以前に前回の東京オリンピック(1964年開催)が、昭和40年不況のひとつのきっかけとなり、これによって戦後初の国債が発行されたことを指摘した。実は、その後の日本でのオリンピック開催時期前後にも日本の財政や国債に関わる大きな出来事が起きていたのである。

 前回の東京オリンピックの次に日本で開催されたのは1972年2月開催の札幌オリンピックとなる。

 戦後の国債発行の増加に大きく関わったものとして1971年のニクソンショックが指摘されている。1972年7月に第1次田中角栄内閣が成立したが、田中角栄が自由民主党総裁選挙を翌月に控えた1972年6月11日に発表した政策綱領が日本列島改造論であった。

 田中首相は「工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速道路の建設、情報通信網のネットワークの形成」などを謳いあげ、日本列島改造論を提唱した。加えて積極的な財政金融政策を提唱。この結果、1972年度の国債発行額は増加した。

 さらに1973年のオイルショックによって、財政・金融両面において極めて強力な総需要抑制策が実施され、国債が大量に発行されるようになったのである。

 札幌オリンピックが直接影響を与えていたわけではないものの、財政が拡大し国債の大量発行時代を迎えるタイミングであったことは確かである。

 その次日本で開催されたのは、1998年2月開催の長野オリンピックである。1998年も国債としてはエポックメーキングな年であった。

 1998年7月に成立した小渕恵三政権では、次々に経済刺激策が打ち出され、国債が大量に増発された。11月には米国の格付会社ムーディーズが、日本国債の格付を最高位のAaaからAa1に引き下げると発表。格下げの大きな理由が公的部門の債務膨張であった。そして、この年の12月に発生したのが資金運用部ショックと呼ばれた日本国債の急落であった。

 当時、国債を大量に引き受けていた大蔵省資金運用部の引き受け比率が、大きく低下することが示唆された。資金運用部が国債買い切りオペを中止すると発表したことを契機に12月22日に債券先物がストップ安をつけるなど、債券相場は急落した。9月に0.7%を割り込んでいた10年債利回りは12月30日に2%台に乗せてきた。

 これが1999年の日銀のゼロ金利政策のきっかけとなった。また、財務省ではこれをきっかけとして国債管理政策が進むことになる。

 そして今回の東京オリンピックである。前回の東京オリンピックと比較して公共投資などはそれほど大きくはなかった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大による経済への影響を踏まえた財政政策で未曾有の財政拡大となり、2020年の国債発行も記録的な規模で急増した。これをきっかけに何が起きるのか。オリンピック後の財政や国債の動向が気掛かりではある。