国債の価格維持政策は戦時中の米国でも行っていた
ニューヨーク連銀のウィリアムズ総裁は、借り入れコストを極めて低い水準で確実に維持する手段として、政策金利をゼロ付近で維持することに加え、米国債利回りに特定の目標水準を設けることを金融当局者らは「極めて真剣に検討している」と述べた(ブルームバーグ)。
ウィリアムズ総裁は、「既にいくつかの国で導入されているイールドカーブ・コントロール(YCC、長短金利操作)は、フォワードガイダンスや他の政策措置を補完し得る手段だと考えられる」とも発言していた。
イールドカーブ・コントロールとは、短期金利のみならず長期金利も中央銀行が誘導しようというものであり、日本銀行が2016年9月に取り入れた政策である。ただし、これは日銀が世界で初めて取り入れた政策ではない。すでに1930年台に米国は国債の価格維持政策を取り入れていた。
米国では、1930年代の大不況下に米連邦準備理事会(FRB)は大幅な金融緩和に踏み切った。これを受けて、TBの金利は1938年からの3年間にわたってゼロ%近辺で推移した。この1930年代の不況対策に加え、1941年に第二次世界大戦に参戦したことで、米国の国債発行額は大きく膨らんだ。1945年の国債残高はGNPの1.2倍に達したのである。
そして米政府は連銀を通じて国債を買い支える価格支持策(ペッギング・オペレーション)を採ってきた。この結果、1946年に連銀は市場性国債残高の11.5%を保有していたのである。
カネ余りにより米銀の余剰資金も膨れ上がり、この余剰資金を振り向けたのは国債であった。結果としてFRBは長期金利の跳ね上がりを防ぐことができ、大不況と戦争という危機を乗り切ったこととなる。
第二次大戦後、今度はインフレ懸念の台頭により、FRBは国債価格を維持する政策の副作用に直面することになった。インフレリスクを防ぐために、1951年に財務省とFRBは「アコード」を取り交わし、国債価格維持を撤廃したのである。これによりFRBの判断で金融政策が行えるようになり、中央銀行による金融調節が重要性を増すこととなった。財務省は金融政策に依存することなく、債券市場に向き合っての国債管理政策を採用することになった。
つまり今度は「大不況と戦争という危機」ではなく「新型コロナウイルスと大不況」を乗り越えるべく、当時の政策を復活させようとするものとなる。非常時なので致し方ないという側面はあるものの、念のためその後に起きた「アコード」の事例も振り返っておく必要はあると思うが、さすがにこれは釈迦に説法か。