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「広く世界を見れたのは、人生においてすごく貴重な経験だった」尾﨑里紗引退インタビュー 前編【テニス】

神仁司ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト
28歳でプロテニスプレーヤー現役引退を決意した尾﨑里紗(写真/神 仁司)

プロテニスプレーヤーの尾﨑里紗が、28歳で現役のキャリアを終えようとしている。

現役最後の大会は、本戦ワイルドカード(大会推薦枠)を得て出場する全日本テニス選手権(東京・有明、10月22~30日)の予定だ。

そこで尾﨑に、引退を決断した経緯や約10年間のキャリアを振り返ってもらった。

――引退をいつ決めたのですか。どうして引退を決断したのですか。

尾﨑:2022年の春には、年内で引退するっていうのは決めました。決断した理由としては、やっぱり結果が出なくなっていたっていうのと、けがもあったり、自分の年齢的なところを考えたりして、このまま選手として続けることが、自分にとっていいのかどうかっていうのを考えました。やっぱりプロだし、結果を出せないと(現役を)やっている意味もないですし。両親は、「お疲れさま」と言ってくれました。(尾﨑のツアーコーチを務めた)川原(努)コーチは、「今年いっぱいで終わるのがいいんじゃないかって」。

――28歳は、現代テニスでは、まだまだ頑張れる年齢だと思うのですが、もう1回自分をプッシュできなかったのでしょうか。

尾﨑:1~2年前から腰のけががあって、その後、肩が痛くなって、ちょっとサーブが打てない状態になりました。ずっとリハビリとか、ケアをしながら過ごしていました。

 28歳というのは、確かにまだ選手として年齢が上過ぎとは思わないですけど、自分の世界ランキングも落ちてしまいました(10月17日現在、尾崎のWTAランキングは消滅している)。若手もどんどん出てきて、世界のレベルもたぶん上がっていると思います。もう1度100位とか2桁のランキングを目指すんだったら、やっぱり若い時とは違う。若い時はやっぱり勢いとかもあって、何も知らずにガムシャラにやって、何とか(世界のトップ100に)入ることができた(2017年4月にWTAランキング70位を記録)。1度経験もして年齢も重ねて、もう1度その上を目指そうって思った時に、若い時とは違う覚悟とかがもっといると思います。(プロの厳しさを)知っている分、若い時よりも自分を追い込んで努力しないと、あそこの位置には行けないかなって思った。そう考えた時に、今の私にはちょっと厳しいかなって思いました

――2018年はじめ頃に、テニスを頑張る目的を失って尾﨑さんから引退したいと、川原コーチたちに相談したことがあったと聞きました。尾﨑さんの気持ちは、そこから根本的に立て直すことができなかった部分もあったのでしょうか。

尾﨑:世界ランキングが100位から落ちてしまって、グランドスラムの予選も負けてしまって、2018年の春ぐらいに、1回引退っていうのが頭をよぎったことがありました。川原コーチとかにも相談もしました。ただ、私もまだ当時23歳でしたし、いろんな人と相談しながら、いろいろ自分の気持ちを言ったりしました。でも、話をしている中で、やっぱりもう1回100位に戻りたいという思いがありましたし、もう一度グランドスラムの本選に出ることを目指してやろうとなりました。オリンピックに向けて頑張ろうとも思い、私も納得して試合に出ていっていたんですけど、ITFの大会(WTAツアーの下のカテゴリー)でも勝てなくなってしまいました。自分の中ではもう1度頑張りたいって思っていたけど、2017年にWTAツアーを回っていた時と環境が全然違い過ぎて、辛さやストレスもありました。さらに、今まで負けたことなかった選手に負けてしまったり、試合の中でここぞという時にポイントが取れなかったり、うまく自分の体が動かなかったり、ショットに違和感を覚えたり、そういうことが増えて苦しかった部分はありました。

