時はきっと高いですよね。

長谷川:年11%でした。今では考えられないですよ。あの頃田中角栄の日本列島改造で、36%のインフレが起こっていました。しかし僕は金を貯める才能があるようで、借金を返して、2年間で1,300万ためました。

倉重:すごくためましたね。

長谷川:喫茶店1軒の15坪しかなかったのに、よく稼ぎました。当時の僕は、会社を立ち上げた以上、都市銀行と取引ができなくては成長できないだろうと考えていたのです。銀行の融資担当者に「これからできる限り預金をして、2年間で1000万円を貯めます。実現できたら融資を考えてください」とお願いしました。そこで、収入は夜間金庫、支出は全部通帳に記録が残るようにしたんです。銀行振り出しの小切手を支払者ごとに伝票を書いて小切手をもらえば、現金ではないから安心感がありますよね。しかも、明細を含めて全部の記録が預金通帳に残ります。僕は帳簿をつくる代わりに宛名だけ書いた領収書をもらい、税理士に全部渡せばよかったのです。

倉重:銀行にお金を貯めて、信用を得ていったのですね。

長谷川:会社だけではなくて、個人の貯金の中身も全部見せました。売上が良いときは100万ぐらいもうかるのです。源泉税を引いても90万ぐらい残ります。社会保険は小さいから入れません。残った90万を全部預金口座に入れます。10万だけ残してまた出します。それを融資係のところに持って、預金するわけです。90万は毎月ではなかったけれども、 40万でも50万でも預金積み立てをしていました。そうすると会社の金だけではなくて、個人の内容も全部見られるわけです。2年間で1300万をためた実績をつくり、銀行の融資担当者に「ほら、言った通り、貯めたでしょう。この僕に貸さないで誰に貸すんですか」とたんかを切りました。銀行が2,000万貸してくれたのが、25歳のときです。

倉重:25歳で2,000万を銀行から借りられる人は、なかなかいないです。そのころ奥さまは日本でモデルをされていたのですね。

長谷川:妻は最初の6カ月間ほど店を手伝ってくれましたが、その後モデルとして結構成功して、僕より多く稼いでいました。

■一番大切なものを失う

倉重:そしてある日出て行ってしまったのですよね。先ほどのドラマのような連れ帰り方をして日本に連れてきた奥さまが、まさか出ていってしまうとは思わなかったです。

長谷川:「この女性は俺がいなかったら生きていけない」と思っていましたが、そうではなかった。女性は怖いです。

倉重:失って初めて大切さに気付いたわけですね。

長谷川:涙を流したのは、そのときが初めてでした。彼女がいて初めて家庭を持ったわけです。4年間ずっとその温かさに慣れていました。

倉重:初めて愛を手に入れたわけですね。

長谷川:そうです。一人アパートの中で泣かないと寝付けない日々で、寂しくて寂しくてたまりませんでした。だから失恋して死ぬ人の気持ちが分かります。だって今まで天然色だった人生が、彼女がいなくなるとみんな白黒になってしまうのです。

倉重:歌の歌詞にあるような話ですね。

長谷川:興味がなくなってしまうのです。何を見ても彼女にくっつけていたのに、くっつける相手がいなくなると、のぞき見ぐらい程度にしかなりません。

倉重:先ほどの幼少時代から聞いているから分かりますけれども、愛を知らないで育ってきて、初めてきちんと愛した人を失ったわけですね。

長谷川:「俺の人生の中でたぶん一番刺激的で一番ためになった4年だな」と感じました。彼女と別れたときにピリオドが打たれるわけです。人生の1つの幕が完全に終わって、二度と戻りません。周りもひどい友達がいて、「おまえは本当にかわいそうだな。もうあんないい女と二度と出会えない」と言うわけです。

倉重:あおってくるのですね。でも一方で、経営のほうは次の店舗を出したのですよね。

長谷川:それがパブ「六本木ゼスト」です。

倉重:ゼストは最初パブだったのですね。

長谷川:店名のゼストは、辞書で引いて決めました。zest for lifeというと、生きがいです。やはり生きがいがなかったらむなしいと思います。しかし、ビジネスよりも、彼女との恋の物語のほうが全然面白いのです。

倉重:それが長谷川さんです。

長谷川:彼女に逃げられて喪失感でいっぱいで、本当に悲しくて号泣しないと眠れませんでした。

倉重:泣いてすっきりする感じですか?

