Yahoo!ニュース

精神障がい、当事者の声 「だけど、生きていてよかったよ」

工藤啓認定特定非営利活動法人育て上げネット 理事長
トークイベント風景(主催者撮影)

平日夕方6時という時間帯にもかかわらず、渋谷区幡ヶ谷駅近くの会場スペースは参加者で埋まっていた。参加申し込みが当日まで止まらず、ギリギリまで座席を増やしたが参加できない方が多く出たそうだ。トークイベント「精神しょうがいがあっても自分らしく生きる-だけど、生きていてよかったよ-」を主催したのは、ジョブクリエイト渋谷(渋谷区幡ヶ谷)で、今年6月に開所した就労移行支援事業所だ。

登壇したのはジョブクリエイト渋谷で務める看護師の加藤氏、不登校や中退者向けの塾を経営するキズキ共育塾の安田祐輔代表、そして若者支援団体認定NPO法人育て上げネットの就労支援プログラム「ジョブトレ」卒業生の武田氏の三名。それぞれが障がいや病気など生きづらさを抱えた当事者である。

どのような生きづらさを持っているのか参加者が認識しやすいよう、登壇者の机の前の名ビラには、名前の上に障がい名や病名が記してある。

筆者(以下、工藤):本日、コーディネーターを勤めさせていただく工藤です。まずはこのトークイベントを企画した加藤さんから本イベントを立ち上げた思いを聞かせてください。

加藤さん:私は今年で35歳になります。うつ病歴は約20年です。20代はオーバードーズ(OD:過量服薬)やさまざまな依存症を持ち、「生きていていいことなんてあるわけない」と思っていました。生きることをあきらめた時期もありました。周囲からは、「いつか雨は晴れるから」とか「いまだけだよ」と言われても、そんなことはきれいごとでしかないと考えていました。

いま振り返ると、それでも生きたいという気持ちがあったから苦しかったのだと思います。何か行動したくてもどうしたらいいのかわからず、もやもやしていました。もし、当時の自分に声をかけられるなら「だけど、生きててよかったよ」と伝えたいです。

障がいや病気の当事者の方々に「元気をだしてほしい」とか「明日から前向きになってほしい」というおこがましい気持ちはありません。ただ、障がいや病気があっても自分らしく生きていける、生きているひとがいることを知ってほしいと思ってイベントを企画しました。

工藤:それでは安田さん、武田さん、そして改めて加藤さんにご自身の経験などをお聞かせいただければと思います。

安田さん:キズキグループの安田です。株式会社とNPO法人を経営しています。不登校や中退、ひきこもりの若者のための学習塾をやっています。来年1月にはファイナンスやプログラミングなどを学べる就労移行支援事業所「キズキビジネスカレッジ」を始めます。

後になってわかったことですが、私は軽度発達障がいで、中学高校は学校に馴染めませんでした。それでも大学は楽しく、卒業後はいわゆる大企業に入社したのですが、4ヵ月でうつ病となり休職、その後、退職しました。自分にできる仕事がないと悩むなかで起業して8年が立ちました。自分の障がい特性のひとつに過集中があり、それが起業に向いていたと思っています。

武田さん:育て上げネットのジョブトレという就労支援プログラムを通じて仕事に就きました。高校は工業高校で、卒業後は就職希望という学生が多かったです。私も進路は就職だと考えていたのですが、身体の調子がよくなく、電車に乗ると気持ちが悪くなって通学ができなくなりました。高校卒業してから何もできずにひきこもりました。まずは体調をよくしようと自宅静養したり、心療内科に通ったりしながら6年間が立ちました。統合失調症でした。

最初は地域若者サポートステーションを使っていたのですが、ジョブトレに通うようになり、「こうやって仕事はやっていけばいいのか」ということを学べました。半年くらいでアルバイトを始め、3年くらい続けたのですが、そろそろ就職しようとしたときジョブトレのスタッフからIT系企業の話をもらって、いまはそこにお世話になって5年目です。

加藤さん:私はうつ病が長く、いまも薬を飲んでいます。ずっと看護師を目指して、看護師になったのですが、最初の一か月で病棟を逃げ出しました。急性のうつ状態だったと思うのですが、3年働いて一人前と言われていたのに逃げ出してしまった自分にとって、看護師でありたいのに、看護師であることがストレスとなりました。

