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Jリーグのクラブにこの奇跡が起こせるか?久保建英のレアル・ソシエダの宿敵の輝き

小宮良之スポーツライター・小説家
スペイン国王杯で決勝まで勝ち上がったアスレティック・ビルバオの選手たち(写真:ロイター/アフロ)

 Jリーグのクラブに、この奇跡を起こすことはできるだろうか?

 スペインの北にあるバスク自治州、ビスカヤ県には「バスク人純血主義」を100年以上も貫くクラブがある。バスク人選手のみで、たった一度も2部に降格していない。今シーズンも、スペイン国王杯では決勝に勝ち進んだ。

 アスレティック・ビルバオは、世界でも特異なクラブと言える。

 アスレティックの下部組織レサマには、今も世界中からぞろぞろと関係者が視察にやって来る。なぜ、それだけの人材を育成し、バスク人だけで列強と渡り合えるのか。その謎を解き明かし、自国の育成やクラブマネジメントに還元したいのだ。

純血の意味

 バスク人は、バスク自治州、ナバーラ州を中心に人口約300万人。南米などへの移民の子孫も含めると、1500万人程度だろうか。

 彼らが話すバスク語は、スペイン語を含めた欧州の言語とは体系的に一線を画す。文化も独特で、ペロタや石持ち上げなどスポーツ競技も独自。風貌や体格からして、スペイン人とは違う。

 そもそも血液型で60%がRHマイナス遺伝型というから、”血”からして違う。

 アスレティックは、その血を重んじ「バスク人選手のみ」という縛りで100年以上も戦い続ける。同じバスクで隣の県にあるレアル・ソシエダも、1989-90シーズンまでは同じポリシーを持っていたが(アイルランド代表でリバプールから移籍してきたFWジョン・オルドリッジが初の外国人選手)、今や日本人である久保建英がエースであるように、より生え抜きにこだわるようになったとは言え、「バスク人のみ」の縛りは解き放っている。

「純血主義」

 それは民族の誇りであり、現代ではおとぎ話のように聞こえるだろうが、彼らはそれを現実にやり遂げている。

 もっとも、その縛りは「血のみ」ではない。バスク人選手には、「バスクで生まれ育った者」も含まれる。「共に暮らした者は同じ血肉を持つ」という考え方だ。

 例えば、現在アスレティックを率いるエルネスト・バルベルデ監督は、いわゆるバスク人ではない。しかし幼少期をバスクで過ごし、レサマで研鑽を積み、「純血」となった。トップチームでも活躍し、監督として戻ってきた。

 現在のエースであるウィリアムズ兄弟も、ガーナ人とリベリア人の移民の息子たちである。

 大事なのは、彼らを育んでいる「バスク」という土壌と言えるかもしれない。

特殊なトレーニングはあったのか?

 レサマが創立したのは1971年のことだという。それ以前、バスク地方に下部組織の概念はなく、海に面した土地が多い彼の地では多くの少年がビーチサッカー大会で技を磨いていた。

「私も故郷のサラウスで、ビーチサッカーのチームに所属していました。レサマは私が子供だった頃、存在していなかったんです」

 アスレティック史上最高の GKで、1964年には欧州選手権でスペイン代表として優勝したホセ・アンヘル・イリバルは笑みを浮かべて言っていた。

「70年代、スペインのクラブは下部組織を充実させる流れになりました。アスレティックも、育成面を組織化する必要に迫られたのです。当時、レサマは教会の敷地内だったこともあり、神父さんが施設内にいました。選手は試合前のミサに行って、家庭的雰囲気でしたよ。特殊な体力トレーニング? それは単なる言い伝えですよ(苦笑)。山々を数十キロ走り、石段を駆け上がるダッシュなど過酷なトレーニングもありましたが、当時の練習方法としては、どのチームも似たようなもので」

 レサマは過去50年以上、ラファエル・アルコルタ、ジュレン・ゲレーロなど優れた選手を輩出してきた。とりわけ、GKの育成は神がかり。90年代のアンドニ・スビサレータも長くスペイン代表のゴールマウスを守ったが、現在のスペイン代表もケパ・アリサバラガ、ウナイ・シモン、アレックス・レミーロと、なんと3人がレサマ出身だ。

 何より、緻密に張り巡らされた育成スカウト網が、レサマの強さの秘密と言われる。

限られた人材だからこそ大事に

 アスレティックは、お膝元のビスカヤ県を中心に100以上のバスク地方クラブと提携している。12歳から18歳まで能力の高い選手は毎週のように各地から選抜。1000万ユーロ以上を育成資金に投じ、その多くがスカウティングに充てられる。スカウトの給料、選手養育費、提携クラブに定期的に支払う育成援助だけでも安くはない。

「レサマの鍵はスカウティングです」

 イリバルは品の良い口調で語っていた。

「バスク人だけで戦うためには、バスクのクラブに所属する優れた才能を見極め、発掘し、レサマで育てる。その循環しか生き残る術はありません。我々のポリシーはハンディとも言えますが、限られた人材だからこそ大切にしますし、将来的に変えるつもりもありません。このポリシーのおかげで、レサマの少年たちの士気は高く、“自分たちも先輩の後に続く”と常に挑戦心に溢れていますから」

 15年間もデンマーク代表監督を務めたモアテン・オルセンを筆頭に50人もの指導者が来訪し、レサマを視察したことがあった。デンマークは小国でサッカークラブの規模も小さい。そこで指導者たちはレサマを模範にしようと探りに来たのだ。

 もっとも、レサマは紡がれてきた伝統であり、一朝一夕で学び取れるものではない。

「レサマを一言で説明するのは難しいですね。でも、最後の最後まで戦い抜く。それは受け継がれた伝統と言えるでしょう。バスク人はとても真面目で規律正しく、スペインの中でも選手のキャラクターは異端。我々はフェアでありがらも血湧き肉躍る戦いを好みます。その戦いそのものが、チームを前進させるんです」

 90年代までのレサマ入団条件は、Fuerte(頑丈な)、Potente(力強い)、Rapido(速い)、Altura(身長)の4つだったという。つまり、背が低いだけで落第だった。理不尽に思えるが、バスク人特有の大柄な体躯を生かした空中戦に特化し、相手を押し込んでいくパワープレーにこだわったという。それが歴とした一つのプレースタイル、伝統を作った。

 ただ、今はその縛りは解いている。なぜなら、小さい選手のボール技術が、その戦い方に変化を与え、むしろ強さを引きたたせる時代が来たからだ。

 しかし筆者が、今も覚えている風景がある。

 夜の帳が下り、ナイターの明かりが灯ったレサマで、様々な年代の少年たちが汗を流していた。柵の外では、視察に来たトップチームの指導者が熱心に練習風景を見守る。その緊張感が、少年たちに潜在する力を最大限に引き出す。ピッチではアーリークロスにFWが微塵の恐怖心も感じさせずに飛び込み、GKと交錯した。バキッ。肉と骨がきしむ。それこそがレサマ伝統の響きだった。

 彼らは今もバスク人だけで戦う覚悟でプレーを追求しているからこそ、時代に飲み込まれずに生き残っているのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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