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ユベントス、カテナチオという伝統の凄み。CL、Elで割拠するイタリア勢の底力。

小宮良之スポーツライター・小説家
ユベントス、難攻不落の城砦。(写真:ロイター/アフロ)

80年代から2000年代にかけ、イタリアのセリエAは世界最高峰リーグの称号がふさわしかった。

80年代にはプラティニ、ロッシ、90年代にはデル・ピエロ、ジダン、デシャンらの名手を擁したユベントスが世界の覇権をつかみ、マラドーナに導かれたナポリは旋風を巻き起こし、フリット、ファン・バステン、ライカールトらオランダトリオとバレージ、マルディーニら綺羅星のごときスターが集まったACミランは、名将サッキの下で革命的フットボールを見せた。

しかし、組織ぐるみのドーピング疑惑事件などで次第に評判を落とし始める。そして2006年には、クラブが審判を買収、脅迫していたというカルチョ・スキャンダルが発覚。ユベントス、 ACミラン、フィオレンティーナ、ラツィオ、レッジーナなど多くのクラブが関与していた事実が判明した。この一件によって、セリエAからは有名選手が一人二人と去り、力を失っていった。

以来、いつしかその権威は失墜した。

「昨今のACミランやインテルは、スペインのリーガエスパニョーラなら残留争いに巻き込まれているだろう」

今や世界最高峰リーグの称号を手にしているスペイン人関係者が、そううそぶくほどの体たらくとなった。

実際、セリエAのクラブは力を大きく削がれた。2010-11シーズン以来、1チームもCLベスト4に勝ち進んでいない。昨シーズンに至っては、ベスト8進出チームも0。ベスト16にどうにか進出したACミランも、アトレティコを相手にトータルスコアで、5-1と惨くも敗れ去った。

「名のあるゴールゲッターを獲得できる資金力を失ったイタリアは、ひたすら守るだけで必然的に没落した。もはや、ドーピングによるフィジカルアップも望めない」とも揶揄される。

しかし、今シーズンのチャンピオンズリーグではユベントスが気を吐き、ベスト4に進出している。また、ヨーロッパリーグではナポリ、フィオレンティーナの2チームが準決勝に駒を進めた。

伝統とも言えるカテナチオは、やはり死んでいない。

カテナチオは守備戦術の一つで、イタリア語で「ゴールにかんぬき(鍵)をかける」という意味がある。守るという言葉から連想するのは、「ゴール前に多く人を配し、陣形を固める」=人海戦術になりがちだろうが、カテナチオは一線を画す。ゴール前でブロックを作る点は共通していても、選手の意識が根本的に異なる。攻めの気持ちを持続しながら守り続けられるのだ。

CL準々決勝2レグ、ユベントスはモナコの猛攻を浴びながらも、まったく動じるところがなかった。ピッチが思った以上に滑り、試合立ち上がりにジョルジョ・キエッリーニが転倒し、ボールを手で抱え込んでカウンターを防いだシーンを除けば選手たちは落ち着いて守り通した。1レグを1-0で勝利していたため、ドローでの勝ち上がりは誰でも考える作戦だろう。

しかし、実際にその仕事をやり遂げるのは難しい。

なぜなら、守りに入ると相手の勢いは倍増するからだ。

「失敗すれば失点する」

たいてい、その不安は選手の心を蝕むが、子供の頃からカテナチオを叩き込まれるイタリア人たちにはその怯懦がない。絶妙の心理制御を続け、守りながらその先のカウンター攻撃につなげられる。攻めの余力を残しているが故に、よしんば失点したとしても、イタリアのチームは相手を焼き尽くすような攻撃にも転じられる。失点後、落胆を見せないメンタルは尋常ではない。

「ボールを持っている方が有利」

それはサッカーの大原則である。ボール保持側は失点の危険に晒されておらず、逆に得点の可能性が高く、心理的に有利で精神的消耗が少ない。一方でボールを持っていない方は失点に怯えながら得点は見込めず、忍耐を余儀なくされ、精神的な圧迫を受ける。受け身の心理状態は腰を引かせ、焦りやストレスを肥大化させる。

ところがイタリア人は平常心で、守りながら攻めの準備を忘れず、攻めながら守ることを忘れない。いくら守っていても、気持ちまでは守りに入らず、相手の攻撃を受け止め、守るという意識の中に攻める意識を常に持つ。そのため、心理的摩耗が少ない。彼らはあえて待ち受け、打ち懸かってくる者の力を利用し、乱れを突くように“後の先をとる”。90分間を通して集中力を切らさず、守りに神経を傾けながら勝利に向かえるのだ。

ユベントスはカルロス・テベスが攻撃を担い、アンドレア・ピルロがゲームをコントロールする。彼ら二人がいなければ、あるいは凡庸なチームだろう。しかし決して目立ちはしないが、その強さの根底にあるのは、イタリアのクラシックな戦い方にあるのは間違いない。GKジャン・ルイジ・ブッフォンを中心に、レオナルド・ボヌッチ、キエッリーニ、アンドレア・バルザーリらバックラインのイタリア人選手たちは、"果敢な守備"ができるのだ。

イタリア伝統のカテナチオはオリジナルで、他国は決してコピーができない。イタリア人のように徹底したメンタリティで守りきることはできないだろう。そのゲームは第三者的には退屈に映るはずだが、セリエAでは勝者だけが生き残る。勝利すること、それのみに彼らの流儀はあるのだ。

<イタリア流は“機先を制す”より、自ら望んで"後の先の手を打つ">

彼らは彼らのオリジナルで、欧州フットボールに割拠し続ける。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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