FRBが長期金利コントロールを採用する事はあり得ないとする理由
「いわゆるアコードとしてよく知られているのは、中央銀行の独立性に対する意識が高まる中、円滑な戦費調達のためにFRBが行ってきた国債金利上限維持政策の終了を宣言するため、1951年に米国財務省とFRBが公表した共同声明文です。要するに、FRBの独立性を回復した共同声明文がいわゆるアコードです」(2012年10月の白川前日銀総裁総裁の会見より)。
第二次世界大戦後、国債の利払いコストを抑えさらに利上げによる国債価格の下落を回避しようとしたアメリカの財務省と、インフレ抑制のために金融引き締めを主張するFRBとの対立が激化した。このため1951年にトルーマン大統領の調停により、財務省とFRBとの間で「アコード」が成立し、国債管理政策と金融政策が分離された。これによって低金利政策は廃止され、FRBは「政府からの独立性」を強めることになった。
第二次世界大戦中の円滑な戦費調達のためにFRBが行ってきた国債金利上限維持政策もいわゆる長期金利コントロールといえる。これは米国だけでなく日本でも同様のことが戦中に行われてきた。
その長期金利コントロールをFRBが復活させるのではないかとの思惑が出ているようである。
「FRBが景気悪化に備え、金融緩和の新手法の本格検討に入った。FRB内には新たに長期金利を操作して市中金利を低めに誘導する案や、2%の物価上昇率目標を修正する案などが浮上している」(6日付日経新聞)。
FRBのクラリダ副議長は「FF金利がゼロにまで下がれば、長期金利に上限を設ける手法を採用する可能性がある」と言及したことがあり、このため新たな緩和手段としての長期金利コントロールも選択肢に入ったとの観測も出ていることは確かである。
ただし、この長期金利コントロールは戦時下という非常時であったため、それを行わざるを得なかったといえる。まさに異常時の非常手段ともいえるため、これを採用することは本来であれば考えづらい。
いやいや日銀がそれを採用しているだろうとのご意見もあろう。正常時にもかかわらず非常時の手段ともいえるべき「量的・質的緩和」で物価目標を達成できなかった日銀は、2016年にマイナス金利政策を導入。これも異常手段でありながら、物価目標はやはり達成する見込みがない上に、金融機関などからの批判を集めることとなる。その修正手段として取った政策がイールドカーブをスティープ化させるための長短金利操作であった。結果として長期金利コントロールを採用せざるを得なくなったが、これは積極的に採用したものというより、修正に修正を重ねた結果のものともいえる。
結果として日銀が長期金利コントロールを採用したのは事実であるが、その劇薬を使ってもいっこうに物価は上がらず、金利はマイナスを掘り下げているような状況にある。この状態がいつまでも続くことは考えづらい。その劇薬の副作用がいずれ出てくることも当然考えなくてはいけない。
このためFRBが長期金利コントロールを採用するということは、よほどの事態がなければあり得ないと思っている。