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VARとどう向き合うべきか。プレミアリーグの審判がJリーグで与えた「ヒント」

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 欧州は新シーズン到来に備え、試合で調整を重ねている。有力クラブは大陸を越えてプレシーズンツアーを敢行。親善試合だけに、その多くはVAR(ビデオアシスタントレフェリー)が導入されていないが…。

「VARがあったら」

 その嘆きはあまり聞こえてこない。

 それよりも、試合展開のアグレッシブさやスピード感に、「VAR抜きの気持ち良さ」もあるほどだ。

 サッカー界はVARとどう向き合うべきか?

VARは公平さを担保しない

 今年6月、日本サッカー協会の審判委員会が都内でレフェリーブリーフィングを行い、J1第13節の鹿島アントラーズ対名古屋グランパス戦でのVAR介入事案について説明している。

 鹿島の鈴木優磨のヘディングシュートが決まったかと思われたが、CKからのインプレー前に鈴木のファウルがあったとし、VAR判定によりゴールは取り消された。その際、鈴木が不服として主審に詰め寄った行動に対し、審判委員長が改めて強く苦言を呈し、賛否が分かれている。あらゆる点で、後味が悪い裁定となった。

<正しさ>

 その点で、ジャッジは正しかった。しかし、何か釈然としなかった人も多いだろう。公平さを追求するあまり、不公平さに片足を突っ込んでいるようにも捉えられたからだ。

 そもそも、VARは公平さを担保しない。むしろ物事を複雑にすることがあるし、不満や苛立ちを増幅させている。

「大前提としては、VARは安易に介入すべきではない」

 ブリーフィングの中、識者が口にした発言は象徴的だ。

審判はVARという”正義の御旗”の被害者か

 正しさの御旗であるはずのVARが、問題をややこしくしている。つまり、VARを介入させるかどうか。それは結局のところ、審判の仕事である。

「お互いの競り合いの中での接触を(あえて)見つけにいくものではなく、介入するかどうかのポイントを総合的に考えることが大事」

 それがルールの一つだが、なかなか難しい。どこまで介入させるか。突き詰めると主観であって、永久に公平さは担保できない。審判団は自分たちの判断だけでなく、VARの判断と同時に向き合う必要がある。プレー後、何度も再生される状況で、「なぜVARを入れなかった!?」と批判を受けることを覚悟しなければならない。

 その点、現代の審判はVARという”正義の御旗”の被害者とも言える。

 どこまでがハンドか、何をハンドとするか、基準は文章化されていても、サッカーには必ずグレーゾーンがあって(何をもってしてファウルとするか、など)、それは自らのジャッジを下すしかない。その点、多くの主観で語られるVARはサポートよりも重荷に転じる場合があるだろう。そしてジャッジに時間をかけ過ぎれば、また非難を受ける。

「できるだけVARを介入させない」

 欧州トップリーグでは、「プレーを流す」傾向にある。PK判定に関しても、グレーゾーンで迷わず、自らを信じてジャッジを下す。選手同士の接触はあるものだし、それをいろんな角度から解析してもキリがない。一方で肘を強く振ったり、足の裏でタックルにいったりといった、深刻なダメージを与えるファウルに対しては、「選手を守る立場」から積極的にカードを提示する。

 つまり極力、今まで通り、ということだ。

プレミアリーグの審判がJリーグで与えたヒント

 しかしながら、VARがそこにある限り、使わざるを得ない。

 やはり、運用の手腕が問われる。

 J1第17節、鹿島対湘南ベルマーレの一戦では、後者のハンドで前者にPKが与えられたが、味方に当たって跳ね返ったボールが背後から手に当たったもので、不慮の事態だろう。しかし映像で確認した場合、プレーに関与していた選手が手を広げているため、競技規則に照らし合わせればハンドになる。VARがなかったら、流されていた可能性が高いが…。

 そして、このPKでは鹿島の選手のキックがGKに止められた後、やり直しになっている。キックする前に湘南の選手の上半身がペナルティエリア内に出て、わずかにラインも踏んでいたことがVARによって示されたわけで、規則上は極めて正しい。しかし、このような状態は世界中でたくさんあり、この試合だけで適用するのか、主審の主観である。

 ジャッジとしては正しいが、もやもやしたものが残った。これはしこりのような不信感として固まる。それによって主審もナーバスになり、ジャッジもナイーブになるのだ。

 同節、横浜F・マリノス対柏レイソル戦では何度も何度もプレーを止め、VARと通信していた。グレーというよりは白の事項に関してまで黒を疑っている様子だった。それはミスジャッジに怯えているようでもあり、レフェリングが安定しなかったのは必然で…。

 一方、プレミアリーグとの審判交流プログラムで、イングランド人アンドリュー・マドレイ主審が浦和レッズ対鹿島戦で笛を吹いた。これが見事の一言だった。VARへの介入を最低限に基準が明確なジャッジで、荒れてもおかしくない対決を90分間、コントロールしていた。試合後、両チームの選手たちも感心しきりだった。

 つまり、日本人レフェリーのVARの運用面に改善の余地があるのだろう。あるいはレフェリング技術の問題か。「競技規則上」という言葉を試合後に使うのは容易いが、それを持ち出さず、試合をコントロールできるやり方があるはずだ。

 その点、交流プログラムは意味があるのだろう。今や多数の日本人選手が欧州に渡って、さらにその選手がJリーグに戻って来て国際化が進む一方、日本人審判もレフェリングを向上させる段階にある。VARとも向き合わざるを得ない審判も気の毒だが…。

 VARは世界中に行き渡っているだけに、共存するしかない。

 問われるのは、運用する人間の力量となる。ラインを割ったかどうか、のゴールラインテクノロジーは白黒をつけてくれるが、他は常にグレーゾーンとも向き合う。矛盾を孕むが、うまく使うしかない。時代が求めるのなら、そこに立つ人間が適応せざるを得ないのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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