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よみうりランドの記憶、サッカー少年の日々(前篇)

小宮良之スポーツライター・小説家
得点後、パフォーマンスをする東京ヴェルディFW林陵平(写真:田村翔/アフロスポーツ)

ゴールパフォーマンスの原点

 1998年、全日本少年サッカー選手権。小学生の日本一を決める大会は、当時、夏真っ盛りに行われていた。開催地は、全国の小学生にとって”聖地”と言われた「よみうりランド」だった。

 小6で東京ヴェルディの選手だった林陵平(東京ヴェルディ、32歳)は、日々の練習を積むよみうりランドを舞台に、グループリーグでゴールを決めている。小柄な身体を弾ませ、ベンチの方に視線を送ったとき、一つ下のチームメイトが寂しそうな顔をしている姿が目に入った。大会メンバーからぎりぎりで落ちたのは知っていた。全力で近くまで駆け寄り、寝転び、肘枕をした。それは”幻のゴール”にふて腐れるフランスの英雄的選手、ミシェル・プラティニの有名なパフォーマンスだった。

<そんな顔するな。楽しい時間を共有しよう!>

 単純な気持ちで、道化になった。自分のゴールで目立って、仲間も引き込む――。それ以来、ゴールするごとにパフォーマンスをするのが癖になった。

ヴェルディジュニアの少年たち
ヴェルディジュニアの少年たち

反撃を期した少年

 寂しそうな表情を浮かべていた喜山康平(ファジアーノ岡山、30歳)は、そのゴールパフォーマンスに身体が熱くなるのを感じていた。メンバー落ちの悔しさは忘れられなかった。試合で負けるたびに泣いていたが、それとは違う種類の涙が出てきた。行き場のない怒りは消えていなかったが、一つ年上の林がゴールする姿に感動したのだ。

 同時に、小5で来年の大会があった喜山は自らを叱咤している。

<来年、自分がこの大会に出たら、必ず優勝するぞ!今の自分は足りない、足りない。もっと意識を高く持つんだ>

 寝転んだ林が、周りに祝福される姿を目に焼き付けながら、少年はそう心に誓った。

 そして1999年の大会では、一つ上の世代が成し遂げられなかった全国優勝を果たしている。喜山は、栄えあるキャプテンを務めた。駄菓子も炭酸飲料も禁じ、勝ちにこだわる厳しいキャプテンだった。

10年以上、二人はJリーガーを続ける

 林も、喜山も、あのとき夢見たJリーガーになっている。それぞれの生き方で。そして10年以上、プロサッカー選手を続ける。

 林はゴールゲッターとして活躍。二桁得点を記録し、柏レイソル、モンテディオ山形をJ1昇格に導いたこともあった。2017年シーズンには、J2水戸ホーリーホックで31歳にしてキャリア最多の14得点。年を追うごとにゴール感覚は研ぎ澄まされ、2018年シーズンには古巣であるヴェルディに戻って、昇格プレーオフの激闘を演じた。

 喜山はヴェルディではポジションをつかめず、地域リーグのファジアーノ岡山に渡っている。そこで、持ち前の不屈さを見せる。JFL、Jリーグへチームを押し上げると、自らも実力をつけた。そして松本山雅をJ2からJ1に昇格させ、2015年シーズンはJ1でもレギュラーとしてプレー。ポジションもFW、MF、DFと替えながら、現在は岡山で主力としてプロキャリアを重ねる。

 ともにボールを追い続けた日々は、今の二人にどう結びついているのか――。

林陵平の場合

「負けた試合はあまり覚えていません。負けるべくして負けた。相手が強かったというだけで」

 林はあけすけに言う。悪い記憶を極力、残さない。それはプロの世界では、一つの異能と言える。とことん楽観的で、明朗闊達。彼は己を信じられる。それ故、三十代に入ってから、キャリアハイのゴール数という人生のグラフを描けるのだ。

「子供の頃は、ただボールを蹴るのが楽しかったですね。自分は3歳で、すでにサッカーを始めていた4歳上の兄と一対一とかをして。小1からは地元クラブでプレーし、エースでゴールを決めてチームを引っ張って、というのが喜びで。

 小2のとき、お母さんとよみうりランドのゴーカートを走って、グラウンドの横を通って。『ここでサッカーをやりたい!』と言ったのは覚えています。それでお母さんが調べて、『ヴェルディのスクール行ってみれば』って。ヴェルディのスクールからジュニアに入るケースはあまりないんですけど、当時のコーチだった高倉(麻子)監督(現・日本女子代表監督)が特別枠で推薦してくれて、小3から入れることになったんです。

 ヴェルディの練習はとにかくミニゲーム。そこに詰まっていました。一緒にボールを蹴るスタッフもみんな上手くて。たまにトップの選手も、ラモス(瑠偉)さんとかも混じっていました。ヴェルディらしさって言うのがあるなら、例えばワンツーだったり、そこで顔出せるっていうか、その感覚かもしれません。

少年時代を語る林陵平
少年時代を語る林陵平

 きーやん(喜山)が入ってきたのは、小4のとき。印象ですか?かわいい顔してるなって(笑)

 ヴェルディは常にふるい落とされる環境なので。お互いが仲間ではあるんですけど、個人として上に上がるしかない。個で見られる。その意識は根付いているんで、先輩後輩とかもないです。

 だから、誰かに相談するとか、弱音とかもなかなか打ち明けられなかったですね。

 自分はジュニアユース(中学生)には上がれたんですが、3年間、ほとんど試合に出られませんでした。身長も小さくて、背番号は50番とか。戦力に考えられていない(苦笑)。ある試合、土のグラウンドで、今日はかわいそうだから使ってやるか、みたいになって、『出たくない』って泣きました。『サッカーをやめたい』って親にも相談しましたね。

 でも、恩師である菊原志郎さんが『こいつは大きくなる。ゴールの形も持っている』と言ってくれて、ユースに上がれたんです。そこから背も伸びて、高3で点を取れるようになりました。

 結局、FWはゴールを決め続けるしかない。数字で成果が現れるポジションで。点を取らないと評価につながらない。そのプレッシャーがある中、決めるゴールは最高ですよ。その快感は何にも似てません。それを知ってるから、また次もってなるんだと思います。

 小6の自分が今の自分を見たら、なんて言うか?

よく頑張ってプロになったな、ですかね(笑)」

(後篇に続く https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20190802-00133777/

【この記事は「Mundial JPN」2号に掲載されたものを加筆、修正しました。https://www.mundialjpn.shop/文中にある写真はすべてMundial JPN提供】

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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