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八村塁の恩師 佐藤久夫コーチインタビュー2「潜在能力を引き出す指導に取り組んだ3年間」

小永吉陽子Basketball Writer
コーチとチームメイトとの深い絆が高校での勝利と成長をもたらした(写真/一柳英男)

八村塁を育成した佐藤久夫コーチのインタビュー第2弾。高校時代に八村塁が持つ潜在能力の高さをどのように引き出し、さらに伸ばしたのか。その指導法に迫った。

◆インタビューVol.1 「高校3年間は世界に羽ばたくための準備期間だった」

一人で2人分の仕事をして対応力を伸ばす

――八村選手の潜在能力が高いことは、高校だけでなく、大学でも言われていました。八村選手の潜在能力とはどういうもので、その能力はどう伸ばしていったのでしょうか?

潜在能力とはいわゆる「伸びしろ」のことなんだけど、塁の持つ潜在能力をどうやって引き出し、さらに上のステージに上げていくか。その取り組みは本当にやったと思います。特にやったのが、一つ上のカテゴリーである大学生と多くの試合や練習をしたことでした。また、3年生になってからは4対5の練習をかなりやりました。4人のほうに塁が入れば、彼が2人分の仕事をしなければならないから、対応力が身についていきます。

塁の場合は、国際大会なんかがそうだけど、力量の高い選手とやればやるほど伸びていく。大学生と対人をやらせると、最初はちょっと戸惑っていても、やっていくうちに追いついて、通り越してしまうところがある。伸びしろの天井がまったく見えませんでしたね。

――八村選手に聞くと、高校時代に自分が成長できたのは「オフェンスがフリーランスで自由に攻められた」「1対1の練習が多かった」ことが良かったと言っていました。

あの代は自分たちで攻撃を作る練習をよくやりました。私が用事で練習に行けない時には宿題として「エンドスローインをいくつか考えておけ」とか、自分たちで考えることを多くやった代です。私にとって、フォーメーションというのは大したことのないプレーなんですよ。選手たちの発想で攻めた時のほうがいいものを生み出す。自分たちで作るものだと、チームで誰を使おうかと自分たちで考えるから、チームや仲間を見つめ直すことができる。選手たちで編み出したもののほうがやっていて自信がつくし、爆発力も出る。だから、選手同士でやっているときは、多少展開が悪くても目をつぶります。

ただ私もコーチなので、この選手はどういうプレーをやるのがいいのか、どういうことをやれば伸びるのかというのは、ちょっとは考えますよ。ちょっとですけど(笑)。まずやらせてみて、チャレンジさせてみて、そして使いどころを考えていく。塁の持っている計り知れない良さを伸ばすのと同時に、他の選手の良さも出していく。そして同時に勝つことも目指す。その両方を目指すことは、実はずいぶんと悩んだところです。

土浦日大とのウインターカップ決勝は我慢の展開から4Qに爆発して勝利。どんなタイプのチームと対戦しても対応できるチームだった。左から三上侑希、足立翔、八村塁、納見悠仁、富樫洋介(写真/小永吉陽子)
土浦日大とのウインターカップ決勝は我慢の展開から4Qに爆発して勝利。どんなタイプのチームと対戦しても対応できるチームだった。左から三上侑希、足立翔、八村塁、納見悠仁、富樫洋介(写真/小永吉陽子)

高校も大学も要求は同じ。「塁はもっとやれる」

――八村選手は高2から外のプレーをやることが増えましたが、かといってメンバー構成上、八村選手がインサイドをやらなければ勝利できないこともあり、中と外をバランスよく展開する難しさはあったのではないですか?

それはありました。いつのタイミングで中のプレーをやって、いつのタイミングでアウトサイドに出るか。でも、彼はそうした駆け引きにも長けていて、チームメイトをうまく生かしていました。ただ、今でも思い出すのが3年のウインターカップ決勝、土浦日大との対戦。これは苦戦しました。

ガード陣がプレッシャーをかけられて困っていた時に、塁にはいつもやっていたように、どんどんボールをつないでガード的なプレーをやってほしかったのですが、大事なところでガードからのパスを待っていました。彼としてはインサイドの仕事を十分にやっていたけれども、力量からすればもっといろんなことがやれた。普段はあれこれ言って指導しますが、全国大会ではなるべく指示を出したくなかったんですが、でも言わなければならない局面だったので、「そこはもっと前に出て行って、もっとつないで、ガード的なことをどんどんやってもいい」と指示をしました。

他のメンバーよりも展開が読める選手だからこそ、あえて彼には「もっとできる」と指示を出したんです。彼にとっても「ここは俺がやれば勝てる」とわかりながらプレーをしているところがあるので、コーチとしてはそれをもっと出してほしいわけです。そのもっと出してほしいところで遠慮してしまうところが、ほんの少し、ほんの少しの積極性や闘争心の足りなさだったのかもしれません。

――ゴンザガ大を取材して感じたのは、コーチ陣の要求が佐藤コーチと同じだったこと。ゴンザガでは戦う姿勢を求めて「タイガーになれ」「君は日本人として先駆者なんだ」という言葉でハッパをかけていましたが、それは佐藤コーチの指摘と同じでした。もちろん、アメリカでは日本以上に競争レベルが上がった中での指摘なのですが。

「タイガーになれ」という指摘は、それがしいて言えば彼の足りないところ。パーフェクトな選手なんて誰もいないから、本当にしいて言えば、だけど。ゴンザガでもチームの中で必要なことはちゃんとやっていました。でもコーチたちも「塁ならもっとできる」「もっとリバウンドが取れる」「もっと跳べる」「ここはお前で勝負したい」という要求だったのでしょう。

けれども、アメリカという環境の中で3年生の時にはチームの中心選手になり、「タイガーになれ」という課題をクリアして、ゴンザガのコーチから認められた。それは素晴らしい成長だと言えます。

――佐藤コーチもゴンザガのコーチも八村選手に対して「もっとできる」と言います。それが、ウィザーズでも期待されている「伸びしろ」なのでしょうか?