 ランキングが落ちてからは、とにかく戻そうと思って試合に出続けていましたが、それも良くなかったんじゃないかっていうのもありました。自分ができると思って試合に出ても勝てないっていうことが続いていたので、たぶん混乱していたところもありましたし、焦ってもいました。ちょっと数週間でも考える時間というか、1回落ち着く時間があってもよかったかなと、今は思いますね。

――2020年3月以来、試合に出ていませんが、新型コロナウィルスのパンデミックが逆風になった感じもありますか。

尾﨑:とにかく肩がなかなか治らなくて、第一線から離れてしまって……。コロナ禍で1回海外遠征に行くなら、やっぱり長いこと行かないと経費的にももったいないし、けがの不安もある中で、長い遠征を組んだりっていうのが、ちょっとなかなか難しかった。日本やアジア圏内で試合があったら、行きたいと思っていたんですけど……。

――約10年間のプロキャリアを振り返って、一番の思い出は?

尾﨑:(2017年)USオープンで1勝したことですかね。[※23歳の尾﨑(当時WTAランキング96位)が、1回戦で、予選勝ち上がりのダニエル・ラオ(219位、アメリカ)を、6-3、6-7(7)、7-6(5)で破った。試合時間3時間2分]。

 ずっと(グランドスラムの)1回戦で負けていた中で、シーズン最後のグランドスラムですし、対戦相手が予選上がりで1番チャンスがあった。ここでとにかく1勝しないとダメだっていう風に、自分でやっぱり思っていたのもあった。それで余計に緊張しちゃったっていうのもあるんですけど(苦笑)。ファイナルセットは相手にマッチポイントが確か5本あった中で、巻き返して何とか1勝できた。だから、自分の中ではいい思い出です。やっぱりグランドスラムの1勝がすごく難しいんだっていうことを感じたので、すごく心に残っています。

――2017年春にマイアミオープンで、予選からベスト16に進んだ快進撃は素晴らしかったですね。

尾﨑:あの時は、自分でもなんでそんなに勝ったんだろうって感じなんですけど(笑)。結構前のことだから、忘れちゃった。とにかく一球一球いいボールを打とうとか、本当にシンプルなことだけを考えました。本当に私はチャレンジャーの立場でしたし、一球一球ガムシャラにコートにボールをねじ入れてたというか。ランキングが上の相手でも、自分も同じ立場だと思って相手に向かっていきました。

――世界を転戦することって、普通の女性ではなかなか体験できないことです。楽しいことと大変なこと両方を経験してきたと思うですが、そんな経験をどう振り返りますか。

尾﨑:海外を転戦して試合を回るっていうことが、普通の人ではできないことですし、それを10代の頃からやってきて、広く世界を見れたっていうのは、人生においてすごく貴重な経験だった。あと、いろんな選手とも戦うことができた。試合中は、いろいろ難しいところがたくさんあったんですけど、やっぱり今思い返すと、そういう選手たちとプレーできたことが楽しかったんだなと思いますし、このテニス人生でそういう経験ができたのは、すごく貴重でした。

(大会では)インディアンウェルズ(アメリカ・ロサンゼルス郊外にあるリゾート地)は好きですね。やっぱり、すごい会場自体も広くて、解放感もあって。日本ではなかなか無い雰囲気で好きでした。

(後編に続く)

ITWA国際テニスライター協会メンバー、フォトジャーナリスト

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンMJ)勤務後、テニス専門誌記者を経てフリーランスに。グランドスラムをはじめ、数々のテニス国際大会を取材。錦織圭や伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材をした。切れ味鋭い記事を執筆すると同時に、写真も撮影する。ラジオでは、スポーツコメンテーターも務める。ITWA国際テニスライター協会メンバー、国際テニスの殿堂の審査員。著書、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」(出版芸術社)。盛田正明氏との共著、「人の力を活かすリーダーシップ」(ワン・パブリッシング)

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