病院を辞めてから27回転職しました。その間も薬を飲んでいたのですが、「死ね」という声が聞こえてきたりもしましたし、周囲には「今日で人生終わりだから」という話ばかりしてました。特につらいときは身体にミミズがはっている感じがして、過剰服薬。またつらくなると過剰服薬を繰り返しました。

いま、看護師という立場でこの職場で働くことを選んだのは、さまざまな挫折経験があり、働きたくても働けないひとたちがおり、自分自身の経験を含めて看護師としての力を発揮したいからです。

工藤:振り返って、最も苦しい時期はどのような心境になったのでしょうか。

安田さん:メンタルの問題で働けないことに理解がないと、仕事を選ばなければ食っていけるというような助言をもらったりするんです。しかし、人間は自尊心で生きています。今になるとなんて生意気なんだと思いますが、当時の私は「大学合格するために勉強し、そのおかげで英語も話せて、さらに大企業にも就職できたのに、なんでここでアウトになったんだろう」と苦しんでいました。いまさら高校時代のアルバイトには戻りたくない、という心境でした。そのようなときどこで折り合いをつけるのか本当に難しいのです。

会社で働いていた当時、自分が発達障がいだとはわかっていませんでした。感覚過敏で革靴も履けないのは致命的で、とてもじゃないけれど大企業で働くことはできない。それでも自尊心はある。そんな状態で一年悩んで起業に至りました。いまもあの時代に戻るかもしれないとハラハラしています。そういう不安は簡単に消えるものではありません。

武田さん:私は18歳から6年ほどひきこもっていたのですが、最初の3年くらいは両親も見守ってくれていました。しかし、3年も経つと少しずつプレッシャーも出てきていろいろ言ってくるようになりました。ただ、22歳、23歳にもなってアルバイトもしたことがない。仕事ってどうやったらいいのか誰に聞いたらいいかもわからない。ネットで調べるところまで頭が回らない。自分は一生仕事ができないんだ、生きていても意味がないんだ。親に迷惑をかけたくないし、もういいかな、人生絶ってもいいかなと思ったことは何度もありました。その思考がループしているときがつらかったです。

加藤さん:30代前半までODにはまっていました。海外旅行中のスペインでOD、楽しいことしていてもOD、薬を大量に飲まないと明日はないと思っていました。一度、死ぬ気で薬を飲んだことがあります。企業でアプリ開発をしていたとき、上司から罵詈雑言を浴びせられました。そのとき、「これはいいんだな」と自分の意志で人生を終わらせようとしました。母が来てくれなかったら生きてないと思います。そして、そんな経験があっても死ぬことにあこがれることをやめられませんでした。

3年前に子宮頸がんの可能性があるとなって、細胞の検査をしたところガンではなかったのですが、そのときの結果が出るまですごく怖かったんです。死にあこがれ、悲劇のヒロインとして伝説になるということまで考えていた人間がです。

工藤:そんなつらい経験があっても、まさに本日のタイトルである「だけど、生きていてよかったよ」と思える間には、どんなことがあったのでしょうか。

加藤さん:4年前の夏にODで倒れ、入院するかどうかの話になりました。それは嫌で自宅にいたとき、昔からの友達との忘年会がありました。みんなが来年の抱負を楽しそうに話しているわけです。そのとき、突然ひらめいて「私は来年楽しく生きるから!」と宣言しました。具体性がないと笑われたけど、楽しく生きるために目の前のつらさと向き合い、逃げないと決めたんです。

武田さん:ひきこもりだと周囲にいる大人は両親くらいしかいません。父親とは特に話がしたくないので、リビングにいても父親が帰ってきたら部屋に行く。対面することから逃げ続けていました。誰にもつらさを伝える相手がいないので、両親も私の悩みを知ることはできません。あるとき、心療内科の先生に地域若者サポートステーションを教えてもらいました。そこでソーシャルワーカーと話す機会ができ、第三者に話をする機会ができました。そこから両親にも話が伝わり、自分の悩みが親に共有されていったところから、私の道が開けていきました。

安田さん:自分でちゃんと飯が食える状態になったときですね。会社員は無理なんだということがわかり、自分の生き方が周りからは認められないなかで、自分で自分の生き方を認められるようになりました。自分がやりたいことで、毎月入金があって安心します。どうしても飯が食えていないと、自分はダメな人間ではないのかと思いがちになるのですが、いまは自分も生きていいのかなと思えています。

