2%の物価目標に対する見解の違い
日銀の総裁・副総裁の国会での所信聴取は4日、5日に行われその内容はマスコミ等でも大きく取り上げられた。特に注目されたのは、2%の物価目標に対するもので、総裁候補の黒田氏は2年程度での達成を念頭にとし、副総裁候補の岩田氏は遅くとも2年で目標達成とし、達成できない場合には辞職すると言及した。同じく副総裁候補の中曽氏は、必ず2年とは言いがたいとした。
このあたりにいわゆるリフレ派と呼ばれる人達とアンチリフレ派と呼ばれる人達との間には見解の違いが存在する。ここで重要なのは目標が達成できるかよりも、その目標に対してどのような経路で金融政策が働きかけるのかという道筋を示すことである。これにはかなり異次元の発想が必要になると思われるが、岩田氏や黒田氏の発言を見るとなるべく長い期間の国債を大量に買ったり、リスク資産を購入すると達成できるらしい。これは現在と次元は変わらない。いままでそれを日銀はやってきているが、単純に量が足りなかったかららしい。岩田氏にいたっては日銀の当座預金残高が大きくなれば、それで物価が上がるというが、そんなに単純なものであるのか。これについては、日銀の木内審議委員が3月1日の記者会見で次のような発言をしている。
「もちろん高い目標を掲げることによって強く期待に働きかけるというのは重要な点かもしれませんが、高過ぎるということになると、期待に働きかけるプラスの効果もあまり大きくないのではないかと思います。それを達成するための道筋について、説得力をもって強く説明するのは容易ではない、と感じた次第です。」
「2%の目標実現には成長力強化に向けた幅広い主体の取組みが必要であると私どもは謳っていますが、それはこれからの話です。その実現には不確実性が伴うと思われるため、その実現にかかる不確実性が高い現段階で、それを前倒しして物価目標に反映させると、金融政策に対する信認が毀損されてしまうのではないかという点にも配慮しました。」
安倍首相はデフレは貨幣現象であり、金融政策で変えられるとの発言を繰り返している。これはミルトン・フリードマンの仮説を引用したと思うが、本当にその仮説通りであるのか、これに対する壮大な実験が3月20日以降の新生日銀で試されることになる。これで本当に良いのであろうか。
「この2%の物価安定の目標を導入したことが、金融市場の期待にかなり強く働きかけたことは確かです。金融市場に既に反映されたという点を踏まえると、それは尊重すべきではないかと思います。」(木内審議委員)
円安による株高、その背景にあるのは日銀の金融政策を柱としたアベノミクスであり、その象徴ともいえるものが「2%の物価目標」である。これに対する期待は株価の上昇とともに高まるばかりであり、現実に日経平均も上昇を続けている。ちなみにダウ平均も上昇し過去最高値を更新したが、これはアベノミクスが直接影響したものではない。世界的なリスクの後退による景気回復への期待が米株の上昇の背景にあり、同様の理由による円高修正も加わり日経平均は7日に12000円台を回復した。
「拙速に物価を目標値に近づけていくというのは、私どもが掲げている「物価安定の目標」ではないということです。」(木内審議委員)
どうやらこの木内委員の発言を見る限り、黒田氏、岩田氏の発言の内容とはかなり次元が異なっているように思われる。
「物価を機械的に誘導するのではなく、成長力の強化、特に生産性が高まるということが重要で、これについては日本銀行も努力し、政府あるいは企業の各主体の努力の累積によって実現していくものだと思っています。」(木内審議委員)
白川日銀総裁が目指していたものは、フレキシブルなインフレターゲットであった。これは日銀に限らず元来インフレターゲット論者であったバーナンキ議長率いるFRBも同様であり、インフレターゲットを導入しているイングランド銀行もそうである。しかし、日銀だけは今後「フレキシブル」という部分を取り除こうとしている。
「先行きについては、不確実性が高まるので、「いつまでに」と設定をするのは妥当ではないと思いますし、これは日本銀行だけではなく、現在、物価目標を導入している世界の中央銀行のほとんどが、時期を特定していないという点からすると、比較的、国際的な基準に沿った判断ではないかと考えています。」(木内審議委員)
日銀は今後、世界基準からも逸脱した金融政策を行う可能性がある。デフレ脱却のためなら、なりふりかまわずとにかくリフレ派の信じる政策を貫かせる事が重要となるのかもしれないが、そこに出てくる副作用を果たして無視できるのか。これについては特に国会の聴取でも国会議員からの質問はあまりなかったようで、債券市場でもそんなものを無視するかのように超長期債が買われていた。果たしてこんな都合の良い状況はいつまで続くのか。何かあれば、副総裁の辞任程度では済まなくなるであろう。