Yahoo!ニュース

史上最多の死者を出した「京アニ事件」から2年 施設の「防犯ワクチン」は、オリンピック・テロは大丈夫か

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
(写真:ロイター/アフロ)

史上最悪の大量殺人

いわゆる「京アニ事件」から今日で2年が経過した。

2019年7月18日、アニメ制作会社「京都アニメーション(京アニ)」第1スタジオが、侵入者によってガソリンをまかれて放火され、社員36人が死亡、32人が重軽傷を負った。記録が残る中で、最も死者が多い事件だという。

今年の3月、アイドルグループのライブが開かれていた徳島市の雑居ビルが、やはり侵入者によってガソリンで放火された。この事件の容疑者は、「京アニ事件をまねた」という趣旨の供述をしたという。

そういえば、京アニ事件の3年前の同じ7月に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」が、入所者19人の命を奪って「戦後最悪の大量殺人」と報道されたので、わずか3年で最悪の記録が更新されてしまったことになる。こうした記録更新は勘弁してほしい。数の上昇が繰り返されると、犯罪に対する感覚がマヒしかねない。

施設がいったん犯罪のターゲットにされると、大量の犠牲者を生む危険性が高まる。相手はだれでもいい、逮捕されてもいいと思って犯行に及ぶ「自爆テロ型犯罪」の場合はもちろん、施設内の特定の人物を相手にして、逮捕されたくないと思っている「通常型犯罪」の場合でも、犯人が好むと好まざるとにかかわらず、いや応なく施設内の不特定多数の人を巻き込んでしまうからだ。

防犯環境設計で守りを固める

それゆえ、施設の守りは鉄壁にするに越したことはない。そのノウハウは、「犯罪機会論」が教えてくれる。そこでは特に、犯罪機会論のハード面(物理面)を担う「防犯環境設計」が威力を発揮する。

犯罪機会論のソフト面(心理面)を担う「割れ窓理論」についての記事はこちら

犯罪学には、人に注目する「犯罪原因論」と、場所に注目する「犯罪機会論」がある。

施設の安全に関しては、犯罪原因論は無力に近い。なぜなら、施設に近づいてくる人の性格や境遇、つまり、犯行の動機に結びつくものを把握することは至難の業だからだ。

しかし、犯罪機会論は有効である。なぜなら、施設の物理的デザイン(防犯環境設計)によって、犯行のコストやリスクを高くすれば、動機があっても、犯行をあきらめざるを得ないからだ。

防犯環境設計の研究により、犯罪が起きやすい場所は、「入りやすい場所」と「見えにくい場所」であることが分かっている。したがって、「その場所」を安全にするには、「入りにくくする」と「見えやすくする」が必要だが、施設に限って言えば、「入りにくくする」が圧倒的に重要である。

というのは、いったん侵入されてしまったら、たとえ犯行を発見しやすい場所であっても、犯行自体を阻止することは難しいからだ。このことは、「自爆テロ型犯罪」を想像すれば容易に理解できよう。したがって、施設の守りは、文字通り、「鉄壁」にする必要がある。

多層防御の具体例

防犯環境設計が提案する「鉄壁」の発想は、「多層防御」と呼ばれている。侵入者によって第1層が破られても、第2層、第3層という形で乱入を食い止め、守りを崩されないようにするのだ。

東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)も、内壁、外壁、堀壁(木柵と外堀)という多層防御によって、「東西文明の十字路」であるにもかかわらず、1000年の長きにわたって難攻不落を誇った。

コンスタンティノープルを守った三重構造のテオドシウスの城壁(筆者撮影)
コンスタンティノープルを守った三重構造のテオドシウスの城壁(筆者撮影)

日本の城も、内堀、中堀、外堀と石垣に囲まれ、多層防御を実現していた。一歩で一段上がれないよう幅広く作られた石段も、多層防御の一部分だ。

天守閣に向かう道が途中から下り坂となり、天守から遠ざかっているように錯覚させるトリックも、多層防御の一部分だ。

天守閣に向かう道が途中から下り坂になる姫路城(筆者撮影)
天守閣に向かう道が途中から下り坂になる姫路城(筆者撮影)

