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八村世代<1>大学No.1マルチガード納見悠仁「自分にしかできないPGになって再び塁とプレーしたい」

小永吉陽子Basketball Writer
納見悠仁(のうみゆうと/青山学院大4年/明成高/182センチ、83キロ/PG)

今年の大学4年生は八村塁と同世代。彼らが高3のときのウインターカップ2015は、優勝した明成を筆頭に個性的なチームや選手が多く、見応えのある大会だった。大学4年になった今年も、関東大学リーグは混戦のシーズンで、インカレでも激戦ばかりだった。

また、現大学4年生は大学に入学した2016年にBリーグが誕生したことで、在学中からBリーグの特別指定選手契約や、3x3への参戦、そして海外へのルートを開く者など、プレーをする選択肢が一気に広がった世代だ。

バスケ界の環境が変わっていく中で過ごした大学4年生たちは、どのような考えを持って次のステージに進むのかを追う。最初に紹介するのは、八村塁と明成高時代に最高のコンビを組んでいた納見悠仁(青山学院大→島根スサノオマジック)だ。

高いシュートスキルを持つ中で、特に3ポイントとピック&ロールを使った展開が得意(写真/小永吉陽子)
高いシュートスキルを持つ中で、特に3ポイントとピック&ロールを使った展開が得意(写真/小永吉陽子)

シュート、アシスト、強いフィジカルで打開する1対1。何でもできるマルチガード

大学4年での納見悠仁の躍動は凄まじいものがあった。インカレでは準々決勝で白鴎大に1点差敗退という無念な結果となったが、秋のリーグ戦では青山学院大を2位に導き敢闘賞を受賞。久々に青学を上位に押し上げたのは「納見の勝負強さと心中した」と広瀬昌也ヘッドコーチが絶大な信頼を寄せるほど、納見が存在感を示したからだ。

得意の3ポイントや安定のミドルシュート、強いフィジカルで打開するドライブや1対1、ピック&ロールを使った展開やアシスト、ゲームコントロールと何でもできるマルチなガードぶりを発揮。関東リーグ戦での一試合平均得点は15.6点(1試合欠場しているので21試合で計算)、3ポイントの成功数では松脇圭志(日本大4年)に次ぐ2位だが、成功率では断トツの1位(44.4%、54/126本)を記録している。

納見悠仁といえば、八村塁の相棒として明成高のウインターカップ3連覇に貢献した選手としても知られている。明成は八村だけのチームではなかった。全員が球際に強く、相手にどんな仕掛けをされても対応し、どこからでも打てる3ポイントが強みだった。そんな中で絶対に崩れないシュート力とゲームコントロールを発揮していたのが納見悠仁だ。ウインターカップでは2年連続でベスト5を受賞。シューティングガードからポイントガードにコンバートしたのは高3だが、2年次から常にボールハンドラーの役目を担っていた。

高校時代の輝かしい実績は大学入学後もすぐに発揮され、1年次には関東大学新人戦で優勝に貢献して新人王を受賞。しかし、2、3年次には迷いから吹っ切れないプレーを見せることも多かった。今では「あの悩んだ期間があったから、今こうして自分のプレーに自信を持てるようになった」と振り返ることができるが、高校ナンバーワンガードだった納見がぶつかった壁と乗り越えた試練とは何だったのか。

予期せぬ怪我と迷いあるプレーからの脱却

納見は1年生の夏過ぎから右膝を痛めていた。手術をするほどではないので公表はしなかったが、膝の関節や腱が固くなり、痛みと付き合いながらプレーをしていた。2年を目前にしたオフ期間に取材をしたとき「膝の痛みを言い訳にはしたくないですが、全力でやれないので自分のプレーには納得していません」と語っており、その顔つきはリハビリに専念していたせいか、丸くなっていたことを覚えている。

「膝のリハビリ期間は練習があまりできなかったので、ウエイトトレーニングで上半身を鍛えて基礎作りをしてしました。ちょうど体をゴツくしてフィジカルを強くしたかったので、トレーニングで追い込んで、意識してご飯をたくさん食べていたんです。そうしたら体重が増えて体が大きくなったのは良かったんですけど、みんなからは『太った』と言われましたね」(納見)

試練は続く。リハビリとトレーニングによって膝の痛みはいつしか軽減し、鍛えた上半身を手に入れることはできた。だが、たくましくなった上半身に比べて下半身の筋力が追いつかず、体の使い方がアンバランスになり、安定したプレーはできなかった。それでもシュート力には目を見張るものがあることから、シューティングガードをこなすこともあったが、ポイントガードとして独り立ちしたい思いが吹っ切れず、迷いから積極性を失っていた時期もある。次第に下半身強化が追いつき、増やした体重に慣れたプレーをするようになるが、切れ味を取り戻すにはもう一歩の努力が必要だった。4年生になってキャプテンを任されると、これまで以上の自覚が納見を突き動かしていく。

