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「何も悔いはないです」森田あゆみ引退インタビュー。晴れやかな表情で次を見据える 前編【テニス】

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
引退セレモニーで花束を受け取った森田あゆみ(写真すべて/神 仁司)

 プロテニスプレーヤー・森田あゆみが現役を引退した。33歳の決断だった。15歳でプロに転向し、2010年代前半に、世界ランキング自己最高40位(2011年10月)を記録し、グランドスラムやWTAツアーで活躍した彼女だが、キャリアの後半はけがに泣かされて、なかなか思うようなプレーができなかった。だが、引退を決意した森田は、意外なほど晴れやかな表情で、その経緯を語り出した。彼女の双眸は、すでにあることを見据え、現役時代と変わらない輝きを放っていた。

――まず、なぜ引退を決意したのでしょうか。いつ頃決心を固めたのでしょうか。

森田:決めたのは(2023年の)春ぐらいですかね。手術してからずっと、自分の中での目標が、もう一回グランドスラム本戦で戦うことと、以前の自分のレベルまで戻すというのがずっとありました。それを目指してやっていたんですけど、ここ数年、長年のストレスが自分の思っていたよりもかかっていて、精神的なところから少し体調も良くないことがありました。あとは思ったよりも自分のテニスのパフォーマンスも元に戻ってこなかったりした。そういうのがいろいろあった中、自分が目標とするレベルまで戻すというのがあった時に、どうしても一年通していい状態で練習やトレーニングを日々続けられて、試合を回れる状態じゃない、難しいなと思いました。それはできると思ってずっとやってきていたんですけど、やっぱり体調の面もあったり、自分のテニスの状態を考えた時に、これ以上頑張るのは無理だなというか、頑張りきれる範囲では頑張ったな、というのを自分の中で感じて、完全燃焼したなというか、自分の中でやりきったなと思うのがあって決断しました。

――その気持ちを最初誰に打ち明けたんですか?

森田:(森田のツアーコーチを務める)丸山(淳一)コーチです。丸山コーチと話していく中で、普段からコミュニケーションをとっているので、自分が思っている頑張りをできなくなっているのは自分でもわかっていたし、丸山コーチもわかっていたので、これ以上頑張るのは難しいよねというのが、二人の中でもわかっていたというか、割とすんなり(受け入れられた)。

――森田さんの現役最後の試合が、2022年11月の安藤証券オープンの1回戦でした。引退試合をやらなかったのは、何か理由があったんですか。

森田:それは右ひじにも痛みが出ていたというのもあります。それもすべて手首や指のけがからきているのが連鎖しているんですけど。冬の時点でひじも痛くなって、練習も思うように自分のイメージ通りできないのもあった。結構体調的に悪くなったので、休んでいたという時期もあった。そこからもう1回試合になると、すごくそのレベルに戻すのは大変。自分の中では、選手としては引退しようというのは決まったので、次に向けて割とすぐ切り替えた。完全燃焼して、すっきりしたのもあったので、これから次に向かってやっていこうというのもあった。その次というのが、今度は育成とか、コーチをしたいという気持ちがあって、もうそっちに傾いていたので、もう一回その選手として、公式戦で引退試合を最後したいという気持ちは、あまり自分の中ではなかったです。

――森田さんは、キャリア後半けがに泣かされましたね。

森田:最初右手首の手術は2015年でしたかね。右手首に3回メスは入れています。4回目が右の薬指なんですけど、腱が脱臼してて、縫い合わせて、それの影響が結構最終的には大きかったです。一度復帰して2試合ぐらいやったら、何か痛くて様子を見ていたんですけど、腱が脱臼してて2018年9月に手術しました。そこから何か手の感覚が変わってしまって、試合やっても手が引きつる感じだったり、感覚が悪くて思うように打てなくなってきたりした。でも、最初はそれも受け入れてやってて、前向きにやってたんですけど、思ったように自分がイメージしているパフォーマンスに戻らないし、試合自体もなかなかそのレベルまで持っていくのも苦労した。そういう中で、結構自分では大丈夫だと思ってたんですけど、たぶん精神的なダメージも蓄積してきていて、それでちょっと体調面も影響が出てしまった。

――新型コロナウィルスのパンデミックで、ツアーが中断しましたが、森田さんにはどんな影響があったんでしょうか。

森田:あの時は、けがの状態も含め、すごい準備ができていたわけじゃなかったので、逆に良かったなって思いました。でも、その期間があったとしても、ベストの状態に持っていくのはできなくて。いい時もあるんですけど、練習を積み重ねていくと、痛みだったり、違和感が強くなったり、繰り返していたので、大変と言ったら大変でしたね。

――森田さんは、2005年4月にプロに転向。当時まだ15歳で、ものすごく早くプロになったんですよね。約18年間長かったのではないでしょうか。

森田:確かにキャリア後半は大変なことが多かったですけど、それでも振り返ってみたら、すごい恵まれたテニス人生だったなと思います。いろんな世界も見れましたし、一番上のトップのところでも見れましたし。

