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「BBCをぶっ壊す」英国でなぜ言われない? 特別な存在だが危機状態との指摘も

小林恭子ジャーナリスト
BBCの放送センター前で(写真:ロイター/アフロ)

 以下のインタビューは、週刊誌「東洋経済」11月23日号特集「NHKの正体ー膨張する公共放送を総点検」に掲載された、筆者執筆記事(実は政府の影響を排除しきれていない 本当にNHKのお手本になる? BBCの意外な実態とこれから)のために行われたものです。

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 ジャーナリズムにも、ガバナンスにも懐疑の目が向けられるNHK。その英国版とも言えるBBCは、英国でどう受け止められているのか。課題は何か。日本の「NHKから国民を守る党」(N国党)のような政治勢力はあるのか。

 放送業の専門家数人に聞いてみた。

 最初の回は、英BBCはお手本になるか? 英国でN国党がない理由は「公共のため」を信じる国民がいるから になる。今回は、2回目である。

 英キングストン大学のブライアン・カスカート教授(ジャーナリズム)は、ジャーナリストとしても知られ、メディアに説明責任を持たせるためのロビー組織「ハックト・オフ」(俳優ヒュー・グラントが旗振り役となったことで著名に)の創業者でもある。

BBCは英国では特別な位置を占める

ー英国では、日本の「NHKから国民を守る党」のような政治勢力はあるでしょうか。英国民にとって、BBCはどんな存在なのでしょうか。

カスカート教授:2つ目の質問からお答えしましょう。

 話の根幹になる部分です。

 英国社会で、BBCは特別の位置を占めていると言えます。

カスカート教授(キングストン大学提供)
カスカート教授(キングストン大学提供)

 英国はイングランド地方の他に北アイルランドもあれば、スコットランド、ウェールズもあります。人々の階級も色々ですし、人種も、出身国も違ったりします。

 しかし、これまでの歴史を振り返ると、英国を1つにまとめる役目をしてきた4つか5つの組織があります。

 1つは軍隊です。これは国のレベルですよね。

 その他には、第2次世界大戦後に作られた「国民医療制度」(NHS)。これは何十年にもわたって、英国の宝のような存在です。税金で診察料を賄うので、貧富の差を問わずにお医者さんに診てもらえる体制です。

 ゆりかごから墓場までの福祉体制もそうですね。

 王室制度もそうです。

 BBCは中でも最も力が大きいと言えます。

 第2次大戦時のBBCのニュースをみんなが聞いていました。その後も番組を視聴し続けてきたわけです。BBCは国民を一つにまとめる役割を果たしてきましたし、国民はBBCを自分たちのものとして、みんなで所有・共有してきたのです。

 これが可能になったのは、創立当初から政治的に不偏不党を頑固に貫いてきたからです。どこの勢力にも与せず、みんなのものであり続けました。

国が割れて、BBCは誰も満足させることができなくなった

ーBBCを壊すことを目指すような、日本のN国党に相当する政治勢力はありますか?

 それは現在の与党・保守党と言えるでしょう。

 過去何十年にもわたって、常に反BBCでした。保守党はBBCが民放になるべきと思ってきたのです。

 その理由は、イデオロギー的に言うと、英国の保守派はいかなる形であっても国家によるサービスというのものを信じていません。公共のために放送をするBBCの意義を信じていません。少なくとも、これが1つの理由です。

 BBCは今、危機状態にあると思っています。

 それは、これまでは不偏不党であることですべての人を満足させてきたのですが、今や、同じ理由ですべての人に不満を抱かせるようになったからです。

 今、英国はこれまでの歴史では見られなかったほどの分断が起きています。このことをいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。今ほど、英国が2つに深く割れたことはないと思っています。

ー英国の欧州連合からの離脱(「ブレグジット」)をめぐって、国民の意見が割れている、ということでしょうか。

 そうです。ブレグジットがあるので、BBCは機能しなくなってきています。すべての人を満足させることができなくなりました。

 BBCの現在の経営陣が弱体化していることも危機状態にある理由の1つです。この大事な時に、指導力を発揮できない状態です。

―朝の情報番組の司会者が個人的な見解を表明したとして、注意され、これが炎上して、その判断を引っ込めるという事件がありましたね。BBC、「差別批判は中立原則の逸脱」としたものの、後で撤回 一部始終を振り返る

 経営陣はすぐに対応できませんでした。自分たちが何をしようとしているのかを視聴者に伝えることができなかった。その結果、すべての人を怒らせたのです。

 それと、新聞メディアの影響もあるでしょう。

 英国の主要全国紙は非常に保守・右派系で、例外なく離脱支持派です。ですから、もしBBCが不偏不党を貫けば、新聞メディアの大攻撃に遭遇します。BBCは離脱を支持していない、と。

