八村塁の恩師・佐藤久夫コーチインタビュー「高校3年間は世界に羽ばたく準備期間だった」

明成高・佐藤久夫コーチと信頼関係の下、たくましく育った八村塁(写真/小永吉陽子)

八村塁がNBAのワシントン・ウィザーズからドラフト一巡目9位で指名を受けたことは日本のバスケットボール史における快挙だ。NBA選手の誕生に、八村を育成した明成高校の恩師、佐藤久夫コーチ(69歳)は「本人が頑張って切り拓いた道。私は何もしていない」と発言しているが、毎年のように八村が成長していく姿を日本で見続けたファンにとって、佐藤コーチが何もしていない、などと思っている者は一人もいないだろう。

日本のバスケットボール界は、八村塁というスペシャルな選手の出現を、その類稀なる才能の開花だけで片付けてはならない。アメリカの強豪大学で戦い、NBA一巡目指名選手へと躍進した背景には、日本の中学と高校の6年間、コーチや仲間に支えられ、自らの心技体を鍛えてきた準備の道のりがあってのこと。特に著しい成長で飛躍した高校3年間は、心技体にわたって世界で戦うための基礎作りをした時期だった。八村は高校卒業時に「高校ではバスケの技術もそうですけど、バスケの考え方や男としての態度とか、心の部分をものすごく学びました。明成でなければ、自分はここまでの選手にはなっていない」と語っている。

『八村塁』の根幹を形成した高校時代について、佐藤久夫コーチのインタビューを3回にわたって紹介したい。

佐藤久夫/69歳。仙台高でウインターカップ連覇。2005年創部の明成高では5度のウインターカップ制覇に導く。激しい情熱と発想豊かなアイディアを生かしたバスケを展開(写真/小永吉陽子)
佐藤久夫/69歳。仙台高でウインターカップ連覇。2005年創部の明成高では5度のウインターカップ制覇に導く。激しい情熱と発想豊かなアイディアを生かしたバスケを展開(写真/小永吉陽子)

勝つことより、将来どうしたいか?を問いかけた3年間

――八村塁選手がドラフト指名を受けて、どのような感想を持たれましたか?

何位で指名されてもすごいことだけど、TOP10に入るなんて大したものです。ずっとNBAでプレーしたいというモチベーションを持ち続け、本人が努力したからこそ今につながったんだと思います。指名されたあとに本人から電話があって「先生のおかげです。感謝しています」と言われて「そんなことないから、それは言うな」と押し問答のような電話になってしまったけど、「これはスタートだから」と言ったら本人も「ここから頑張ります」と。「フライトが長いけれど絶対にワシントンまで試合を見に来てください」と言われて、私も年を取ったせいか、涙もろくなって涙ぐんでしまいましてね…。

――八村塁という逸材を、高校3年間ではどのような方針で育成してきたのでしょうか。

「八村塁をどうやって育てたのか?」とはよく聞かれるけども、言葉で表すのはとても難しいことです。「こういうことがありました」と紹介することは簡単だけど、その前にもいろんなことがあるわけで、いろんなことをクリアしていく繰り返しだから。ただ、塁が今までの選手と明らかに違ったのは、潜在能力が抜群に高いことでした。

まず高校に入ってきた時から本人は「将来はNBAでプレーしたい」と夢を語るように言っていました。「だったら、高校で何をすべきか? アメリカの大学に行くべきじゃないか?」と問いかけたのが最初。それは「勝つためにどうするか?」より、問いかけが多い3年間だったと思う。将来を考えるならば、対応力をつけてバスケットボールの考え方を身につけることが大切。がんじがらめに型にハメないで、高校のうちにいろんなポジションを経験すること。そうしたやり方に本人がイメージを持って取り組めたことが成長できた要因でしょう。

――「イメージを持つ」とは具体的に言うと、どういうことですか?

「どういう選手になりたいか」という具体的なイメージを持つこと。自分のいいところを知り、どうやっていいところを伸ばせばアメリカでやっていけるか、というイメージですね。その中のひとつが「マジック・ジョンソン(レイカーズの往年の名選手)のようになれ」ということでした。入学してきた時はセンターだったけど、しなやかで柔らかいシュートを持っていたから将来的には外のプレーもできるだろうと。センターもガードもできる選手といえばマジック・ジョンソンのイメージがあったから、マジックのDVDを渡しましてね。そうしたらそれをずっと見ていて、NBAのゲームもよく見ていました。

怠けグセを改善。内面の成長に伴って技術も向上

――これは本人も認めていますが、1年生の頃はよく「サボリ」と叱られていました。改めて実感するのですが、高校でハードワークするようになったことが、先々につながったと感じます。この部分の指導は大変だったのでしょうか。

それは1年生の時の話だけど、この頃は怠けグセというか、集中力がなくなることがよくありました。このゲームは勝てたなあと思うと手を抜くとか。そういうのは誰でもありがちなことだけど、塁の場合は体が大きい分、目立ってしまってね。試合でも自分がやりたいようなバスケットをしていた。1年生のインターハイではメンバーチェンジをされたくなくて、フリースローをわざと落として試合に出続けたこともあったり。それは向上心でもあったけど、自分本位でもあり、チームとはマッチングしなかった。その一方で、ちょっと引いてしまうこともあって、1年生の夏過ぎまでは様々な不安定さがありました。

そうした技術的なことが1年生の頃は先行していたんだけど、技術を伸ばすには、内面性を同時に磨かないといけない。本人には事あるごとに自分が活躍することの重要性や将来設計について話をしましたが、そういう話をしていくうちに、だんだんと失敗した後のメンタルの回復のしかたを覚えていきました。また、悩みにぶつかった時には落ち込んで終わるのではなくて抵抗力を作るとか、技術よりもスポーツマンとしての内面性を作ることに多くの時間をかけて向き合いました。

――内面の高まりとともに、技術が成長していったのですか?

