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世田谷の保育園が「即日閉鎖」から「自主営業」へ 「一斉退職」しなかった保育士たち

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 保育士たちが告げられたのは突然の閉園の知らせだった。

 週末の11月29日、東京都世田谷区の保育園が突然倒産手続きを宣言し、園を即日で閉鎖したのだ。

 保育士の「一斉退職」や「虐待」、「死亡事故」など、悪いニュースが続く保育業界。実は、突然の閉園も珍しいことではない。

 ただし、今回、保育士たちは「一斉退職」とはまったく逆の路線を採ることにした。子どもたちを見捨てられない保育士たちは、保護者や介護・保育ユニオンの支援を受けて、「自主営業」の道を選んだのである。

 実際に、会社が運営を放棄した後も自分たちで営業を続けるという。園が封鎖されないよう、その日の夜から交代で園に泊まり込み、明日以降も園を運営できるように準備を進めているという(尚、労働者が平和的手段で職場を占拠する行為は労働組合法によって保護されている)。

 今回は、保育士たちの「自主営業」の取り組みと、その意義について考えていきたい。

子どもを預けにくる保護者に貼り紙で閉園を知らせる

 事件の経緯は次のとおりだ。

 金曜日(29日)の18時ごろ、取締役が「お知らせ」という1ページの紙を持って園に現れ、当日をもって園の経営をやめるとスタッフたちに告げた。

 そこには、「倒産する方向で検討することになりました」「倒産手続きへのお問い合わせにつきましては、下記弁護士事務所まで」と弁護士の連絡先のみが書いてあった。

 経営者は園のドアにそれを貼り出しており、保護者たちへの閉園の通知はそれだけで、電話をかけることすらしなかったという。

張り出された紙
張り出された紙

 月曜日の朝にはいつものように保護者たちが子どもを預けに来る。保護者たちは、そのときドアの前で初めて閉園を知ることになる。

 出勤途中に子どもを預けにきた保護者は、その後どうすればよいのだろうか? 大混乱になることは間違いない。仕事を急に休めというのだろうか? 

 そもそも、待機児童数が全国でもワーストクラスの世田谷区で、他の保育園を簡単に見つけることも非常に困難だ。状況によっては、仕事を辞めざるを得なくなる保護者も続出しかねない。

 12月の保育園に対する月謝も、直前まで保護者から受け付けていたという。経営者のあまりにも保護者や園児への配慮を欠いた対応に、保育士たちも心を痛めていたのだ。

労働組合が団体交渉を申し入れた直後の倒産

 この保育園は、株式会社Aが経営している認可外施設だ(本人たちの希望で園の名称は記載しないことをお断りしておく)。これまで複数あった園が次々と閉鎖になっており、会社は経営難に陥っていたという。

 経営難を理由に、慢性的な給料の遅れもあった。残業代未払いはもちろん、半年間の賃金未払いがあった従業員までもいるという。休憩も取れず、残業代や土曜手当は一切支払われていない。

 それだけでなく、保育園の環境改善を園が長らく怠っていた。園の経営者は、人員の配置基準や子どもの定員を守らず、子どもたちがご飯を食べるテーブルの足は折れ曲がっていつ倒れてもおかしくないのにいつまでも購入しようとせず、乳幼児を寝かせる部屋に段ボールを山積みするなどの問題があり、保育士たちが抗議しても、ずるずるとやり過ごしていた。

 こうした環境を変えるべく、保育士たちは労働組合「介護・保育ユニオン」に加入し、会社に対して団体交渉を申し入れていた。

 交渉の場では未払い賃金の支払いや保育環境の改善が問題になっていたが、代表は「改善するつもりだった」「払うつもりだった」などと言い訳をして、賃金の支払いを約束することはなかったという。

 そのわずか3日後、取締役が上記の「お知らせ」を貼り出されたのである。

「一斉退職」ではなく「自主営業」へ

 保育士個人の事情を考えれば、この不安定な職場に留まるのではなく、今すぐにでも転職した方がよかったに違いない。仮にそういう選択をする保育士がいたとしても、誰も責めることはできないはずだ。

 実際に、世の中では劣悪な保育所で次々に「一斉退職」がおき、社会問題化している。近年報じられている「一斉退職」したニュースでは、ここで紹介している園と同様、賃金の未払いがあったり、保育環境が劣悪だったりすることが背景にあることがわかっているのだ。

【参考】世田谷保育士一斉退職 保育士は無責任だったのか?