日本の城を見習って、日本の病院、学校、高齢者施設、障害者施設なども、多層防御を取り入れることが望まれる。まずは、ゾーニング、つまりスペースによるすみ分けに取り組んでみてはどうだろうか。

例えば、オーストラリアのセント・ビンセント病院では、駐車場を医療従事者用と来院者用に分離している。これによって、医師への暴行や看護師へのストーカー行為を防いでいる。これも、多層防御の視点からのゾーニングである。

多層防御で患者と職員を守るセント・ビンセント病院(筆者撮影)
多層防御で患者と職員を守るセント・ビンセント病院(筆者撮影)

先端テクノロジーによる多層防御

施設の多層防御は、設計段階で組み込む必要がある。建設後の改修では、物理的にも予算的にも難しい。

ただし、建設後でも、テクノロジーの助けを借りれば、多層防御を実現できる。その一つが、「ディフェンダーX」である。緊張したときに生理的に起こる顔面皮膚の微振動を解析して、その人の緊張度を測定するソフトウェアだ。生理学的には、ポリグラフ(俗称「うそ発見器」)の原理に近く、イメージ的には、アニメ「PSYCHO-PASS(サイコパス)」の世界に近い。

ディフェンダーXは、顔認証ソフトウェアと異なり、あらかじめ犯罪者の顔のデータベースを準備する必要はない。あくまでも、「今ここ」での緊張状態を調べるにすぎないからだ。

これを防犯カメラに搭載すれば、例えば、施設の近くで中の様子をうかがっていたり、凶器を隠し持って中に入ろうとする人を検知し、自動的に警察署に通報できるかもしれない。

2001年に東京・新宿歌舞伎町の雑居ビルで起きた火災では、44人が亡くなった。未だに出火原因は不明だが、報道によると、警察は放火の疑いが強いとみて、捜査を続けているという。2008年には、大阪市・難波の雑居ビルで16人が亡くなる放火殺人事件が起きた。

雑居ビルが犯罪のターゲットになる場合には、各テナントが個別にディフェンダーXを導入しなくても、雑居ビルの入り口に1台導入するだけで、犯罪企図者の早期発見につながる可能性がある。犯罪企図者は、雑居ビルに入る段階で、かなり緊張しているはずだから。

ディフェンダーXは、テロ対策にも使える。

オリンピックは、テロリストにとって格好のターゲットなので、オリンピック施設の防犯カメラにも、ディフェンダーXの搭載が望まれる。実際、ディフェンダーXは、2014年のソチ・オリンピックで使用されたという。

ソチ五輪のディフェンダーX (C) 2021 ELSYS ASIA SECURITY SDN BHD
ソチ五輪のディフェンダーX (C) 2021 ELSYS ASIA SECURITY SDN BHD

もっとも、今年の東京オリンピックは、よりきめ細かく危険性を評価する必要がある。

例えば、無観客になった施設や、パブリックビューイングが中止になった施設では、テロ発生の確率は低下した。しかし、1972年のミュンヘン・オリンピック事件のような、選手団を狙ったテロの危険性については、あまり変化はない。

海外からの観客や観光客を受け入れていないため、その分、危険性は低下するが、コロナ禍による不満の拡大は、危険性を高めている。つまり、「ホームグロウン(自国育ち)」や「ローンウルフ(一匹おおかみ)」のテロリストによる犯行は、依然として脅威なのだ。前述した「自爆テロ型犯罪」との境界線が曖昧なテロである。

大量殺人を中心に話をしてきたが、犯罪がもたらす悲しみや苦しみの大きさは、大量だろうが少量だろうが変わらない。たった一つの犯罪だけで、被害者の人生はもちろん、加害者の人生も、地域社会のやすらぎも破壊されてしまう。

起こった悲劇に関心を持つだけでなく、悲劇の「予防」に、もっと関心を向けるべきではないだろうか。「〇〇になったら、△△しよう」というクライシス・マネジメントではなく、「〇〇にならないように、△△しよう」というリスク・マネジメントの発想である。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

小宮信夫の最近の記事