工藤:キズキでは、不登校やひきこもった経験のある方が多く働いています。

安田さん:採用については当事者性は見ていません。しっかり支援ができることが重要ですので。元当事者が多いことについては、「自分の人生に意味を与えたい」と思う元当事者が多いからではないでしょうか。

工藤:最後になりますが、みなさんから当事者やご家族など当事者の周縁の方々に対して言葉をいただけますでしょうか。

武田さん:いまは、昔ほどひきこもりとかニートとかへの視線が強くなくなってきているのではないでしょうか。こういうイベントも開かれていますし、理解のあるNPOや企業もあります。そういうところとつながれたらいいと思います。ただ、つながることこそが大変なことなので、ネットでもいいと思いますし、病院の先生や第三者に聞いてみる、頼ってみるのもいいと思います。頼れるのであれば両親も。

ご家族の方々にはあまり強く言ってほしくないです。本人が一番つらくて、わかっていますので。私自身も両親に迷惑をかけているのはわかっていました。おそらく、どうしたらいいのかわからないだけだと思います。ご家族には第三者を見つけるお手伝いをお願いしたいです。

加藤さん:当事者の方に伝えるとしたら、根性論にならないでほしいということですね。自分の頑張りが足りないとか、今回がダメでも次回はいけるように、となると同じ事を繰り返してしまいます。27回の転職は「次こそは」で重ねてしまったものです。当時は就労移行支援事業所の存在は知りませんでした。自己肯定感が低いのにプライドが高く、自分を振り返る必要性を感じていなかった私は利用していなかったと思います。ただ、いま就労移行支援事業所で働いていますが、自分と向き合ったり、技術習得やソーシャルスキルトレーニング、コミュニケーション講座など、一回くらいそういうのを受けてみても、人生でその期間は無駄にはならないと思います。

私は看護師と産業カウンセラーの資格も持っておりますので、医療面を含めてサポートすることができますので、一度でもここに、私を訪ねてみてほしいです。

安田さん:第三者に頼りましょう。家族は期待値が高くなりがちです。「こうなってほしい」という期待があると、いい声かけができなくなってしまいます。我々含め、支援者は利用者の方に対して、よい意味で期待値を上げ過ぎないように心がけています。このレベル以上の大学や会社とは考えてなく、ご本人の納得度が高いよう支えたいと思っています。

いまは当事者に選択肢が広がってきています。自分がうつ病のときにはあまり選択肢がありませんでしたし、事業所があってもプログラムが自分の求めているものではなかったです。当時のリワークは基礎的なトレーニングばかりだったことを覚えています。

そういう経験を踏まえて、私は来年1月に就労移行支援事業所「キズキ ビジネス カレッジ」を立ち上げます。ファイナンスやプログラミング、マーケティングなどを学びながら、もう一度働きたいと思っていても、なかなかその一歩を踏み出せない方々を支援していきます。

ジョブクリエイト渋谷には加藤さんという看護師がおり、医療面を含めたサポートがあります。私たちの事業所はビジネススキルを磨けるプログラムでサポートします。そのように様々な事業所が様々なサービスを提供することで、当事者の方々のニーズを満たしていけたらいいなと思っています。互いに連携しながら、当事者の納得度の高い施設をご利用いただけるようにしていきたいです。

---

平日の夕方にどれだけの参加者が集まれるのだろうかと思っていたところ、会場は定員で埋まり、当日までに多くの参加希望者からの問い合わせが相次いだという。トークイベント終了後の懇親会では、当事者の方々やご家族と、支援者などがテーブルを囲み、それぞれの思いを語り合っていた風景が印象的であった。

認定特定非営利活動法人育て上げネット 理事長

1977年、東京都生まれ。成城大学中退後、渡米。Bellevue Community Colleage卒業。「すべての若者が社会的所属を獲得し、働くと働き続けるを実現できる社会」を目指し、2004年NPO法人育て上げネット設立、現在に至る。内閣府、厚労省、文科省など委員歴任。著書に『NPOで働く』(東洋経済新報社)、『大卒だって無職になる』(エンターブレイン)、『若年無業者白書-その実態と社会経済構造分析』(バリューブックス)『無業社会-働くことができない若者たちの未来』(朝日新書)など。

工藤啓の最近の記事