長谷川:眠れるけれども、また夜中に目が覚めてもんもんとします。酒を飲むのと似ているでしょうね。酒を飲まないと眠れないという1カ月を送っていたら、彼女から電話がかかってきて、「ボーイフレンドができたの、あなたが知っている人よ」と言われました。

倉重:知っている人だったのですか。

長谷川:アメリカ人のモデルのケビンでした。「ケビンと今付き合っている」と聞いたときから、涙は1滴も出なくなりました。どうしてか分かりますか?

倉重:怒りですよね。

長谷川:怒りしかないのです。喪失の痛みは涙を流すことでいやすことができます。だから女の子は泣いてケロッとするということが分かりました。ところが嫉妬心の痛みは違うのです。備長炭の上で焼かれる感じで、もだえてしまいます。喪失の痛みにはじっと耐える感じなのですが、備長炭で焼かれたら、じっとしていられません。

倉重:それがまたエネルギーとして仕事に向かっていったのですか。

長谷川:そのときの痛み止めは仕事でした。人間の頭は単純なので、仕事に没頭すると痛みは激減します。出産のときにラマーズ法で呼吸するじゃないですか。呼吸法は何の意味もなくて、ただ1つのことに集中してやると『痛みが減るので』ひーひーふーと夫婦でやるわけです。それをやることによって、痛みが『激減』します。

倉重:なるほど。目の前のものに集中せよと。マインドフルネスですね。

長谷川:昼間は仕事に集中すれば良いのですが、帰ってからがつらくて、表に出る元気もなかったのです。それで本を読みました。アガサ・クリスティは全部読みました。あと名前は忘れましたが、スウェーデンの夫婦で書いているような刑事ものなど、とにかくあらゆる推理小説は読破しました。あとアイザック・アシモフはご存じですか。亡くなってしまいましたが、SF作家の科学者で、世界や宇宙のこと、地理、文化など全部書いています。これを全部読みました。寝る前にまた彼女を思い出すじゃないですか。トイレに行って歯を磨き始めると涙が出てくるのです。

倉重:そこまで愛していたと。

長谷川:これは割と普遍性があると思います。同じシーンをコマーシャルで見て、「これのプロデューサーは俺と同じ経験をしているな」と感じました。歯ブラシを口の中に入れて歯磨きしていると、だんだんとおえつが出てくるのです。何とかうがいをして、涙を流しながらバスタオルを持って、さあ泣こうと思って10分ぐらい大泣きするのです。1カ月です。そうすると嫉妬心の強さも分かるでしょう。今度はもだえてぶっ殺したいと思うほど憎み始めるのです。憎しみだから涙が1滴も出なくなりました。

倉重:負のエネルギーが湧き上がってくるのですね。

長谷川:喪失の痛み止めが涙でしょう。嫉妬心の痛み止めは憎しみしかありません。ほとんどの人は憎しみを取ってしまうから、自分の人生を汚してしまうのです。でも、自分が選んだ相手じゃないですか。北欧の旅で出会ってからの4年間を思い出したときに、「あの時間は、たぶん人生の中でもすごく貴重だった」という気持ちが強かったんです。彼女を憎むということは、その貴重な思い出まですべて抹殺するということです。「俺はあの4年間を、シールして思い出さないようにするしかない。憎んではいけない」と気づきました。これは普通の人はたぶんできないと思います。

憎んだら自分が損するのが分かったし、相手も損するのです。どうしたら一番自分が楽になるかなと思ったら、カトリックに通っていたでしょう。新約聖書の中に「愛が救い」と言っていたのを思い出しました。