青学は春のトーナメントではチームが機能せずにベスト16に終わるが、4年生を中心に何度も話し合って膿を出していく。そこで「勝ち方を知っている納見がみんなをまとめてくれた」と、横須賀学院中以来のコンビを組むナナー ダニエル弾が証言するように、修正しながら勝ち星を重ねるごとで、チームに手応えが出てきたのだ。加えて青学はここ数年、主にキャプテンが試合のビデオを見てスカウティングを担当しているというが、広瀬ヘッドコーチいわく「納見はとことん試合を見て誰よりも勉強しているので、もともと持っているバスケIQがさらに深まって周りがよく見えるようになり、チームメイトへの伝え方に工夫ができるようになったんです」と誰もが信頼を寄せる選手へと成長していった。

オフ期間には3x3プレーヤーとして活動している従姉(いとこ)の立川真紗美(元3人制、5人制日本代表、JX-ENEOS→富士通)とともにワークアウトを行い、ハンドリングやドリブルのスキルアップに励むようになった。そうした自発的な行動こそが停滞していたプレーを払拭させ、以前よりバージョンアップした姿を見せることにつながったのだ。

高校、大学でのキャプテンの経験がリーダーシップを培った(写真/小永吉陽子)
高校、大学でのキャプテンの経験がリーダーシップを培った(写真/小永吉陽子)

相棒・八村塁と同じ背番号21を背負って

納見は大学2年から背番号を『0』から『21』に変えている。『21』は明成時代の練習着の番号である。「高校時代に21をつけて練習して成長したし、もともと好きな数字。1年から21にしたかったけど、4年の先輩がつけていたので、卒業して空いてからつけました。それに、塁がゴンザガでつけていた番号なので一緒でいいなと思って」とその理由を教えてくれた。(ちなみに、青学2年の相原アレクサンダー学の背番号36、1年の川村亮汰の背番号47も明成時代の練習着の番号)

明成高時代、恩師・佐藤久夫コーチからいちばん叱責を受けていたのは、この納見と八村だった。佐藤コーチから大黒柱へと任命されていた2人への要求レベルは高く、厳しいものだった。

「納見は冷静さがあるけれど、マイペースに自分のリズムでやるところがあったので、自分で行くところと味方を生かすところの駆け引きができるように、厳しい要求をし続けました。そうした殻を破ったことで、勝負所で立ち向かっていける選手になったのです」と佐藤コーチが言えば、高校時代に八村は「納見のプレーっていつも余裕があるんですよ。余裕があるから周りが見えている。それでいて、負けず嫌いだからすごいアグレッシブ。納見にはたくさん助けられました」と信頼を寄せていた。余裕が出てきて駆け引きが巧みで負けず嫌い。その全部を出したのが大学4年でのプレーだ。

次なるステージはBリーグの特別指定選手契約として島根スサノオマジックでプレーすることが発表された。高校時代からプロ志望であり、多数の勧誘があった中で、考え抜いてチームを決めたという。

「島根はこれからのチームで、自分も試合に出られる可能性がある。今、ゲーム感覚があるうちに、早くプロでの戦術を覚えてたくさん経験を積み、もっともっと成長したい」ことが理由だ。その先には八村塁の存在がある。

「塁は明成で叩き込まれた基礎があって、そこから高いレベルでいろんな経験をしてうまくなり、今は次元が違うところでプレーをしていて、日本中に刺激を与えている。塁が活躍する姿を見て自分も頑張ろうと思えるし、また一緒にプレーしたい。自分が塁と同じ土俵で戦うにはプロでの経験が必要で、結果を出さなければならない。自分がトップレベルになって、日本代表を目指せばまた一緒に塁とプレーができる。そうなれることをモチベーションとしてやっていきたい」

八村塁と最高のコンビを組んだ高校時代。いつの日か、同じステージに立つことを目指してプロでの生活が始まる(写真/一柳英男)
八村塁と最高のコンビを組んだ高校時代。いつの日か、同じステージに立つことを目指してプロでの生活が始まる(写真/一柳英男)

自分にしかできない司令塔を目指す

インカレでは準々決勝で、白鴎大に1点差(71-72)で逆転負けを喫した。ナナー ダニエル弾とのピック&ロールが冴えわたり、納見はチーム最多の26得点を叩き出す。しかし青学の勝ちパターンである3ポイントを打つ展開が作れず、最後の逆転をかけた場面では、シュートを打つこともパスを演出することもできなかった。タイムアウトで決めた作戦通りにいかず、ボールを持つことができなかったのだ。「1点差で負けたのはキャプテンでポイントガードの自分のせい。最後の勝負を決める選手にならなくては」と大きな宿題が残っている。

再び八村塁が待つステージへ。すなわち日本代表へ駆け上がるためには、「自分の良さであるシュート、パス、ゲームコントロールができるスタイルを貫いて、もっと磨きをかけたい」と語る。そして「こういうタイプのガードはあまりいないと思うので」と言うように、納見悠仁にしかできないスタイルの司令塔になって勝利に導くことがプロ選手としての目標だ。

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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