 保守系の新聞はBBCを国営放送とみなして、嫌っているという部分もあります。BBCはこうして、敵に囲まれていることになります。

 最初に、英国をまとめる複数の組織の名前を挙げました。BBCのほかには軍隊がありますが、かつての規模よりもだいぶ縮小しています。

 国民医療制度も、BBCが攻撃を受けるのと同じ理由で政府から攻撃されるわけです。お金を十分に投入しないという形での攻撃です。

 福祉制度も同様です。王室もこれまでに様々な理由で批判されてきました。エリザベス女王は高齢で、離脱をめぐる複雑な政治状況に対処しなければなりませんし、国自身がバラバラになっている状態です。スコットランド地方はますます独立志向を強めていますし、北アイルランド(注:離脱後、地続きとなるアイルランド共和国との関係がまだ決まっていない)では今後、何が起きるか予想できません。ひどい状態です。

―ブレグジット問題以前にも、BBCに対する信頼感は落ちていたのでしょうか。

 BBCの問題の1つは、常に不偏不党でなければならない、ということです。このため、議題設定をすることができないのです。ニュースの中でどの部分が一番重要なのかを決めることができない。新聞報道のニュース順位に即することになるわけです。

 新聞報道のニュース順位は全国紙の論調によって、決まります。全国紙はこの点で非常に重要な位置にいるわけです。

 BBC関係者は新聞報道に沿ってニュース順位を決めていることを否定しますが、ニュース番組を見ればわかりますよね。 

 

 新聞で報道されていないニュースを扱うとき、BBCは慎重にやっていますし、取り扱わないこともありますよね。

 BBCはすべての人を喜ばせようとするんです。中道にいる人からすれば、これはこれでよいわけです。でも、左右いずれかの強い意見を持つ人にとっては、物足りなかったり、BBCを嫌ったりします。

 でも、ブレグジットをめぐって、この中道という位置が消えてしまったわけです。ですから、BBCの居場所がなくなったのです。今英国には中道の位置がなくなってしまい、あるのは「残留」か「離脱」か、です。議論を動かしているのは、もともと、BBCを嫌っている人々です。

―なぜBBCの経営陣は慎重姿勢を維持するのでしょう?世論が両極端に分かれてしまったからでしょうか。

 経営陣の仕事は楽ではないとは思いますが、BBCは右派保守系新聞に常に攻撃されてきました。右派傾向を強めた保守党が政権を持っていますので、慎重にならざるを得ません。

―私が懸念するのは、人々がBBCに対する信頼感を失った結果、英国の「公共サービス放送」(BBCと主要放送局が入るカテゴリー)の考え方が壊れてしまうのではないか、ということです。

 その危険性は大いにあります。

 この公共サービス放送という概念が機能するのは、前提として、社会の中に同意(コンセンサス)が存在していることが必要になります。

 

 様々な人がいるわけですが、例えば議会は必要という点では一致しているわけです。軍隊も王室も、国民医療制度も必要であり、BBCも、その存在が肯定されているわけです。

 社会的コンセンサンスが存在していればよいのですが、いったんこのコンセンサスが崩れ、人々が両極端に行ってしまったら、最初に犠牲になるのがニュースです。つまり、「何が伝えるべきニュースか」についてのコンセンサスが崩れているわけです。

―メディアの話を超えた、大きな話ですね。

 非常に大きな問題です。英国は今、社会の分断、コンセンサスの消失という大きな過渡期にいます。

 これほどの大きな過渡期は、19世紀でいえば、選挙法を改正した1830年代でしょうか。その後はこれほど国が分断したことはなかったのではないでしょうか。

 今後ますます、社会は分断していくのではないでしょうか。

 この意味からいえば、BBCの将来は危ういです。

 スコットランド地方、北アイルランド地方が現在のように英国の一部であり続けるのかどうかが、怪しい。イングランド地方の中でさえ社会的コンセンサスを維持することも難しいのですから。

 町や村ごとに割れていますし、北部と(ロンドンがある)南部との分断、貧富の差による分断、若者層と高齢者層との間の分断もあります。

 こうした中、公共のための放送という概念も危機にさらされているというわけです。

―インターネットが普及し、メディア環境が激変しています。これもこうした分断に寄与していると思いますか?