 ただ、「一斉退職」となると、現実の問題として、保育園が閉園したり、劣悪な保育がそのままになったりして、子どもたちや保護者がそのあおりを受けてしまうことがある。

 この園の保育士たちは、通っている子どもたちや保護者のことを考えると、今、この園を投げ出すことはできなかったという。

 

 金曜の夜、貼り紙1枚で立ち去ろうとする取締役に対して約4時間に渡り抗議を続け、そのあとも園に留まり、保育士どうしで今後について話し合った。そこで、月曜日に突然閉園することだけは防ごうと、現場のスタッフ全員が一致したのである。

話し合いの様子
話し合いの様子

 保育士たちの力で、月曜日から「自主営業」することことがこうして決まった。保育所閉鎖問題が社会問題化する中で、「一斉退職」ではなく、「自主営業」を選択した極めて貴重な実例だと言うことができるだろう。

 とはいえ、会社が倒産した後に労働者が「自主営業」を行うことなど可能なのだろうか。非現実的だと思われる方もいるかもしれない。だが、これまでにも会社倒産後に、労働者が「自主営業」を行った実例は少なくない。

 たとえば、東京都豊島区にあるインドカレー屋のシャンティでは、半年近い賃金不払いの後に倒産したが、その際に労働者たちが数か月間、自主的に営業を続けていた(詳細は「「給料未払い」インド料理店から経営者が消えた 「自主営業」続ける外国人労働者らの声」(-CASTニュース)を参照)。

 あるいは、リーマンショック時に倒産した「京品ホテル」を労働組合が自主営業したケースは全国に大きく報道された。

 そもそも、保育園のような小規模な施設や店舗であれば、普段からその運営を行なっているのは労働者だ。経営者が逃げてしまったからといって営業ができなくなるというものでもない。

 職場の労働者の合意さえあれば、「自主営業」を遂行すること自体は決して不可能ではなく、日本社会の歴史においても実例が多いのである。

「自主営業」が成功する鍵は?

 今回の保育園のケースで、「自主営業」が成功するために注目したいポイントは二つある。

 一点目は、保育士たちの取り組みに、園児の保護者との協力・連携だ。

 会社取締役が保育士たちに保育園の閉鎖を告げる場に居合わせた一部の保護者は、保育士と一緒になって会社と交渉し、月曜日の「自主営業」に協力するという意向を示しているという。

 また、保育士たちも保護者と積極的にコミュニケーションをとろうとしている。閉園を告げられた翌日には保育士たちが保護者に電話をかけて事情を話し、労働組合の主催する保護者説明会の案内をしたという。

 「自主営業」が成功するためには、保護者たちの理解を得て、信頼関係を構築することが不可欠だ。協力してくれる保護者がいるというのは成功の大きな要因になるだろう。

 もちろん、今回の自主営業では、保育士自身の賃金債権の回収や雇用の確保も目的の一つではあるだろう。ただ、それ以上に「子どもたちを守りたい」という思いが彼女たちを動かしているという。だからこそ、保護者との連携が上手くいきつつあると考えられる。

 注目したい二点目は、労働組合の制度をうまく利用している点である。

 労働組合というと、「春闘」のような賃上げ交渉をイメージする方も多いと思うが、むしろ、仕事のやり方も含め、職場で起こるあらゆる問題に柔軟にできるところに労働組合の強みである。今回のようなケースでも、労働組合の柔軟な対応力が発揮されているといえるだろう。

 また、労働組合に加入していることによって、突然の倒産のような不測の事態でも、組合員の間で協力して事態に対処することができる。

 実際、今回のケースでは、保育士たちが閉園を告げられたその日からユニオンの組合員が代わる代わる支援に訪れ、「自主営業」に向けた準備を手伝っているという。

 「介護・保育ユニオン」は、企業を超えた業種別ユニオンであるため、同業他社の保育士が支援をすることができるのである。

社会問題化する“突然閉園”

 保育園が突然閉園するということは、子どもを預けている保護者からしたら悪夢のようなことだろう。だが、その悪夢のような事態は頻繁に起きている。

 今年1月には千葉市にある認可外保育所で園児約30人が突然の閉園により退園を余儀なくされ、今年3月には川崎市でも認可外幼稚園で300人近くの園児が同様に“突然閉園”に遭っている。

 参考:千葉市の認可外保育所突然閉鎖 経営悪化、来月末で 保護者困惑と不安

 参考:川崎市内の認可外“幼稚園“が破産と閉園を通告

 こうした「突然閉園」の多くは認可外施設で起きている。行政による規制・監視が及びづらい領域で、子どもや保護者を犠牲にする身勝手な閉園が蔓延っているのだ。

 無責任な保育園経営が広がる要因には、近年進んだ保育の民営化もある。保育業界で儲けようとノウハウもないのに参入してきた民間業者が、利益を重視した運営を進めた結果、保育の質が低下しているのだ。

 新規参入した企業が、人材の確保や育成もままならないままに事業を急拡大し、事故を引き起こす事例が相次いでいるとも言われている。酷い場合には、虐待や死亡事故に至ることもある。

 そして、経営状態が悪くなれば、あっさりと閉園してしまうのだ。

 こうした業界の状況を考えると、経営の行き詰まりの中でも、諦めずに園に止まり、状況を変えようとしている今回の保育士たちの取り組みは、保育業界に一石を投じる意味がありそうだ。

 「自主営業」が成功すれば、今後似たような状況に追い込まれた保育士が、同じ選択肢を取ることもできるかもしれない。しかし、当然ながら「自主営業」は簡単なことではない。上述したとおり、この園は経営状態も保育状態も酷いものである。立て直すのは容易なことではない。

 当面のスタッフの人件費をどう捻出するかも課題だ。介護・保育ユニオンは、クラウドファンディングを立ち上げ、寄付を集めることも検討しているという。

 保育士だけの力では限界がある。今後は、行政や利用者を含め、社会全体で保育を支えていくという動きが重要になるのではないだろうか。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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