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「フィーゴ以上の裏切り」。イニゴ移籍はなぜ起きたか?憎しみというスパイス。

小宮良之スポーツライター・小説家
熱心に応援するラ・レアル・ソシエダのファン(写真:ロイター/アフロ)

「移籍マーケットが閉まる二日前に、キャプテンの一人が永遠のライバルに移籍するなんてあり得ない」

「生え抜きなのに。あのフィーゴ以上の裏切り者だ!」

「伝説になるはずだったが、ユダになった」

「この恥知らず、役立たずだからくれてやる!」

 ラ・リーガの古豪、ラ・レアル・ソシエダのファンは騒然となっている。選手のツイッターアカウントは炎上。ネットへの書き込みは悪辣を極める。

 それは青天の霹靂とも言える移籍劇だった。

悲痛なファンの叫び

 1月30日、ラ・レアルのスペイン代表センターバック、イニゴ・マルティネスが、長年の宿敵と言える、隣町のアスレティック・ビルバオへの移籍を公表した。移籍違約金(上限)の3200万ユーロ(約42億円)を提示され、クラブとしては白旗を上げるしかなかった。

 アスレティックは、同じ左利きセンターバック、エメリック・ラポルトをマンチェスター・シティに7000万ユーロ(約91億円)で売却したばかり。左利きセンターバックを補強する必要に迫られていたし、潤沢な資金を用意することができた。イニゴに提示された年俸は、アスレティックではチーム最高給となる年俸500万ユーロ(約6億5千万円、手取り)だったという。

「金さえもらえればいいのか? まるで傭兵だ!」

 ファンの憤りは激しい。ネットは怒りの文言で燃えさかる。ラ・レアルが本拠地とするサン・セバスチャンのあるドノスティア県出身で、有名歌手のミケル・エレンチュンまでが「とても悲しく傷ついている。短剣を突きつけるような行為だ。選手には幸運を祈るが、移籍したチームには最低を望む」と呪詛の言葉を吐いている。

<給料アップによって、シーズン途中に主力を奪われる>

 そのやるせなさに対する怒りだが、ラ・レアルはアスレティックへの反感は歴史的に強い。かつて、17才でラ・レアルの将来を背負うと期待されたホセバ・エチェベリアを強奪されたこともあった。この移籍を巡っては、両者の関係の険悪さが危険水域に達している。

 バスク地方にある二つのクラブが、双方の移籍を「禁断」とする理由はある。

二つのクラブの移籍がデリケートな理由

 アスレティックは純血主義を貫き、「バスク人であるか、バスクで生まれ育った選手」でチームを構成している。そのため、極端にマーケットで獲得できる選手は限られる。必然的に同じバスク地域内でのライバルであるラ・レアルとは、昔から選手の取り合いを続けてきた。選手の移籍に関しては、ユースレベルでの小競り合いは毎月のように起きているのだ。

 その中で、ラ・レアルはクラブ規模で優るアスレティックの後塵を拝してきた。搾取されるような気分はみじめで、耐えられない。ファンはこのクラブ間の移籍には想像以上に、神経質になっているのだ。

 そこで、生え抜きのキャプテンの一人で、守りの要が奪われるという「事件」が起こってしまった。

愛が憎しみに変わるとき

 スビエタ(ラ・レアルの下部組織)で育ったイニゴは、過去にラ・レアルへの迸るような愛を語っていた。人一倍アスレティックに敵愾心を燃やしたことで、ファンに愛されるタイプだった。

「アスレティックへの移籍?ふん、オレは敵方には行かないね」

 2014年に語ったイニゴのコメントは、ネットでも張り出され、「うそつき」と多くの批判を受けている。

 愛は憎しみに変わった。

「イニゴは野心家だから、チャンピオンズリーグ優勝を狙うようなクラブに行くのでは、と思っていた」

 ヨキン・アペリベイ会長はその心中を吐露している。

「このタイミングでの移籍はショックだった。しかし、実際に彼はアスレティックを選んでいる。我々のユニフォームを着ることを選ばなかった。他の選手も、実は様々なオファーがあって、このチームで戦うことを選んでいる。我々はラ・レアルの人間であることを誇りに思っているよ。未来志向で行くべきだろう。これでアスレティックとの関係が悪くなる?悪くなるほどの関係性もないさ」

 憎しみだけが増している。

イニゴの心中

「今回の移籍で、一番苦しんだのはオレだ。近しい者は、それを知っているよ」

 イニゴはアスレティックの入団会見で語っているが、この発言は火に油を注ぐようなものだった。しかし、彼はそれで止まらない。潔いほどの決意表明だった。

「長年過ごしたクラブを去る、という決断は難しいものがあった。でも、アスレティックは自分に賭けてくれているのが伝わってきた。肉体がこの決断を求めたというのかな。ラ・レアルでの自分のサイクルは終わりつつあるような気がした」

 どの口が言うのか、というほど潔い。これくらいの図太さがなければ、成功をつかみ取れないところもある。フットボールはそもそも博打のような一面があるのだ。

 日を追うごとに、陰湿な批判は消えるだろう。なぜなら、スペインのフットボールファンがこうした憎悪も楽しみのスパイスと心得ているからだ。その味付けは「Morbo」(不健全で、禁じられているものが持つ魅力、あるいは情念)と呼ばれる。愛と憎しみが、この国のフットボールを強くしてきた。宿敵同士の戦いが、テンションを上げるのだ。

 イニゴを奪われたラ・レアルは、移籍マーケット閉鎖直前、メキシコ代表の左利きセンターバック、エクトール・モレーノを600万ユーロ(約7億8千万円)で獲得している。戦力ダウンを回避。「3200万ユーロでイニゴを売り払い、600万ユーロで一時的に戦力を埋め、育成費をかけ、より良い選手を生む」。ポジティブな思考で、新たな戦いに挑もうとしている。

 かつてラ・レアルからアスレティックに移籍する道を選んだエチェベリアのコメントは淡々としているが、意味深長だ。

「イニゴはプロとしてアスレティックでプレーすることを選んだ。私と同じようにね。それだけのことで、蒸し返しても意味はない」

 エチェベリアはスペイン代表としてワールドカップに出場するなど活躍。レアル・マドリーの誘いも、FCバルセロナのオファーも断り、アスレティックで17シーズンを過ごし、伝説的選手となった。最後のシーズンは「ファンやクラブに感謝したい」と無給でプレーし、生涯アスレティックを貫いた。  

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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