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【NCAA】留学のキーパーソン仙台大明成 髙橋陽介コーチに聞く①日本の高校からD1ルート開拓への挑戦

小永吉陽子Basketball Writer
菅野ブルース(左)山﨑一渉(右)と髙橋陽介コーチ(写真/小永吉陽子)

日本の高校からアメリカの大学に売り込む前例なきチャレンジ

山﨑一渉と菅野ブルースは八村塁に憧れて仙台大明成高(以下明成)の門を叩き、アメリカの大学へ留学した選手だ。

山﨑はNCAAディビジョン1(以下D1)のラドフォード大に進学。八村に続いて日本の高校から直でD1に進学する2人目のプレーヤーとなった。菅野は短大のエルスワース・コミュニティカレッジ(NJCAA)へ進学してD1へのトランスファーを目指していたが、早くもシーズンが始まる前にD1からのオファーを勝ち取っている。今シーズンは短大でプレーするが、来季からはD1でプレーすることがほぼ確実になっている。

2人のアメリカ留学は先輩である八村塁のケースとは異なる。八村は高校2年次に出場したU17ワールドカップで注目されて強豪大学からオファーを受けたが、2人はコロナ禍の厳しい情勢下、様々な国際大会やキャンプ等が中止になる中で、日本の高校が独自ルートで進学先を切り拓くという前例のないチャレンジで留学先を決めた。

明成バスケ部は2人をアメリカに送り出すために、どのような取り組みや準備をしてきたのだろうか。自身も大学時代にアメリカ留学の経験を持ち、留学への窓口となった仙台大明成バスケ部の髙橋陽介アシスタントコーチ(アスレティックトレーナー)に話を聞いた。<前編>では、渡米が困難なコロナ禍でのNCAAへのルート開拓、進学先決定までの過程についてインタビューした。

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高校3年次にU19ワールドカップに出場。山﨑は平均14.6点で日本のスコアリーダーに。3Pは43.9%で全選手の中で3位。菅野はシックスマンとしてプレーして平均5.6点(写真/FIBA)
高校3年次にU19ワールドカップに出場。山﨑は平均14.6点で日本のスコアリーダーに。3Pは43.9%で全選手の中で3位。菅野はシックスマンとしてプレーして平均5.6点(写真/FIBA)

コロナ禍、NCAAルール変更の壁。八村塁のケースとは異なる留学事情

――山﨑一渉、菅野ブルース選手の留学準備はどのようにして進められたのでしょうか?

2人ともアメリカの大学でプレーしたい気持ちは持っていたのですが、国際的には名前が知れ渡っていませんでした。3年の夏にU19ワールドカップに選ばれたので、ここが一つのチャンスでしたが、思うような成績は残せませんでした。それでも大会後には2人とも「アメリカでプレーしたい」という意志を固めたので、スタートは遅かったのですが、そこから本格的に準備を開始しました。それまでも独自で英語の勉強はしていたのですが、短期間で英語のスコアを伸ばさなければならなかったので、テスト対策用の勉強が必要になります。そこで、附属である仙台大の英語の先生に協力してもらい、部活動の練習後に英語の勉強に取り組みました。また、私の方ではアメリカの大学に2人を売り込みしていきました。

――どのようにして売り込みをしていったのですか?

私が知っている限りの知人を通じて、2人のハイライト映像と英語のプロフィールをアメリカの各大学のコーチに送りました。返信が来るかどうかわからないけれど、とにかく2人を表に出していったのです。

2人は1年の時に「NBAグローバルアカデミー・オーストラリアのディベロップメントキャンプ」に呼ばれましたが、そんなにアピールはできなかったと思います。また、一渉は2年生のときにテキサス州で予定されていた「NBAグローバルアカデミーゲームズ」に招待されましたが、コロナウィルス感染拡大の影響で中止になりました。だから、まずは2人をアメリカのコーチに知ってもらうことが必要でした。

渡米直前まで明成の寮に残って勉強と練習を続けた2人。インターハイ県予選では佐藤久夫コーチと髙橋陽介コーチとともに、コーチングスタッフとしてベンチ入りを経験(写真/小永吉陽子)
渡米直前まで明成の寮に残って勉強と練習を続けた2人。インターハイ県予選では佐藤久夫コーチと髙橋陽介コーチとともに、コーチングスタッフとしてベンチ入りを経験(写真/小永吉陽子)

――売り込みをかけてすぐにオファーは来たのですか?