「相手が敵でも愛しなさい」というのは意味が分からないじゃないですか。嫉妬心を持っているときは、相手は敵なのです。ボーイフレンドが一番の敵だけれども、2人とも殺したいという人も、それを実行する人もいるじゃないですか。

倉重:たまにそういう事件がありますね。

長谷川:どうしたらいいだろうと1週間本気で闘争して、「愛し続けるしかないのかな」と思いました。ただ、自分の相方としての愛は終わったのです。そのとき戦友というイメージが出てきました。4年間あのつらい皿洗い、鍋洗い、掃除夫をして100万ためたとき、彼女がいたから耐えられました。

倉重:一番つらいときですね。

長谷川:これからも愛し続けようと思って、彼女に「1つだけ約束するよ、俺が生きている限りずっと友達だから、それは信頼してもらっていい」と言いました。

倉重:ちょっと格好良過ぎませんか。

長谷川:それで自分も救われて、新しい人を探しに行こうという気持ちになれたのです。ただ、その後気に入った5人とベッドインしても、「男性として」まったく役に立ちませんでした。それだけ心の傷が深かったのだと思います。

倉重:当時の奥さまがボーイフレンドと別れて日本から去るときに、復縁するチャンスもあったのですよね。

長谷川:彼女から電話がかかってきたのです。「友達だと言ったわよね。私はケビンとも別れて国に帰る。荷物が多いから、送ってくれない?」と。それで最後に空港まで送ってあげました。

倉重:帰るときに「行くなよ、もう1回一緒にやり直そう」と言ったのですか。

長谷川:そこまでは、プライドが高過ぎて言えませんでした。別れた1年後、ヘルシンキで再会しましたが、すごく違和感があったのです。たった1年の別れが、お互いの何かを決定的に変えてしまいました。そのときは「よりを戻そう」という話で、2人で合意していたんです。

しかしまた違う人に出会ってしまいました。彼女と全然違うタイプで、フィリピン人と白人のハーフでハワイ出身のモデルさんでした。彼女はすごく人間的にバランスが取れていて、僕みたいに激情型ではなかったのです。今の女房も激情型、前の女房も激情型なのですけれども、彼女だけは違いました。彼女に会って僕のほうが恋に落ちてしまったのです。

彼女とは7年同棲しました。前の女房にはどう伝えようか悩んで、1カ月ぐらい経って話したら、「分かっていた」と返事が来たのです。その後も文通は続けました。

倉重:それで今に至るまで関係が続くのですね。やっとここから経営の話になりますが、企業として安定した経営基盤をつくるために、「ゼスト」や「ラ・ボエム」などを次々と展開していくわけですよね。

長谷川:今までの話は経営よりも大事だと思います。

倉重:そういうバックボーンがあって長谷川さんなんだとわかると、きっと見方が変わります。経営スタイルもすごく独特だなと思います。独学でインセンティブを含めた賃金制度を勉強して、自分でつくるというのはすごいですね。

長谷川:最初は何の知識も持ち合わせていないので、本屋に行って人事考課や給与規定や、就業規則の本を買って勉強しました。それをそのまま当てはめてシステムをつくったわけです。給与規定はすごく難しいし、日本の人事考課などもしましたが、全然結果が出ませんでした。人事考課では、職務基準書や等級基準書などがありますよね。あれを全部自分でつくりました。

倉重:すごいですね。

長谷川:古典的な人事考課がまだ日本では幅を利かせていますよね。僕は「こんなのはあり得ない」と実感したのです。だって、自分が当てはまるところがありません。僕はたぶん弱いところばかりで、強いところがいくつかあるだけなのです。

倉重:本には「サラリーマン根性くそったれ」「終身雇用くそったれ」「年功序列くそったれ」などと書いてあるじゃないですか。本当にそのとおりなのですが、そういう組織をつくり上げるのはすごく難しいかなと思っています。