 興味深い問いですね。ソーシャルメディアを使うことで、いわゆる「フィルターバブル」が起きていますよね。自分たちの空間の中で情報を交換し、自分とは違う意見を持つ人には耳を貸さないようになっています。

 ただ、こうした傾向はネットを介さない時代にもあったとは思います。

 今は、24時間のニュースサイクルとなっていますので、人々は落ち着いて考える時間がありません。これも影響しているでしょう。

 社会の分断の問題の原因をメディアだけに求めることはできませんが、私は常々、過去何十年にもわたって、全国紙による悪影響を指摘してきました。嘘に満ちた報道を続けてもかまわないという全国紙の報道です。英国社会の中で、こうした新聞によって損害を受けていないものはないと思います。

 例えば、国防、核兵器などについてまっとうな議論をしようと思っても、右派系新聞がかつての大英帝国をほめるような論調で報道を展開しますので、落ち着いた議論ができない状態になっています。

 国の福祉政策についてまともな議論をしようと思っても、難しいのです。新聞メディアは貧困層を嫌っていますから。

―新聞メディアが貧困層を嫌っている、とは?

 例えば、福祉制度を悪用する人は、全体からするとほんの少数です。富裕層による税金逃れの金額は巨大です。後者を攻撃し、税金を取り戻した方が、福祉の悪用者を追うよりはずっと効果的なのですが、新聞メディアは貧困層を攻撃するわけです。

 福祉制度だけではなく、これを移民あるいは外国への援助金問題と言い換えても、同様です。

 分断が激しい英社会でまともな議論ができない状況になっている、と言えると思います。

ー新聞プレスがまともに報じないトピックの1つに、EUがありましたね。

 過去30年、40年、EUについての報道はひどいものでした。不正確な情報ばかりです。驚くほどでした。人々はEUを敵とみるようになっていくわけです。大衆紙デイリー・エクスプレスやデイリー・メールが反EU感情を掻き立てる報道を出していくわけです。

ーBBCのテレビライセンス料制度(日本のNHKの受信料制度にあたる)は今後も続いていくと思いますか。

 ネット時代になって、ライセンス制度は通用しないという声をよく聞きます。

 でも、例えば衛星放送スカイの番組を視聴しようとしたら、月ぎめなり、年間なりで契約料を払うわけですよね。

 米ニューヨークタイムズを読みたければ、有料購読者(サブスクライバー)になる必要がありますね。今や私たちはサブスクリプションの世界にいます。

 英国では、BBCにライセンス料を払います。たとえBBCの番組を視聴しなくても、です。国民のほぼ全員がBBCのサービスを使っており、ライセンス料は一種の税金とみなされるようになりました。

 もしBBCが信頼を失ってしまえば、この仕組みが壊れてしまいます。

 BBCの将来が危うくなるのは、税金のような古い仕組みを維持するかどうかという問題ではなく、いつでもどこでも、だれもが視聴できるという放送局としてのBBCの仕組みが消えてしまうときです。

 ライバルとなる競争相手がいることは確かです。ネットフリックスやアマゾンなど非常に大きく、力がありますし、良いビジネスモデルを持っています。

 しかし、BBCはこれまで、オンデマンド視聴サービスの「BBCi(アイ)プレイヤー」を非常に効果的に使ってきました。

 同時視聴も見逃し視聴もできるアイプレイヤーは、成功したビジネスモデルです。非常に多くのドラマ、コメディ、そのほかの番組が視聴できますし、英国ではオンデマンド市場の首位になります。

 リスクがあるとすれば、BBCは映画は作れません(注:実際には、制作している)。また、すべての人を満足させることができません。視聴者の多くを満足させるニュースの制作にてこずっています。

―最後に、BBCや放送業の将来についての見方を教えてください。

 2つ、あると思います。

 まず、もっと指導力が高い人物がBBCの経営の指揮を執るべきです。新聞王ルパート・マードックのような人物であれ、と言っているわけではありません。でも、視聴者とつながり、BBCが何をしようとしているかを説明できる人物です。視聴者を自分たちの側に置ける人物です。

 もう1つは、ブレグジット。これを片付けてしまわなければなりません。一晩で終わるものではないことは承知していますが。

 終わったときに、BBCが指導力の高い人物をトップに置き、ニュース業の中でその地位を再度築き上げることができるかどうか、です。

 私はいつも、BBC型のメディア組織(公的資金をもとに、ジャーナリズムを行う)は良いビジネスモデルだと思ってきました。もしBBCが十分な収入を得ることができれば、生き延びていくでしょう。

 視聴者の社会的背景や貧富の差にかかわらず、誰もがいつでも視聴できるようにして活動を続けられるのであれば、将来は保証されていると思っています。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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