「興味を持っている」という話はいくつか来ましたが、すぐにオファーというわけにはいきませんでした。今のNCAAは塁(八村)の時とは違う現象が起きています。

まず、この2、3年はコロナ禍で試合ができない期間があったので、NCAAプレーヤーのエイジビリティ(資格期間)が1年増えています。ということは、大学でもう1年プレーすることができるわけです。ロスターが空くかどうかはシーズンが終了しないとわからないので、「返事は3月か4月まで待ってほしい」というチームが多かったです。

また、トランスファー(転校)の制度も変わりました。所属チームの合意がなくても選手の意志でトランスファーの希望が出せるようになり、トランスファー直後のレッドシャツ(公式戦出場が不可能な選手)も撤廃しているので、転校直後にすぐにプレーできるようになりました。今ではトランスファー選手の取り合いが起きているほどです。

一渉やブルースのようなインターナショナルの選手、つまり留学生を育てるのは言葉の面からも労力がかかるので、相当な期待がない限り大学側は勧誘しません。それよりも、ある程度の実力がわかるトランスファー選手を取りにいくのが現在の傾向です。そうした事情から、なかなかスポットが空かなかったのです。

決まらなかった中でもメールが来ればすぐに返信しましたし、興味を持ってくれたコーチとは時差がありながらも何度もオンラインミーティングをしました。ミーティングには本人たちが同席したこともあります。秋から春まではその繰り返しでした。

――ウインターカップ等のハイライト映像はアメリカのコーチからは評価されるのでしょうか?

リクルートの資料としてはウインターカップの映像も必要なのですが、ウインターカップはあくまで日本の大会なので、アメリカのコーチからするとレベルがわからない。30点取ったといってもインパクトに欠けるわけです。いいところを切り取ったハイライト映像で見る留学生よりも、実際にアメリカでプレーしている選手たちの方が勧誘しやすいことは間違いありません。

――U19ワールドカップ後の準備だったので時間も限られ、NCAAの制度が変わったことで、より困難になったわけですね

2人と塁の大きな違いは、塁の場合はU17ワールドカップでの活躍があったので、アメリカの大学から「ぜひ」という勧誘があったことです。今回は表に出る機会が少なかった2人をいかに表に出して興味を引き付けるかだったので、スタート地点も違うし、NCAAの制度も変わっていたし、たくさんの壁にぶつかりました。そこは私にとっても大きなチャレンジでした。

ラドフォード大のダリス・ニコルズ ヘッドコーチと山﨑一渉(写真提供/仙台大明成高)
ラドフォード大のダリス・ニコルズ ヘッドコーチと山﨑一渉(写真提供/仙台大明成高)

【山﨑一渉のケース】対応が早かったラドフォード大へ

――山﨑一渉選手はラドフォード大へ進学。どのような経緯で決まったのでしょうか?

ラドフォードは早い段階から声をかけてくれた大学だったのですが、やはりロスターのスポットが空かず、春先まで待ってほしいと言われていました。そうした中で一度は話がなくなりかけたのですが、4月下旬に「一渉がフィットできるポジションが空いた」とコーチから連絡がきて再検討に入りました。

決め手になったのはコーチたちの熱心さです。ヘッドコーチが海外でプレーした経験があることや、海外の選手を育てた経験があったので、留学生がアメリカの環境に慣れるのに時間がかかることをわかっていたんです。そんな中で「一渉のようないいシューターが欲しい。将来性があるから育てたい」と言ってくれたので一渉の心が動きました。

――他に候補はあったのですか?

コミットに近づいていた大学はいくつかありました。その中で最終的には2校に絞って決めました。留学生として入学するには色々な手続きが必要で、契約書にサインするまでの過程が大変なのですが、他のチームよりもいち早く対応してくれたのがラドフォードでした。

こちらとしては、遅くても6月中にはサマースクール(各大学が行っている夏季集中講義)に送り出したかったので、5月上旬には決めたかったのです。9月の授業始まりに合わせて渡米すると、環境にも英語にも慣れるのに時間がかかってしまい、1シーズンを棒に振ってしまう恐れがあります。そうした理由から、サマースクールの時期に渡米することを重要視していました。塁も同じ理由で5月中旬には渡米しています。

エルスワースCCのブライアン・ベンダー ヘッドコーチと菅野ブルース(写真提供/仙台大明成高)
エルスワースCCのブライアン・ベンダー ヘッドコーチと菅野ブルース(写真提供/仙台大明成高)

【菅野ブルースのケース】「1年でD1へ」の決意のもと短大へ

――菅野ブルース選手はエルスワース・コミュニティカレッジへ。どのような経緯で決まったのでしょうか?

一渉とブルースの決定的な違いは、U19ワールドカップでスタッツに残る結果が出せたかどうか。ブルースはそこまでスタッツが残せていないので、アプローチをしてくるD1チームが一渉より少なかったです。彼についても一渉と同じで、早く環境に慣れるためにはサマースクールを経験することが大事だったので、5月のゴールデンウィークまでにD1からオファーがなければ、次のケースを考えようと本人と話をして決めました。そこで、最終的に熱心に誘ってきた短大に行くことにしました。

――エルスワースに進学する決め手となったのは?

