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日本代表、森保監督続投は正しかったのか?弱者の兵法の「引力」

小宮良之スポーツライター・小説家
カタールW杯、クロアチア戦でPK前に円陣(写真:ロイター/アフロ)

 日本代表、森保一監督の続投が決まった。

「光栄な気持ちとともに、責任の重さに身の引き締まる思いです。新しい景色を見るため、一戦一戦、結果に覚悟を持って挑戦を。これまで以上の難しさがありますが」

 森保監督は、いつものように律儀なコメントを発信している。人柄の良さなのだろう。

 カタールW杯、ドイツ、スペインを撃破し、クロアチアと”引き分けた”ベスト16という結果は、称賛に値する。ギリギリの采配が的中した。強運もあったが、それも含めて指揮官の手腕だ。

 しかし、続投という決断は正しかったのか?

予想通りの弱者の兵法

 勝負の世界、結果がすべてだ。

 W杯だけを観戦するファンにとっては、森保監督は名将に映るだろう。継続的に取材しているわけではない海外の記者にとっても同様である。歓喜の結果は、錦の御旗となってすべてを肯定するのだ。

 しかし違うやり方で、今回の結果以上のものを得られていたとすれば、どうだろうか。残念ながら、これは永遠に答えが出ない。なぜなら、過去に戻ることはできないからだ。

 一つ言えるのは、森保監督の打った手の多くはあくまで苦肉の策で、準備してきたものではなかった、ということである。例えばファーストチョイスになった5-4-1という布陣は、大会中、ドイツ戦で得点が必要になった場面で生まれたもので、偶発的だった。的中した格好になったのは、欧州でプレーを重ねる選手たちの適応力が、想像以上だったからに他ならない。

 森保監督は「守りありき」の指導者である。「いい守りがいい攻めを作る」。その思考展開の中では常に受け身的であり、「弱者の兵法」が身に付いている。これは悪口ではない。むしろ彼の長所と言える。森保監督でワールドカップに挑んで成功するには、その戦い方しかないことは、多くの人が気づいていたはずで、筆者もずっと前から指摘してきた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20220809-00309346

 カタールでの戦いは、まさに弱者の兵法を実践した形だった。十分に見越していた戦いで、森保監督は一つの結果をつかんだ、とも言える。言い換えれば、予想以上ではなかった、ということだ。

12年前に回帰した戦い

 カタールW杯の1年以上前から指摘してきたことだが、森保ジャパンは2010年南アフリカW杯で岡田武史監督が率いたチームとコンセプトが酷似していた。中央を分厚くし、前線3枚は攻守を全力でこなし、消耗戦の中で活路を見出す。選手は変わっても同じ、リアクション戦術の極みだった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20220204-00280398

 ここで詳しく書いているが、進化とは呼べないだろう。

 日本代表選手たちの実力は、ここ数年で確実に上がっている。完全な消耗戦を繰り広げ、弱者の兵法に頼る必要はあったのか?本来、彼らはもっとボールを持てるし、主導権を握った時間を増やすことができた。守りに入らざるを得ない時間はあるだろうが、攻撃的陣容でも互角に近い戦いを仕掛けられるはずだった。

 その点、筆者は5-4-1もカタールW杯前に推奨していた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20220923-00316395

 それは力の上の相手と戦う場合、有力な選択肢だった。何も、森保監督の発明ではない。論理的な答えだ。

 しかし、同じ5-4-1でも、代表監督にはチームを革新させる試みをしてほしかった。

日本人選手の特性

 森保監督は、いたずらに選手を消耗させている。

 ボールを持てる選手を駒に使ったが、その特性を生かし切っていない。久保建英を守備だけで使い、三笘薫をウィングバックという中途半端なポジションで起用。結果につながっただけで、論理的ではなかった。彼らを用いる場合、もっとボールを長く持てないと本来の良さは出せないし、日本はそうしたコンセプトのチームであるべきだ。

 なぜなら、日本人選手は俊敏性、ドリブル技術に秀で、知性を使ったコンビネーションプレーを得意とする。かつては松井大輔、香川真司、乾貴士、今も久保、三笘、堂安律などが最たる例だろう。実際、そこにアドバンテージがある選手が、今もヨーロッパのトップレベルで活躍している。

 森保監督は、鎌田大地、堂安、久保の力をW杯アジア予選で引き出せず、最後は冷遇していた。世界と戦うために呼び戻し、選手が主導権を握ったことによって、サッカースタイルが徐々に変化していった。本大会を前にした「6月シリーズ」の戦い方は象徴的だろう。

 しかし結局、森保監督は有力なアタッカーも守備の尖兵として用いた。選手に消耗戦を強いて、2010年の南アフリカW杯に逆戻りさせたのである。

「今後は、マイボールで試合をコントロールすることが大事だと思っている」

 森保監督は続投の記者会見でそう言いながらも、こう続けている。

「ボールをコントロールすることは大切だが、守備も忘れてはいけない。W杯で改めて気づいたことは、ボールを奪い合うデュエル(球際の1対1)の本質のところで、その力を持っていなければ技術や戦術は生かされない点。ボールの奪い合いから始まるということを忘れてはいけない」

 彼の本質は変わらないだろう。繰り返すが、悪く言っているのではない。それが彼のサッカー様式なのだ。

プレーコンセプトの違い

「今回、森保ジャパンは守備ができたから、少し攻撃的になるのでは」

 そんな意見もあるが、出発点に守備があるのだから、理屈として難しい。クラブチームでも「守備ができたから攻撃力を」という次のシーズンに向けたスローガンをよく目にするが、破綻するのがオチだろう。なぜなら攻撃の比重を高くしたら、シンプルに守備は崩れる。出発点に「ボールありき」という発想がない限り、能動的なサッカーはできない。矛盾をクリアできないのだ。

 もっとも、得点力向上自体は不可能ではない。選手を入れ替える。例えばシーズン5得点のFWを、シーズン30得点のFWに入れ換えたら、守備はどこかでカバーし、攻撃にシフトしたチームに生まれ変わる。

 それは選手の資質の問題で、可能だが…。

 監督の仕事は、プレーコンセプトから勝てる確率が高いチームを作ることにある。それも、サッカーが得点を奪い合うスポーツである以上、それに優れた選手をどう組み合わせるか。そこに創造性や革新が生まれるのだ。

 森保監督に、それを期待できるだろうか?

 日本には、世界と対等に近い戦いができる選手が揃いつつある。極端に守る必要はない。少なくとも、コスタリカのような格下には再現性のあるゴールチャンスを作り出し、しっかりと勝つ算段を整えるべきだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20220702-00301806

 戦いの選択肢は、ここに記したようにいくつもある。

 しかし、森保監督はその采配を選ばないだろう。

 彼が攻撃の比重を高めたいのは本心だろうが、その改革は頓挫する。繰り返すが、出発点が同じだからで、必ずそこに引き戻される。それは彼の信条であり、そうして指導者の結果を叩き出してきたわけだから、凄まじい引力を持つ。たとえ今の森保監督がどれだけ意識を高く持っても、結局はそこに引っ張られる。

 日本代表は再び同じような4年間を過ごすだろう。選手の入れ替えはあるし、そこに変化は生まれる。素晴らしい攻撃サッカーを展開する時間帯もあるかもしれない。次のW杯はアジアから8・5か国も出場枠があると言われ、予選落ちの心配もない状況だ。

 しかしいずれにしても、森保監督は引き戻される。己自身の信条に。これまで4年間やってきたことを繰り返す。本大会ではじりじりと守り、一か八かに懸けることになる。

 それでも、森保ジャパンは再び4年という長いスパンで船出する。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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