長谷川:本能的に大学を辞める前に感じたことですが、僕らの級友はみんな講義がないからマージャンをやっているわけです。「こいつらは本格的に働く前に、牧草地で草を食べながら遊んでいる競走馬と同じではないか」と思いました。これからの自分で何が起きるかも先行き読みもせずに、大学という名の牧草でつかの間のユートピアを過ごし、そのまま会社というゲートに入ります。そしてサラリーマンという名の競走馬となって、ひたすら競技場をぐるぐる回ります。あり得ないと思ったのは、たぶん学校よりも厳しい枠があって、それに染まらなければ経済的にいい思いはできないということです。魂も売らないといけない。「だったらそこのチョイスはないな」と思ったんです。最初から絶対日本の企業に就職するつもりは全くありませんでした。

倉重:自分が働きたい会社をつくろうということなのですよね。詳しくは『タフ&クール』を参照していただきたいのですが、優秀な社員さんもいらっしゃるわけですよね。「優秀な人間の希望や欲望や夢が、実際に与えられるものよりも大きくなった時点で、うちの会社にとどまる理由がなくなる」「だからこそ大きな夢を社員にも提供し続けないといけない」というのは本当にそのとおりだと思いました。

長谷川:ただ具体的にいうと、僕は自分が会社を設計したときに、最初は模倣しようとしたけれども駄目だったのです。常にあった基準は、「自分がここの社員だったらどうしてもらいたいか」だけでした。僕は知りたがりやだし、言いたいことは言わないと気が済まないから言い続けます。みんなもそれを希望するだろうなと思ったからそういうふうにしたし、実力主義だったら納得がいくけれども、そうではない世界だったら納得がいかないと思ったから実力主義にしました。結局どこの会社にも勤めていなくて、自分でゼロから考えたので独自色が出たと思います。

倉重:この本を出されたのは何年前ですか。

長谷川:21年ぐらい前です。

倉重:かなり昔ですけれども、「社員はメジャーリーガーであれ」と書いているじゃないですか。完全に今言われていることを予見していますね。

長谷川:日本が古過ぎるのです。北欧なんて50年前には、公園にトップレスの美女がいましたからね。

倉重:今日本でも働き方改革ということで労働時間は制限され、「残業せずに有給休暇を取るのは素晴らしいことだ」と国が宣伝をしているわけです。もちろん、働き過ぎて健康を害することはあってはなりませんが、それは働く喜びというものを全く無視した話ですよね。

長谷川:安倍さんは「ホワイト・エグゼプション」、いわゆる一定以上のポジションであれば残業代もないよという制度を入れようとしたけれども、結局政治の中でそれがゆがんでしまったのですよね。

倉重:残業代ゼロ法案といって叩かれ、使えない制度になってしまいました。

長谷川:うちの店では、今でも「俺に仕事をさせろ」というのがいくらでもいるわけです。

倉重:もちろん過労死などで健康被害は絶対に良くないのですけれども、一方でめちゃくちゃ頑張って働いて、結果ものすごく報酬が得られるというのも喜びじゃないですか。

長谷川:そうです。だから自分の意思で選択して肉体労働をして、1日14時間、皿を洗おうが死ぬわけはないのです。

倉重:日本の働き方改革では、その「働く喜び」が無視されているようでなりません。

(つづく)

対談協力:長谷川 耕造 (はせがわ こうぞう)

株式会社グローバルダイニング代表取締役社長

1950年 横浜市生まれ。1971年 早稲田大学を中退し、欧州を放浪。1973年に有限会社長谷川実業を設立し、高田馬場に喫茶店「北欧館」をオープン。1976年「六本木ゼスト」を皮切りに、「カフェ ラ・ボエム」「ゼスト キャンティーナ」「モンスーンカフェ」「タブローズ」「ステラート」「権八」と次々に

エンターテインメントレストランを都内中心に出店を拡大。

1991年米国第一号店として、ロサンゼルスに「ラ・ボエム」、1996年にはサンタモニカに「モンスーンカフェ」をオープン。(2016年に「1212(twelve twelve)」にリニューアル)

1997年に商号を株式会社グローバルダイニングへ変更、1999年東証2部上場。2021年8月現在は、国内外に44店舗を展開中。