ブルースの場合、D1のコミットには至りませんでしたが、「フルスカラシップ(全額奨学金)でオファーしたい」という短大が何校もありましたし、プレップスクールからも声がかかりました。

その中で、次のステップに送り出してくれそうだと期待できたのがエルスワースです。エルスワースのコーチベンダー(ブライアン・ベンダーヘッドコーチ)はここ数年で短大からD1に十数人の選手を送った実績があり、D1でビデオコーディネーターやアシスタントコーチをした経験もあってネットワークがとても広い方です。

そのコーチベンダーが「ブルースはD1でプレーできる力があるから1年でトランスファーさせてあげたい。アメリカでプレーを見てもらえれば絶対にD1に行ける」と熱心に誘ってくれたので、その言葉を聞いて本人が決めました。また彼は「僕は選手のことを周りにアピールするのが得意なんだ」と言っていて、その言葉通り、渡米してすぐにキャンプやショーケースに参加できるようにしてくれました。

――プレップスクールを選ばなかった理由は?

大きな理由としては2つ。一つは、プレップスクールはフルスカラシップで獲るケースがあまりないので、経済的な理由で選択しませんでした。もう一つは、プレップスクールは大学ではないことです。基本的には1年だけ通う準備学校で、D1のコーチからプレーを見てもらえる機会はありますが、D1に行ける確約はありません。うまくいかなければ1年を棒に振ります。D1の確約がないのは短大も同じなのですが、短大は大学なので、4年制にトランスファー(編入)できれば、どの大学でも単位互換ができます。最短で卒業し、次のステップを考えるのであれば、選択肢の中では短大がベストでした。

――「1年でD1へ」との口説き文句は心強いですね。

これはD1のコーチたちが言ってくれたのですが、ブルースはD1で戦えるレベルの選手だと。ただ、今はトランスファーで年上の選手を簡単に獲れるので、インターナショナルの選手で、しかも直接見たこともない選手に奨学金を出す大学はそうそうないということでした。だから、「アメリカでプレーしてくれれば勧誘しやすいので試合を見に行くよ」と言ってくれるコーチは多かったです。もちろん本人の頑張り次第なので、ブルースには「1年目が勝負」とハッパをかけて送り出しました。

――そんな中で、ブルース選手はシーズン開幕前にD1のドレクセル大とトーソン大からオファーを受けました(10月7日現在)。先ほど言っていたキャンプやショーケースに積極的に参加した成果でしょうか?

そうだと思います。渡米直後から、コーチベンダーがD1のコーチに見てもらえる機会をたくさん作ってくれました。そこで自分の力を示せたのが、オファーという結果につながったのだと思います。信頼関係のもとでエルスワースを選び、期待していた通りの結果になったので、本当にうれしいですね。今のところ、ブルースのもとにはD1の2校から正式なオファーがありますが、他にもいくつかの大学が興味を示してくれていると聞いています。

(※このインタビュー後、2022年10月25日の時点でドレクセル大、トーソン大、ノースダコタ大の3校から正式オファーを受けている)

――D1の大学からオファーを受けるには、コーチやスカウトに直接プレーを見てもらって評価をしてもらうことが一番の近道なのですね。

D1のコーチたちは「ゲームを通して何ができるのか見たい」と言っています。あとは人間性が重要視されます。試合を通してどういう態度を取るか、そうしたところを評価するそうです。NCAAプレーヤーはあくまでもスチューデントアスリート。カレッジスポーツは人間形成の場なので、アスリートとしてチーム、そして大学にどう貢献できるかで評価されます。

これから大学のシーズンが始まります。学業と環境に慣れながら試合をこなしていくチャレンジが待ち受けますが、2人ともチームに貢献し、人間的にも成長できるように頑張ってほしいです。

(インタビュー後編に続く)

◆インタビュー後編

インタビュー後編は、日本の高校からNCAAに送り出すために、もっとも重要となる「留学先との信頼関係構築」と「英語対策」について聞く。

U19ワールドカップ直前、明成体育館「バスケラボ」の壁に貼られた「崖っぷち」を前に(写真/小永吉陽子)
U19ワールドカップ直前、明成体育館「バスケラボ」の壁に貼られた「崖っぷち」を前に(写真/小永吉陽子)

髙橋陽介 Yosuke TAKAHASHI

1980年生まれ(42歳)/宮城県仙台市出身/インディアナ州立大学大学院卒/仙台大准教授/全米アスレティックトレーナーズ協会公認(NATA BOC)アスレティックトレーナー/明成バスケ部には創部2年目の2006年より携わり、アスレティックトレーナー兼アシスタントコーチとして活動

山﨑一渉 Ibu YAMAZAKI

2003年7月10日生まれ/200センチ、95キロ/松戸一中→仙台大明成高→ラドフォード大/3ポイントを得意とするフォワード

菅野ブルース Bruce KANNO

2003年5月6日生まれ/198センチ、93キロ/花巻中→仙台大明成高→エルスワースCC/怪我から完全復帰して高3からPGに挑戦

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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