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「私のような忠誠心の高い幹部も動揺」金正恩の“統一放棄”宣言に国民が反発、逮捕者も

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
金正恩氏(朝鮮中央通信)

日本の植民地支配から解放されてから間もない1947年1月、ソウル中央放送局(前身は京城中央放送局、現在のKBS)に勤めていたソウル大学音楽部の学生だった安丙元(アン・ビョンウォン)は、3.1独立運動を記念する子ども音楽劇を企画することになった。作曲を音楽家の父・安夕影(アン・ソギョン)に依頼し、5曲が出来上がった。そのうちの1曲が「われらの願い」だ。

「われらの願いは独立 夢にも願いは独立♪」

この歌は1947年3月1日午後5時半、710キロサイクルの電波に載せて放送され、爆発的な反響を呼んだ。しかし、翌年8月15日に成立した大韓民国政府は、「独立」の部分を「統一」に変えて歌うよう提案し、安丙元は歌詞を変更した。その後、小学校の教科書に掲載され、今に至るまで歌われ続けている。

後に北朝鮮にも伝わり歌われるようになったが、北朝鮮当局は2016年7月、禁止曲に指定した。徹底して「統一は民族の宿願」であるとの教育を受けてきた国民からは、戸惑いの声が上がった。そうした戸惑いは、今年になってさらに強まっている。金正恩総書記の号令一下、当局が「統一」そのものを国中から消し始めたからだ。

それと関連して「不適切な発言」を行った市民が、逮捕される事態も起きている。

平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋は、当局が朝鮮労働党の各機関、社会主義愛国青年同盟(青年同盟)、朝鮮社会主義女性同盟(女盟)、朝鮮職業総同盟(職盟)、朝鮮農業勤労者同盟などに対して、政治講演会や学習会、総括総和(総括)の時間において、対南朝鮮(韓国)政策に関する発言で慎重を期すように指示したと伝えた。

また、党の政策について批判を招きかねない言及を一切しないこと、不必要な解釈をする者や政治的発言をする者は動向を徹底的に監視し、上部に報告する体系を強化することなども指示した。

金正恩氏は今年1月、朝鮮労働党第14期第10回最高人民会議の施政演説で、「憲法にある『北半部』『自主、平和統一、民族大団結』という表現が今や削除されなければならないと思う」と述べ、韓国を統一すべき相手ではなく、主敵とみなす教育をすべきなどとも述べた。

これに伴い、国歌に当たる「愛国歌」の歌詞の変更、平壌地下鉄の「統一駅」の駅名削除、南北統一を象徴する祖国統一3大憲章記念塔の撤去など、「統一を消し去る」措置が大々的に行われている。北朝鮮国民からは戸惑いや疑問、批判の声が噴出しているが、当局はその抑え込みに躍起になっている。

平城(ピョンソン)市保衛部(秘密警察)は最近、「マルパンドン」(言葉の反動、反政府的言動)の容疑で、60代男性を逮捕した。その発言とは次のようなものだ。

「祖国統一は首領様(故金日成主席)の遺訓なのに、なぜ急に統一という言葉を使うなと言い出したのかわからない」

(参考記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面

デイリーNKとのインタビューに応じた北朝鮮の幹部は、忠誠心の高い人物の間ですらも、このような「統一削除」に批判的な意見が多いとして、次のように述べた。

「自分もそうだが、忠誠心や党性(忠誠心)の高い幹部にも動揺している者が多い。しかし、言葉で『南は同じ民族ではない』と言ったからと、一瞬のうちに民族性が消えるものではないと思う。自分は反動(分子)だから、そんなことを考えている、というわけでは決してない。党に忠実な人々も、民族と祖国統一、同胞、ハンギョレ(一つの民族)という明白な歴史的事実は、ひと言ふた言(の演説)は消し難いと考えている。そのような意味で今回の布置(布告)は、好ましいやり方ではないと思う」

祖国統一を掲げて北朝鮮が起こした朝鮮戦争は、軍人と民間人と合わせて韓国で240万人、北朝鮮で292万人の尊い命を奪った。戦火に焼かれなかった釜山や大邱周辺を除いた朝鮮半島のほぼ全土が灰燼に帰した。また、当時の人口2000万人のうち、何割かの人が家族と離散した。休戦後も、南北の分断状況は重くのしかかる軍事費、言論の抑圧などを正当化した。

それでも経済的繁栄を手にした韓国では、むしろ国民の側から「統一離れ」が進んでいる。しかし、独裁の圧政と経済難に呻吟する北朝鮮国民にとって、祖国統一は塗炭の苦しみから解放される、ほとんど唯一の望みなのだ。

そんな最後の精神的な支えを取り払おうとする金正恩氏の試みは、果たしてどんな結果を招くのだろうか。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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