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グアルディオラ率いるシティとの決戦に挑むシメオネ・アトレティコ。彼らは何が特別なのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:ロイター/アフロ)

シメオネ時代終焉とささやかれたが…

 2022年1月19日、アトレティコ・マドリードはスペイン国王杯でベスト8進出を懸けてレアル・ソシエダと戦ったが、2-0と完敗で大会を去っている。

「皆さんがおっしゃるように、状況が良くないのは私も承知している。しかし私は選手を、チームを信じている。(結果を)ポジティブに捉え、戦っていくつもりだ」

 試合後、ディエゴ・シメオネ監督は語っていたが、スペインスーパーカップ準決勝、アスレティック・ビルバオ戦も終盤に逆転を許して敗退した直後だっただけに、厳しい批判に晒された。

「サッカーは結局のところ、二つのエリアでの勝負。相手エリアでのプレーが勝利につながることになる。失点は多くなっているが、(問題点解消のために)言い続けるしかない。我々のミスを受け入れ、その謙虚さからスタートし、改善する。守備が安定することで、何もかも簡単になるはずで、それを取り戻すために努力を続けることだ」

 シメオネは断固として言ったが、リーガエスパニョーラでもFCバルセロナになす術なく負けた。「シメオネの時代は終わった」という空気は漂った。しかし本人は少しも動じていない。

 その「信仰」は、チームに反撃の機会を与えることになった。欧州チャンピオンズリーグ(CL)、ベスト8入りを懸けたマンチェスター・ユナイテッドと決戦で、トータル2-1で勝利し、勝ち上がっている。リーガエスパニョーラでも着実に勝ち点を重ねて急浮上し、取り巻く空気は一変した。

 CL準々決勝、マンチェスター・シティとの決戦を前にシメオネ・アトレティコの本性とは?

シメオネの分身

 シメオネ・アトレティコの正体は、特別ではない。

 その戦い方は、どこよりも精神的にアグレッシブと言える。念のために言うが、攻撃的サッカーというわけではない。ボールポゼッションの優位性などもとより無視。球際に対して激しく戦い、局面の戦闘で勝利できるか。相手の自由を奪うのがモットーだ。

 プレー内容は基本的に受け身。ラインコントロールで守りを運用し(プレッシング、リトリート)、相手の脆弱性を探しながら、攻めを跳ね返し、ミスを突いてゴールに突っ込む。徹底的なリアクション戦術と言える。

 主体性に欠け、創造的ではない。言わば、凡庸な堅守カウンターだろう。しかしクラシックな戦い方を、シメオネは自らのキャラクターによって脚色し、強力にすることができた。

 シメオネはチームの士気を高める天才と言える。試合中も選手顔負けの一挙手一投足で、スタジアム全体を鼓舞し、選手に闘争心を伝播することができる。かつてはウルグアイ代表センターバック、ディエゴ・ゴディンがシメオネの理念の体現者として君臨していた。シメオネの分身のように集中力を最大限まで高め、守りに入った時の堅牢さを保つことができるのだ。

 シメオネは、アトレティコとほぼ同義と言える。一人の指揮官の精神力にこれほど依存しているチームはないだろう。その信念によって、チームは成立している。

 その単純さは強さだ。

不調の原因

 次々にタイトルレースで脱落し、批判に晒されていた時期には、チームとしての経年劣化が浮き彫りになっていた。

 サッカー選手はすべからく、ボールを蹴って止めて、というその感覚を楽しむところがある。たとえシメオネのチームであっても、選手は潜在的欲求を捨てきれない。相手がボールをつなげ、攻めてくることに対し、ストレスを感じる。シメオネのリアクション戦術に疑問を持つこともあるし、結果が出なければ不信感は漂うことになる。

 不調は、「悪い周期だった」と言えるだろう。

 もう一つ、CLで2度にわたって決勝に進んだ時代のシメオネ・アトレティコは、相手エリアで一発を仕留められるストライカーも擁していた。ラダメル・ファルカオ、ジエゴ・コスタ、ダビド・ビジャ、そして昨シーズン優勝した時のルイス・スアレス。今もスアレスはいるが、ケガなどもあって力を発揮できていなかった。

 結果、疑念は生まれたが、シメオネは一顧だにしなかった。少しも弱気を見せず、戦闘と団結によって、切り抜けられると信じていた。感服するほど強固なメンタリティである。

 事実、マンU戦もブロックを作って、辛抱強く守っている。その結束は乱れなかった。撓むような守りによって、相手の攻め手を奪い、一瞬の隙で攻撃に転じて相手をノックアウトしたのだ。

ジョアン・フェリックスに対する譲歩 

 もっとも、シメオネ監督は一つだけ譲歩した。ポルトガルのファンタジスタ、ジョアン・フェリックスには限定的に自由を与えたのである(監督本人は認めないかもしれないが、明らかに守備の負担は減って、攻撃に専念できるようになった)。

「彼は(私の指導に)いつか感謝することになる」

 シメオネはそう言って、J・フェリックスにも献身性を求めていたが、そこは一歩譲った。90分の中でファンタジスタの決定的プレーによって、勝機が拓けることが分かったからだろう。むしろJ・フェリックスの意表を突いたボールタッチがないと、チームはゴールが望めず、それは敗北に直結した。

 遅まきながら自由を勝ち取ったJ・フェリックスは、最前線でファンタジーを見せるようになった。オサスナ、カディス、ベティス戦と立て続けに勝利の立役者となって、マンU戦も存在感を出していた。カウンターなど限られた攻撃担当であり、本来ボールプレー中心のチームのほうが輝く選手だが、規格外のテクニックとビジョンは一瞬のうちに決定機を作った。

 ではCL準々決勝、マンチェスター・シティ戦で勝機はあるのか?

シメオネが「好きじゃない」と断言するサッカー

 下馬評では、シティ有利だろう。ジョゼップ・グアルディオラ監督のサッカーは、シメオネとは対照的。基本理念は「選手ありき」で非常に攻撃的な志向であり、繰り出されるボールプレーは主体的で能動的だ。

 おそらく、決戦は盾と矛のような構図になるだろう。

 アトレティコは5-4-1に近い布陣になるだろうが、どこまで凌ぐことができるか。活路は他でもないシメオネにある。モチベーターとして、最後まで戦いをあきらめない執念を選手に伝え、その揺るぎない信念が局面でのプレーに力を与える。守護神ヤン・オブラクを中心に、しつこくガードを固め、攻め疲れさせ、一発のカウンターを狙う戦い方だ。

 繰り返すが、アトレティコの戦い方は何も特別ではない。

 シメオネのメンタルが特別なだけだ。

 最後の仕上げとしては、J・フェリックスがいる。その独創性はシティのディフェンスも凌駕する。戦況は思わしくなくても、一瞬で得点シーンは作り出せる。当日、彼が鋭気に満ちていたら希望はあるだろう。

 いずれにせよ、シメオネの戦いは変わらない。ボールポゼッションなど意味はなく、戦闘力を高めて局面を制し、それを何度も積み上げる。そして相手の虚をつく。スペクタクルなどという言葉は、彼のサッカー辞書にない。

「好きじゃない。何も感じないんだ」

 シメオネは昔、グアルディオラのボール中心のトレーニングを視察に来て、本人に向かってはっきり言ったという。それが、シメオネという人物である。

 シメオネ・アトレティコの戦いは一種の狂気だ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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