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アジアカップ、鈴木彩艶は森保ジャパンの正GKにふさわしいのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:REX/アフロ)

 アジアカップ、日本代表のゴールマウスを守る鈴木彩艶(21歳、シントトロイデン)のプレーが物議を醸している。

 ベトナム戦、ヘディングで折り返されたボールを前にこぼし、失点を喫した。イラク戦、やはりクロスへの対応で弾く場所が中途半端になって、それを叩き込まれている。インドネシア戦、終了間際にほぼ正面、ニアサイドへシュートを打ちこまれ、これも失点になった。

 決勝トーナメント、バーレーン戦も味方のクリアが天高く上がったところで(フリーだったのでキャッチもあったが)、パンチングを選択してボールをこすり、相手ボールからのクロスをかぶる形でCKを与える。そのキックからヘディングを正面でセーブも真上に上げてしまい、慌てたキャッチで味方と交錯し、そのままゴールに入れてしまった。

 端的に言えば、それらの失点シーンが批判の根幹にあると言える。それを捻じ曲げた人格否定や人種差別など論外だが、「逸材を批判するな」も極端だ。

 そもそも、鈴木は代表の守護神にふさわしかったのか?

鈴木のせいだけではないが…

 元選手やゴールキーパー界隈の人々は、鈴木のプレーを擁護する傾向が強い。同志の心境か。

「そんなに簡単ではない」

 それが鈴木を擁護する柱にあるし、「類まれなるポテンシャルを生かすために場数を踏む必要がある」という意見だ。

 そこには、GKだけでなくディフェンスのミスはなかったか? という問題提起もあって、傾聴の価値はある。

 事実、ベトナム戦ではフィールドプレーヤーが簡単にクロスに競り負け、こぼれ球に対し、誰も反応できていなかった。イラク戦も、簡単にマークが入れ替わられたり、ゾーンに固執して相手をフリーにしていた。弾いた場所にしっかりと人が立って、少なくとも競り合えていたら、簡単にゴールを決められなかった。また、インドネシア戦もファーポストでゾーンの守りが破綻し、敵をフリーにしていた。

 GK鈴木のせいだけではない。

 しかし、ここで問題がある。

 では、鈴木のプレーは正しかったのか? 技術的な精度の話ではない。ジャッジレベルの問題である。

 まず、ベトナム戦で鈴木は確実に弾く選択をし、ゴールラインに向かって弾き出すべきだった。しかし、どこか中途半端に映る。大きく前に弾けない状況で、キャッチと迷ったようにも映る。その弱気で脆弱なプレーが、相手に隙を与えることになった。

 イラク戦は、トップレベルのGKでは完全にミスと定義される。横からのボールをペナルティエリア内に軽く弾けば、それは失点に直結する。そこまでスクランブルの状態ではなかったし、大きく弾くか、キャッチするしかなかったが、ここでも果断さは見えなかった。

 インドネシア戦、最後のシュートはアジアレベルでも、しっかり止める力が欲しい。ミスというよりも能力の問題。パワーが込められたシュートでもなく、コースもニア正面だった。

 バーレーン戦に至っては、3度連続してミスが続いているのだから失点しなかったら僥倖だ。

 そして誤解を恐れずに言えば、GKは運命的にそうした不完全なジャッジで失点した時点で裁かれる立場にある。

GKはクレイジー

「LOCO」

 スペインや南米では、GKを「クレイジー」と定義している。どこかで狂わなければ、やっていけないポジションと言われる。

 彼らは唯一、手が使えるという特権を得る代わりに、全員が束になって襲い掛かってくるところ、無事にゴールを守り抜かなければならない。特殊なポジションである。不調だからと言って、試合中に交代することもほとんどなく、ストライカーのように「次に決めれば」という情状酌量の余地もない。どんなスーパーセーブを見せても失点は取り消せず、孤高のプレッシャーだ。

 ただ、そうした鈍い痛みを乗り越えられる人間でなければ、トップGKにはなれないのである。

 例えば、欧州最高のGKとしてあらゆるタイトルを勝ち取ったイケル・カシージャスにインタビューした時、ワールドユース(1999年、決勝でスペインが日本の黄金世代を撃破)でサブだった悔しさが力になったのか、と聞いた時、彼はやや憤慨して答えた。

