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雨のナタウ、内田篤人の記憶

小宮良之スポーツライター・小説家
ブラジルワールドカップを戦う内田篤人(写真:アフロ)

 生き様を感じさせる選手がいる。それは記録よりも、記憶に残るというのか。問答無用に、胸を熱くさせるのだ。

 先日、現役引退を発表した内田篤人は、そういう選手だった。

雨のナタウ

 生き様という点では、「雨のナタウ」が鮮烈に思い出される。

 ブラジルワールドカップ、第2戦。当時、日本は初戦のコートジボワール戦で逆転負けを喫し、ナタウに乗り込んでいた。決勝トーナメントに進出するため、ギリシャを相手に勝利が不可欠だった。得点は必要だが、失点したら戦況は厳しくなる。

 正念場の一戦、最も輝きを放ったのは、右サイドバックで先発した内田だった。

 内田は、大柄でスピードもあるエースFWゲオルギオス・サマラスに対して適切な間合いを作り、対処していた。下がってフリーになろうとするサマラスに対しては、前のポジションに入った大久保嘉人と連係し、ほぼ完璧に封印。攻め手を奪った。

 一方、攻撃でも存在感を見せた。抜群の間合いとタイミングで右サイド奥へボールを引き出し、いくつも決定的場面を作った。香川真司からのスルーパスを受け、ファーポストの大久保に出したクロスは、この日、最もゴールに近づいたシーンだ。

ケガのリスク

 内田の右ひざが万全ではないことは、現場では誰もが知っていた。同年に右ひざ裏の腱を負傷。本来なら大会前に手術し、その場に立っていない。長く現役生活を続けることを考えた場合、メスを入れてワールドカップをあきらめる選択をしていても不思議ではなかった。

 しかし内田は、敢然として日の丸を背負って戦うことを選んだ。

 そしてピッチに立つ限り、少しも妥協しなかった。たとえ膝が壊れても、勝利をつかみ取るような激しさを見せた。言い訳がましいことも口に出さず、プロとしての姿勢が一貫していた。苛烈な姿は、肌を粟立たせるものがあった。

「多少は潰れる覚悟で、ワールドカップやチャンピオンズリーグのような試合は戦ってきた」

 内田の言葉は、行動と完全に符合している。

 ギリシャ戦、内田はサマラスを封じただけでなく、攻撃で相手の攻撃を押し返した。カウンターへの対応も絶妙だった。味方が前線に打ち込んだくさびを敵にインターセプトされた瞬間、彼は常にその前に立ち塞がっていた。大迫勇也の単純なミスパスから逆襲されそうになったときも、彼はもう一度ボールをカットしてカウンター返しを仕掛けている。どこにボールがこぼれてくるのか――。90分間、内田は何パターンもイメージを怠らず、瞬時に最善のポジショニングと予備動作をしていた。

 それは世界を舞台に戦って鍛えられたものだ。

過酷な戦いで得たものと代償

「うっちー、その足、どうやって鍛えたの?」

 日本代表のシャワールームで、豊田陽平が驚いて内田に話しかけたことがある。豊田は大柄で筋骨隆々の選手だが、彼から見ても、内田の鍛え上げた太ももは目を引くものだったという。

「なんもしていないよ。練習していたら、こうなった」

 内田は淡々と言ったという。ドイツ、ブンデスリーガのピッチは重馬場で、足腰が鍛えられるという。踏ん張るだけでも簡単ではない。日々、トレーニングに打ち込むことで、体は変化したのだ。

 厳しい戦場で、世界トップレベルのアタッカーを相手に、内田は怯まずに戦い続けた。それによって、技は研ぎ澄まされていった。肉体は消耗を余儀なくされたわけだが、そのギリギリを戦うことで、彼は世界のトップ選手になったのだ。

 事実、ナタウのピッチに立った内田は、雄壮だった。悲壮感など少しも滲ませていない。勝利を目指す熱を感じさせた。

 しかし膝を酷使し、その代償があることは分かり切っていた。それでも、彼は戦いを辞めていない。修羅場で戦ってきた男としての矜持だったのか。

 その姿は、高潔だった。

 ギリシャの選手がラフなプレーに及んだときでさえ、内田は激高せず、笑顔で対処していた。また、体を合わせて転落した相手選手を気遣う場面もあった。戦うことを突き詰めていなかったら、なかなかできない行為だ。

 内田は一つの境地に達していたのだろう。

死中に活を求める生き様

 ギリシャ戦、結局、日本は勝ち切ることができていない。10人になった相手を追いつめたが、引き分けに終わった。数字上は最終戦に望みをつないだが、優勝候補の一角だったコロンビアに点差をつけて勝つことが条件になっていた。そして前半は同点で折り返すも、後半は主力を投入され、万事休すだった。

 そのコロンビア戦も、最後まで闘志を見せたのは内田である。劣勢の中、全身全霊でピッチに立っていた。サッカー選手として戦うことの意味を伝えられる選手だった。

 だが無情にも、代表はグループリーグで敗退した。

 そして、内田の膝の状態は悪化している。その後、どうにかピッチに立ったが、満足なプレーはできず、手術に踏み切ることになった。復帰後も、本来の状態に戻らず、Jリーグへ。膝との対話の日々で、引退発表に至っている。

 プロの世界、たら、れば、に意味はないのだろう。

 死中に活を求めるような生き様が、記憶に刻み込まれている。

 引退を決めた今、それを思うのだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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