そうですね。どんどん彼の持ついい面が出てきたし、要求を高くしていきました。これは優れた選手に多いことだけど、優れた選手は悔しい思いやメンバーから外される経験をあまりしたことがない。いつも大事に育てられて温室の中にいる。でもそれではアメリカの大学では通用しない。アメリカでやるためには強い内面が必要だから、いつも彼に盛んに言っていたのは、とにかくアメリカの大学はハングリーで人に負けたくないという競争心だらけの選手の集まりだから、闘争心をむきだしにしてやらないと置いていかれるばっかりだと。それを大学に行ってからやるのでは遅い。日本にいるうちから手を抜かずにやれ、と言い続けました。

――日本にいながらハングリーな環境を与えるために、八村選手に対しての要求が厳しかったことは、練習や試合からも伝わってきました。決して温室育ちではなかったです。

日本の文化を尊重し、チームを引っ張ることに対して、「エースの風格を持て」という話はずいぶんとしました。でもそうした取り組みの中で、塁が何よりも素晴らしかったのは、コーチが言っていることの奥にあるものを理解できたこと。「なんで先生は僕にこう言っているのか」と言葉の真意を理解したり、「このプレーはこの局面で使えばいいのか」という選択がすぐにできたり。早くから言葉の奥にあるものを理解して行動に移していました。中には人の話を聞けなかったり、「ハイ」と返事だけする選手もいる中で、話に耳を傾けて実行できたのが八村塁という選手なんです。

パワフルさとしなやかさを兼備し、状況判断に優れたプレーを展開した八村塁。バスケへの理解を深めたことで飛躍的に伸びた(写真/小永吉陽子)
パワフルさとしなやかさを兼備し、状況判断に優れたプレーを展開した八村塁。バスケへの理解を深めたことで飛躍的に伸びた(写真/小永吉陽子)

U17世界選手権で得点王になったあと、夢が目標へと変わった

――佐藤コーチも八村選手も、高2の夏に開催されたU17世界選手権(現ワールドカップ)で得点王を取ってから、「アメリカでプレーすることが夢から目標になった」と当時は言っていました。そこからプレーや気持ちはどう変化したのですか?

誰だってNBAは夢だから行きたいと言う。高校に入ってきた頃はまだ夢物語でした。でも世界選手権で強い相手と戦ってからは夢が目標になって、目覚めたんですよね。そこで「目的を果たすためにどうすればいいか?」と具体的に考えるようになりました。アメリカで通用するなら、日本でも絶対に通用するのではないか。だったらアメリカで通用するプレーを目指そうということを再確認して、なおかつアメリカの大学でやるには、ポジションは4番(パワーフォワード)でも5番(センター)でもないと思ったし、本人も外回りのプレーをやりたがっていたので、いろんなポジションの練習をしました。それが高校でできる将来に向けた準備でしたね。

――NCAAでプレーするには、学内成績とSAT(米国の大学進学者を対象とした適正試験)の総合成績の基準を上げる必要があります。バスケで高校日本一を目指しながら、受験勉強をするのは大変だったのでは?

勉強はやればできるのだろうけど、それまでは勉強のしかたがわからなかったのと、勉強する気がなかった。やっぱり、世界選手権のあとに夢が目的になって、目的を果たすためには勉強が必要だとなってから、やるようになったんです。そうしたら、やっぱり頑張る力があるんですよ。ここを頑張ればモノにできるというところでモノにしてしまうんだもの。本当に大したものです。それは決してメンタル的なものだけではないと思う。気持ちが強い、弱いの話ではない。技術や身体能力の面で自信がついていったから、どんどんやる気が出たのだと思います。

――技術面で聞きたいのが、八村選手の代名詞といえるポストムーブとジャンプショットについて。とくにポストムーブは1年生のウインターカップで見た時は衝撃的でした。得意技を身につけることも早かったのですか?

ポストでの面取り、足の使い方、腕の使い方、フェイクのしかた、目線、ブロックショットのタイミング、相手との駆け引きとか、一つ一つ練習していったけど、飲み込みはすごく早かったです。塁がいちばん得意だったのはジャンプショットだったから、これはどんどん打っていいぞというゲームの作り方をしました。多くの選手はそういったことを教えてもすぐに3対3とか5対5で使いこなせないし、失敗することを怖がる選手もいる。でも塁は違う。飲み込みが早いのと、習ったことはすぐにやってみようというチャレンジ精神がありました。八村塁の何が優れているかと言えば、そういうところでしょう。いわゆるバスケIQがものすごく高い。飲み込みが早いものだから、環境のいいところでやれば、彼の持っている潜在能力はもっと引き出されていくのでは、と常に思っていました。

――そうした適応力の高さが、U19代表でも、ゴンザガ大でも、日本代表でも、どこのチームでプレーしてもすぐに中心選手になれることにつながったのでしょうか。

そうでしょう。だから、こういうプレーをしなさいという指導ではなく、このプレーはこの局面、このタイミング、この対峙の場面でやれるんじゃないか、こういう選択だったらどうだ、という問いかけをよくやりました。八村の代の選手たちは、その問いかけを選手たちで選んでいくような練習を真面目にやった代でした。塁がすぐに理解できるものだから、ゲームでは彼が率先してリーダーになってくれました。(続く)

一つ一つのプレーを丁寧に体を張って指導する佐藤コーチ。八村が得意とするポストプレーはこうして身についた(写真/小永吉陽子)
一つ一つのプレーを丁寧に体を張って指導する佐藤コーチ。八村が得意とするポストプレーはこうして身についた(写真/小永吉陽子)

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