「自分はずっとレギュラーだった」

 記録は出ているが、彼は譲らなかった。現地で関係者と話した時、「イケルは自分の都合の良いように記憶を書き換える。そうやってメンタルを浄化し、集中力を高める」という信じられない話を聞いた。まさに狂気の沙汰である。

 カシージャスは我が道を行った。練習も必要以上に決してしなかったという。自分の感覚の鍛錬に集中し、まるで荒野のガンマンだった。天与のフィジカルギフテッドですさまじい瞬発力と反射に恵まれていたのはあるが、極限まで高めた集中力によって相手の動きを読み、スーパーセーブを連発した。鋼のような精神で、自分が理想とするGKを作り上げたのだ。

 日本を代表するGK川口能活も、その系譜だった。五輪代表の合宿で、サブGKがレギュラー組で出場した夜遅くのことだ。サブGKと同部屋だった川口は、乱暴にドアを開けて入ってテレビのスイッチを入れ、大音量にしながら怒りに震えて画面を見つめていたという。

「GKは失点しても、”これは俺のミスじゃない”と虚勢を張るくらいの方がプロではいい」

 当時、五輪代表を率いた西野朗監督が語っていたことがある。

「川口は自分に対する底知れぬ自信を持っていて、それがトラブルになることもあったが、選手たちに(その強気が)安心感を与えていたのも事実だった。川口は練習試合で他のGKを使うと、『なんで俺を使わない』と文句を言ってきて面食らったけど、その気の強さが楽しい部分でもあった」

 GKの世界は激烈である。狂った者だけが到達できる世界があって、それにはGKとしての矜持、自負、覇気、執着が欠かせない。ここでポジションを与えられると、決定的な弱さを孕むことになる。

 鈴木は「将来性抜群」と代表のピッチに立つ機会を与えられてしまった。

競争原理を歪ませた森保監督

 悲壮感を漂わせてゴールマウスに立つ鈴木は、気の毒である。チームメイトたちも「ザイオンのために」と言わんばかりに、ビルドアップでも極力GKまで下げていない。バーレーン戦も、上田はどうにかミスをカバーしてあげたかった結果だろう。

 もし今回の論争で戦犯がいるとしたら、競争原理を歪ませた森保一監督と言える。

 鈴木は浦和レッズに入団以来、西川周作の控えGKだった。それが今シーズン、ベルギーのシントトロイデンに移籍し、レギュラーとしてプレーしている。しかし、プロとして1シーズン、ゴールマウスを守ったことはない。にもかかわらず、アジアカップで代表の正GKの座を任された。ちなみに昨シーズンのJリーグベストGKに値するプレーだった西川は2021年以降、森保ジャパンには招集されてない状況だ。

 アジアカップ、鈴木はポテンシャルの高さも示している。クロスに対して、身体能力の高さを生かして出て、すぐさまロングフィードで決定機を作るシーンもあった。プレスをはめられたところで、うまく開放した場面もある。しかしストライカーで言えば、それらはせいぜい「プレスがいい」「ポストプレーが堅実」「サイドにも流れて起点」という二次的要素だ。

 一番大事な、「ゴールを守る」を「将来性」に置き換えたことになる。

「ミスは経験を積んだら解決する。だって、世界で戦うには体格が不可欠だから」

 その不確かさで、他の有力なGKを排除すべきか。代表は実績を重ねた最高の選手を選抜すべきだ。

 2022年に横浜F・マリノスの優勝に貢献した高丘陽平は、JリーグベストGKを受賞し、2023年は海を渡った。MLSでパワーのある外国人を相手に、1シーズン、レギュラーで戦っている。37節にはベストイレブンに選出され、プレーオフ進出に貢献した。にもかかわらず、一度も代表に招集されていない。

 もし鈴木が逸材だったとしたら、それを潰すのは誰か?

 GKはゴールを守ることで評価される。迫りくる敵を畏怖させ、怯える味方を叱咤して慈悲の心で導く。残酷なようだが、ディフェンスをコントロールし、防御を束ねるのも彼らの仕事だ。

 その任務を遂行することで、人々から深く尊敬される。アリソン・ベッカー、ティボー・クルトワ、ヤン・ゾマー、エミリアーノ・マルティネス、ボノなどW杯ベスト8を争うGKのセービングには、独特の畏怖と慈悲が濃厚に感じられる。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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