まさしく、伸びしろですね。彼はまだまだ、まだまだ力が出せる。彼の持っている潜在能力をもっと出すには、年齢的にこの2~3年にどれだけ経験させるかが勝負だと思います。私の考えでは、アメリカの大学ではアウトサイドにポジションアップすると思っていたので、それがなかったことが、たったひとつ、たったひとつだけ描いたアメリカの事情とは違ったけれど、でもそれはチーム事情だから。チーム事情の中では求められたことをしっかりとやっていたから。外回りの練習は大学でもずっとしてきただろうから、まだまだ伸びると思います。

それに何といっても、本人がモチベーションの高さをずっと継続していた。言葉も話せない日本からやって来て、アメリカの中で困難がたくさんあっても這い上がって頑張り抜いた。彼は高校時代に仲間を助けてチームを勝利に導くような「困難をクリアしていく楽しさ」を覚えてアメリカに行きました。そうした意志の強さや行動力からくる成長が、ドラフトで評価されたのではないでしょうか。今までの経験を発揮していくのはこれからですよ。

「筋力をつけながらも、バスケのパフォーマンスが向上するためのトレーニングを多くやった」と高橋アスレティックトレーナー。(写真/小永吉陽子)
「筋力をつけながらも、バスケのパフォーマンスが向上するためのトレーニングを多くやった」と高橋アスレティックトレーナー。(写真/小永吉陽子)

次の八村塁を育ててこそコーチらしくなれる

――八村選手のような逸材を指導した3年間は楽しかったですか?

ここまでの身体能力を持っている選手とは初めてのめぐり逢いだったからね。私にとっても、ここまでの逸材を育てるのは初めての経験でした。今でも、この体育館で塁やチームメイトたちと必死に練習したなあと思い出す中で、これはコーチとしては言ってはいけないことなのかもしれないけど、「試行錯誤だった」というのはありました。

彼は高校ではいつも100%の力ではなかった。3年のウインターカップの決勝は90%くらいの力を出したが、いつもは60~70%くらいで対応できていた。八村塁の100%がどんなものかは、高校3年間一緒にやっていても計り知れないものがありました。天井がない選手なので、これをやってみようと取り組んでは、指導の修正をする試行錯誤はありました。

――今思えば、高校のうちにこれをやっておけば、ということはあったのでしょうか?

最大限のことはやったという思いはあります。けれど「塁にとっては明成での練習は十分だったのだろうか」という試行錯誤はありました。あえて言うならば、もっとレベルの高いチームや大学生との試合を増やせばどうだったか、と思うことはあります。それでも、ずいぶんと大学生との試合はしたんだけれども、もっとやったらどうだったかと。ただ、一方では無理をしてケガをさせたくないという思いがありました。絶対にケガをさせてはいけないと、いつもコンディションを見ながらの練習でした。

――八村選手はここまで大きなケガとは無縁です。ケガをしないでアメリカへ送り出せたことも成長の大きな要因では。

1年生の時は疲労骨折をしたり、3年間を通しては捻挫をしたことはあるけれど、長い休養をしなければならないケガはありませんでした。それは陽介コーチ(高橋アスレティックトレーナー)がいつもチェックをしてくれたから。防げるケガはあります。第一にケガをしない体作りをして、なおかつ、バスケットのパフォーマンスを向上するためにどのようなトレーニングをすべきかを陽介コーチと話し合い、それに適したトレーニングを例年より強度を高めて取り組みました。陽介コーチにとっても、塁のような身体能力の高い選手との出会いは初めてだったので、トレーニングにおいてもチャレンジがあったと思います。

――八村塁がいたからといって簡単にウインターカップ3連覇できたわけではないし、能力だけで育ったわけではないと、当時の練習を見るたびに強く思っていましたが、今回話を聞いて、改めて覚悟を持って育成に取り組んでいたことを知ることができました。

塁が育ったのは本当に本人が頑張ったからなんです。私は塁にいい勉強をさせてもらいました。でも私もコーチだから、今度はコーチとして計画的に先を見据えて注目される選手を育成してみたい。それはコーチとすれば当たり前の思いだと思う。だから八村塁を育てたのは試合で言えば初優勝と一緒。今度はもっと将来的な計画性を持って、塁のような選手をもう一人、また一人と育てることができれば、私もちょっとはコーチらしくなるんじゃないか、と思っています。

インタビュー<3>「次の八村塁の育成と信念のチーム作りを」

「話をよく聞き、その真意を読み取って行動していたのが塁のすごさ」と佐藤コーチ(写真/小永吉陽子)
「話をよく聞き、その真意を読み取って行動していたのが塁のすごさ」と佐藤コーチ(写真/小永吉陽子)
Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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