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よみうりランドの記憶、サッカー少年の日々(後篇)

小宮良之スポーツライター・小説家
ヴェルディジュニア時代の林陵平と喜山康平(提供はMundial JPN)

https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20190801-00133765/ ←前篇はこちら

 小学校時代、ヴェルディに所属する少年たちは、ひたすらボールを追っていた。放課後、18時半からよみうりランドで練習を始め、20時半に終了。夜のバスに飛び乗り、最寄り駅に向かう。

 京王組、小田急組と二手に分かれた。

 京王組は駅近くにある焼き鳥屋で2,3本、袋に入れてもらい、串ごと頬張った。ヴェルディの選手には、1本50円で売ってくれたという。小田急組はバス停から駅までの暗がりを300mほど全力疾走し、割引になった菓子パンに一目散。クリームパンやウィンナーパンが人気で、気っぷのいい店主が特別に10円で売ってくれた。

 話題はポケモンやデジモン。見た目は、どこにでもいる少年たちだった。しかし、中身は少しだけ大人だったかも知れない。

「サインはもらうな」

 クラブからはそう教え込まれていた。最強ヴェルディの端くれとして、プロ選手の作法というのか。カズ(三浦知良)、ラモス(瑠偉)はヒーローだったが、金網越しに練習を見るだけだった。その姿に胸を高鳴らせ、いつか自分が混ざる日を本気で目指していた。

 練習から帰宅すると22時近い。家の遠い少年は、23時を回った。その毎日を楽しいと思えるか――。サッカーの熱量を持った選手だけが生き残った。

ヴェルディジュニア時代を振り返る喜山康平
ヴェルディジュニア時代を振り返る喜山康平

喜山康平の場合

「小6の自分が今の自分を見たら? どうですかね。プロとしてやってんのはいいけど、J1じゃないの、とか言うんじゃないですか」

 喜山康平(ファジアーノ岡山、30才)は自嘲気味に言った。自分に厳しく、高い目標を見据え、生きてきた。「上手くて、勝たないとダメ」。ヴェルディで教わった薫陶を守ろうとしてきた。

「サッカーを始めたのは、幼稚園で5歳くらいですかね。その幼稚園が中庭にピッチがあって、上の通路から眺められる造りになっていました。そこでボールを持ってみんなを抜くと、ワーとなる感覚が気持ち良くて。『喜山がいるから勝てないよぉ』とか敵チームに言われると、謙遜するんですが、にんまりしていました(笑)

 ヴェルディは小2でスクールに入って、小3のときにセレクションなしでジュニアに入れてもらえました。でも正直、レベルが違うな、と思いましたね。地元では一人で5人交わせたけど、そこでは個人技はない方で。(林)陵平君とか年上に混ざると、苦戦しましたね。

 小5のとき、全日本少年サッカー選手権を前に、当落線上の選手だけで河口湖での合宿があって。15人くらいが参加し、5人選ばれることになっていました。朝から練習して、お昼を食べて、午後にその発表があって。畳の大部屋で、みんな体育座り。メンバーは呼ばれるんですけど、自分は呼ばれなくて。いける、と思っていたんで、泣けてきて、家に戻るまで無言でしたね。

 その大会では全国優勝できず、優勝するにはもっとやんないと勝てないと思いました。その年は、(元日本代表)森本(貴幸)と2トップを組むことになったんで、あいつとプルアウェイ(ゴールから離れ、マークを引きつけ、作ったスペースに飛び込む動き)からのシュートをずっと練習していましたね。森本は下手だったけど、身体能力の高さは異次元で。だから、あいつが上手くやれるように自分が合わせる、というプレーをしていました。

 キャプテンだったので、全体を見てまとめて、というのは考えていましたね。『まだまだ意識弱いな』という雰囲気作りというか。それで優勝という喜びを得られたのは大きいですね!

 でも、自分は中高(6年間)は半月板のケガとかで半分も、サッカーができていません。リハビリ組は二人ひと組で対戦相手のビデオを撮って、ノートを前後半でかわりばんこ。それはそれで勉強になりましたが、サッカーをできない渇きはありましたね。それが今も自分の中にあるのかも知れません。

 ヴェルディでは、何ごとも自分で解決する、という習慣は身についたと思います。チームとして優勝するのは最高の気分でした。ただ、プロではまだできていません。今は昇格という目標を果たすことで、それを味わってみたいですね」

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今も鮮やかなよみうりランドの記憶

 林、喜山という二人の性格は対照的に映る。しかし、根っこではつながっている。よみうりランドの記憶で。

 プロになってからの方が、親密に連絡を取り合うようになった。試合後は、お互いが所属するチームの結果を真っ先に確認。オフには海外サッカーを見に、旅行に出かける。

 林はFW、喜山はDFになって、マッチアップする機会も増えた。林は試合前からリラックスし、ちょっかいも出すが、喜山はあくまで真顔で応じる。勝負の向き合い方に、それぞれのキャラクターが滲み出る。

「きーやんのチームとの対戦はお得意様だったのに、最近は点が取れていないんですよ」

 林は言う。

「陵平君には、自分以外のチームを相手に活躍して欲しいです」

 喜山は言う。

 ヴェルディではチームメイトさえもライバルで、競争に晒される日々だった。先輩後輩の序列がないことで自由を謳歌したが、その分、徹底した個人主義。自らが考え、道を切り開かなければならない。

 しかし、過酷で辛かっただけではなかった。

 お互いが高め合い、チームとして強くなって、勝利の瞬間を共有した。尊い時間。よみうりランドで、彼らは生まれ育った。

 その記憶が二人の絆を強くし、いつも後押しするのだ。

【この記事は「Mundial JPN」2号に掲載されたものを加筆、修正しました。https://www.mundialjpn.shop/写真はMundial JPN提供】

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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