 あとは、けがしてから早稲田で学生とかと、5~6年練習させてもらいました。普通に選手やってるのも大変ですけど、けがの時にいろんなリハビリだったり、それとまた違った大変さも経験したりしました。そういうところから、精神的に強くなった部分もあると思います。本当にいろんな経験をしたなぁと思っています。

(ワールドツアーで一番下のグレードの大会である)1万5千ドルは、昔(若い頃)は出たことなかったんです。最初のスタートはワイルドカード(大会推薦枠)をもらって、今でいう6万ドル(大会)からスタートでしたが、それである程度ランキングを取れました。2万5000ドル大会は出場しましたけど、(キャリア後半でけがからの復帰を試みた時に)1万5000ドル大会に初めて出場して、こういう世界なんだって。そういう意味でもすごくいろんな経験ができました。

――キャリアを振り返って、一番良い思い出は何ですか。

森田:難しいですね、1個っていうのは。でも、(2013年)全豪(3回戦)のセンターコート(ロッド・レーバーアリーナ)でセリーナ(・ウィリアムズ)とできたことは印象に残っています。あとはフェドカップ・ロシア戦とか。

――ロシア戦は、私も現地で取材しましたが、森田さんの活躍は見事でした。女子テニス国別対抗戦フェドカップ(現在のビリー ジーン・キングカップ)ワールドグループI・1回戦、アウェーのモスクワで、当時好調だったエカテリナ・マカロバ(当時20位)を6-2、6-2、エレナ・ベスニナ(当時33位)を6-4、6-1。森田さん(当時57位)はシングルスで2勝を挙げて、日本はベスト4まであと一歩でした。

森田:あの試合よかったよと結構言ってもらえます。私が良い状態であったのは間違いなかったですし、昔から団体戦は結構好きだったんです。いつもより頑張れるし、応援してくれるから楽しいっていうのもありました。あの試合は自分でもすごく良かったなって思いますね。

――現役生活を振り返って、悔いはありませんか。

森田:振り返ったらいろいろありますけど、トータルして考えて、本当に最後も自分が完全にやり切ったなって思えるところまでやらせてもらえたので、何も悔いはないです。すっきりしています。

――ジュニア時代からプロまで約20年間一緒に戦った丸山淳一コーチと、最後まで一緒に戦い終えて、どんな気持ちですか?

森田:これからも一緒にやっていくので、これで終わりって感じではないんですけど。でも、丸山コーチがいなかったら、ここまでたぶん続けられなかったですね。あとは、自分が若くしてあそこまで行けたのも、自分の環境がすごく恵まれていたというか。自分が世界で戦いたいと思った時に、そこを知っているコーチが常にいた。(茅ヶ崎にある)パームテニスアカデミーには、杉山愛さんがいて、私が15~16歳の時に、杉山さんには機会があったら打ってもらったりした。さらに、自分がツアー出られるようになったら一緒に行動させてもらったり、練習してもらったり、ダブルス組んでもらったり。自分の目指すところ、行きたいところを知っている人たちが周りにいたので、そこに行くために必要なことを日々できた。だから、あのスピード感でいけたと思っていて、その環境がなかったら、絶対行けてなかったなって自分でも思う。たまたま巡り合って、運が良かったなと思いますし、そういう意味ではすごく恵まれていたなと思っています。

(丸山コーチに)感謝はすごくしています。私が13歳の時に出会って、その子供に賭けるってなかなかできないじゃないですか、先がどうなるかわからないし。本当に感謝しています。選手とコーチでは相性もありますけど、(丸山コーチと)相性もすごく合ったし、一緒にここまで頑張り続けてくれたということに関してはすごく感謝しています。

――哲学的な質問ですが、森田さんにとってテニスとは。

森田:うーん、難しいな、ありきたりな答えになっちゃうんですけど、自分にとっては本当に生活の一部というか、欠かせないもの。唯一、どんな時でも熱中できるようなものなので、今まで一度も嫌だなと思ったこともないし、飽きたこともない。もちろん遊んだり出かけたり楽しいことしている時は楽しいですけど、テニスをやっている時とか、テニス関係でちょっとジュニアを教えたりとか、何かテニスのことをやっている時が一番楽しい。充実感もあるし、生き生き自分ができるので、そういう意味でも、今後選手をやめたとしても、欠かせないものなんだなってつくづく感じています。

後編につづく

引退セレモニーには、ジュニア時代からお世話になった杉山愛さん(写真一番左)や杉山芙沙子さん(写真一番右)も駆け付けた
引退セレモニーには、ジュニア時代からお世話になった杉山愛さん(写真一番左)や杉山芙沙子さん(写真一番右)も駆け付けた

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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