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「逃げたくない」マリノス齋藤学の生き方。

小宮良之スポーツライター・小説家
横浜F・マリノスの主将で10番の齋藤学(写真:アフロスポーツ)

「サッカーを楽しみたい。誰よりも自分がピッチで心から楽しめているか。その姿を観ている人に伝えたい。サッカーを知らない人にも楽しさを知ってもらったら、そのエネルギーを返してもらえるから。それでまた、いいプレーができる」

 その言い方は力みがなく、自然体だった。

 サッカーに対する向き合い方が正直で、真摯で、明るい。小柄な体を躍動させた、ドリブルからのシュートには八艘跳びの爽快感がある。自分の可能性というか、サッカーの可能性を信じている。ピッチに立っているときの彼は笑みさえこぼれそうで、”なにかが起きそうな予感”を伝える。

 そこに、齋藤学(27歳)というサッカー選手の非凡さがあるのだろう。

膝靱帯のケガ

「9月23日、J1リーグ第27節のヴァンフォーレ甲府戦で齋藤学は負傷後に交代。翌日に横浜市内の病院で検査を受けた結果、右膝前十字じん帯損傷と診断されている。長期離脱は確実で、全治は8カ月か」

 各スポーツ紙は、こうした趣旨のニュースを伝えている。

 その日、齋藤は後半に右サイドで、甲府のディフェンダーとボールを巡ってもつれあっている。踏ん張った右膝が内側に入ってしまい、転倒、蹲った。本人がすぐドクターを呼んでおり、事態の切迫が伝わる。

 もっとも、齋藤は右足を気にしながらも一度はピッチに戻っている。しかし、数分後に自ら交代を申し出た。いつもの体の動きからは程遠く、アドレナリンだけで体を動かしていたのだ。

 実は靱帯損傷では、こうした話はないことではない。

 元日本代表の水野晃樹も、セルティックからJリーグと復帰した試合でショルダーチャージを受けた後、右膝がずれた感覚があったが、そのまま数分間プレーした。試合後にドクターから「前十字が切れたまま走った選手は見たことがない」と呆れられたが、本人は「キヨショウ時代(清水商業高校)、『首を絞められてもケツで息をしろ』と教えられましたから」と気力で痛みを封じ込めたという。

 齋藤はケガをしたとき、敢然とピッチに戻っている。このとき、チームはリードを許していた。目標にしている優勝のためには、どうしても勝つ必要があったのだ。

マリノスのキャプテンである意味

「マリノスで10番背負って、キャプテンマークを巻いて、優勝を目指す。それは大変なことで。やりがいがあるから、楽しみですよ!」

 今シーズン開幕直後、齋藤は明るい調子で言った。

 2003年11月、ボールボーイだった齋藤は、劇的な優勝の光景を目にしている。最終節、横浜は首位の磐田にまず勝つ必要があったが、先制点を献上。さらにGKが退場し、後半になって同点に追いつくも、刻々と時間は過ぎた。しかしアディショナルタイム、久保竜彦が逆転に成功し(同時に他会場で鹿島アントラーズが同点に)、得失点差で頂点に立った。

「優勝する、強いF・マリノスを見られたのは、本当に良かったですね」

 横浜の下部組織に在籍していた齋藤はそのときの心情を吐露している。

「諦めずに戦うことで、こんな感動が得られるんだ!って。その感覚は今も心に残っています。だから、(今の)マリノスのサポーターや下部組織の選手たちにも、そういうトップチームの姿を見せたい。今度は自分の番だって」

 望んでいた海外でのプレーの選択肢がなくなったとき、齋藤が目指すのは「横浜・優勝」になった。前年10位で、下馬評は「中位が精一杯」と言われる中、簡単な挑戦ではない。しかしそもそも、海外を希望した理由は「もっと厳しい環境でプレーし、サッカーをうまくなりたい」という一心だったのだ。

「大変なのはわかってましたけど、10番は『つけたい』と自分から志願しましたね」

 前半戦、横浜は黒星が続いている時期でも、齋藤は巻き返しをまったく疑わず、前向きだった。苦難を味わってさえいたのだ。

「俊さん(中村俊輔)がいなくなった数カ月で、自分たちのチームがどう成長したのか。絶対にそれを証明しますよ。苦しいときに何とかしてくれるのが、自分にとっては10番。11番のときも同じ気持ちでやっていたけど、自分にプレッシャーをかけたかった。もう一個、上にいくために。実際、同時にキャプテンに指名されたので、チームとしてどう戦うのか、という方が大きくなりましたけど」

 そして横浜は、終盤になって首位戦線に顔を出していた。

這い上がってきた力

「逃げたくはない」

 齋藤は語るが、それは彼自身の生き様のようにも聞こえる。

「キャプテンになったとき、背負い込んで大丈夫、とたくさんの人に言われました。心配してもらって、ありがたい。でも、俺は逃げたくなかった。大きくなる一つのチャンス、そう思ったから」

 彼はその決意で挑んだ。チームプレーに重きを置いた結果、ゴールが少ないことを揶揄された。当然、ジレンマもあった。言いたいようにやりたいようにやる。キャプテンはそれができない。しかしリーダーの重責をこなしつつ、自由にプレーする部分は自分を解放させる、その着地点が見えてきた。日々を重ねる中、彼は着実に進化を遂げつつあったのだ――。

 右膝前十字靱帯損傷。

 それは大きな試練だろう。不条理とも言える、事故のようなものだ。リハビリは長く苦しく険しい。再発の危険もある。復帰直後は「プレースピードに面食らう」と経験者たちは語る。W杯、海外挑戦、なにより横浜の優勝は・・・。

 しかし齋藤はこの試練を乗り切ることで、一つ高い境地に立てるかも知れない。

「逃げたくない」

 齋藤は堂々と戦い続け、その道を切り開いてきた。横浜でプロデビューしたが、一時は後輩にも抜かれ、出場機会を失った。J2の愛媛FCへレンタル移籍するときは、「帰ってこられないぞ」とも脅されたが、活躍してロンドン五輪候補に選ばれ、最後は本大会の切り札になった。横浜に戻ってから着実に力をつけ、2013年にはJリーグ優勝を最終節で逃したが、ブラジルW杯には本大会メンバーに滑り込んだ。

 齋藤は這い上がることで、運をつかみ取り、力をつけてきた。

「マリノスは一つに固まったら強くなりますよ。そのプレーで伝わるものはあるはず。若手には厳しく、俺の前でふざけんなって言いますね。プロ選手は一日一日が大事って気付いて欲しいから。でも、俺はみんなを信じてます」

 そう語ってきた齋藤は今、ピッチに立てずとも、仲間たちにエールを送っている。サッカーの可能性を。誰よりも熱く信じて。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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