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米英政府の右往左往 もはや指導的位置にはいないことを示した、シリアの「8月危機」

小林恭子ジャーナリスト

2年前から政府側と反体制側との間で内戦状態となっているシリアに、今年8月、米英を主導とした勢力が武力攻撃をするのではないかという大きな懸念が出た。2003年のアフガニスタン戦争やイラク戦争の二の舞になる可能性もあった。

しかし、米英の世論が武力攻撃を後押しせず、各国の外交プレーもあいまって、事態は急展開。9月、国連安保理が、懸念となっていたシリアの化学兵器を国際管理下で廃棄させる決議案を採決。これが全会一致で採択された後、化学兵器禁止機関による査察が行われた。

和平に向けての歩みは始まったばかりだが、シリアに対する米英主導の武力攻撃の可能性は事実上消えた。

一連の流れを通して、米英両政府の右往左往振りが目立った。イラク戦争の時の様に、この二つの国の政治トップが決めたことを他国に押し付けることは、もはやできなくなった。国際社会における米英の位置が低下したことを示すとともに、開戦を望む政府を止めさせるにはどうするかの手法を示した出来事でもあった。

今年6月からは、米国家安全保障局(NSA)や英情報傍受機関GCHQによる情報収集の実態を暴露する報道が続いているが、こうした報道への米英政府の対応を見ても、世界の警察官あるいは指導者という位置にはもはやいないことを如実に語っているように見える。

緊迫の8月と、米英政府の右往左往振りについて、月刊誌「メディア展望」10月号に執筆した。以下は若干補足した分である。

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8月末、ダマスカス郊外で市民に化学兵器が使われた疑惑が発生し、国際社会は「シリア危機」に揺れた。米英が中心としたシリアへの武力攻撃がすぐにも始まる見込みが出てきたからだ。

アサド大統領による独裁政権が続くシリアでは、2年前から反体制派勢力と政府軍の間の武力衝突が激化している。

戦闘状態を停止させるための国際社会の努力はこれまで実を結んでおらず、オバマ米大統領は昨年、アサド政権による化学兵器の使用を「レッドライン」(平和的解決から軍事的解決へと移る一線)と定義した。

一時は「2-3日で攻撃開始」と報道されたものの、9月になって、近日中に攻撃の可能性は低くなった。

攻撃熱を冷ましたのは新たな戦争の開始を嫌う米英の国民感情、当時の両政府が諜報情報を誇張して開戦したイラク戦争(2003年)の影、国際世論の支持を十分に集められなかったなどの要因があった。弱気になった米英政治家の隙を付き、武力攻撃を回避する代案を出したロシアの外交の巧みさが目立った。

筆者が住む英国の政界の動きに注目してみる。

化学兵器で「数百人が死亡」

8月21日、反体制派が支配下に置くダマスカス東部で化学兵器の使用によって数百人の市民が亡くなったという報告が国連に届いた。

被害に苦しむ市民の様子を人権活動家らが撮影した動画とともに、世界中のメディアが報道した。化学兵器かどうか、誰が攻撃を行ったかは未確認だった。

24日、休暇中だったキャメロン英首相はオバマ大統領と電話で話し、「重大な対応を行う」ことで同意。英官邸筋は英国が「数日以内に」シリアへの攻撃を開始できると表明した。

翌25日付の英「サンデー・タイムズ」紙はシリアへのミサイル攻撃に向けて「米英が計画を進めている」と報道。26日、首相は休暇を切り上げてロンドンに戻った。攻撃をしたくてたまらない・・・そんな首相の思いが出た行動といえよう。

27日、首相はツイッター上で国会を繰り上げ開会し、シリア問題について議論を行うと発表した。後、ミリバンド野党労働党党首らと会談し、協力の感触を得た。しかし、その後の話し合いで、ミリバンド氏が攻撃開始には国連の支持が必要と述べたため、首相側は、もし攻撃を開始する場合、別の動議を提出して議員の支持を取り付けるという妥協策に甘んじることになった。

28日、午後2時から開始された審議で、キャメロン首相はアサド政権によると見られる化学兵器の使用と犠牲者の苦しみについて語り、「最終的には、誰が化学兵器の使用に責任を持つかについて、100%の確証はないものだ。自分で判断をするしかない」として、動議への賛成を求めた。

対するミリバンド氏は、国連調査団による現地調査の結果を待つべきだ、英国が何らかの対応をする際は国連の下でやるべきだと主張した。

午後10時半の投票で、政府案は13票の差で否決された。

米国との「特別な関係」を気にする英政界、メディア界

翌日のメディアの論調の大部分が、否決によって首相が「恥をかかされた」、「米英間の『特別な関係』はどうなる?」(ともに「タイム」紙)という点を強調していた。

保守党幹部らはミリバンド労働党党首が最初に賛成という印象を与えながら後に反対に回ったことを非難したが、国民のムードを反映した動きであったことは確かだった。

複数の世論調査で国民の多くが「シリアへの武力攻撃には反対」と答えていた。その理由として考えられるのがイラク戦争の影響だ。

10年前、イラクには大量破壊兵器が存在し、英国の領土を短時間で攻撃するかもしれないと示唆したのがブレア元英首相であった。最終的には大量破壊兵器は見つからず、イラクは開戦以前よりも治安が悪化したと言われている。

イラクの現状や大量破壊兵器の不在を問われると、ブレア氏は「正しいことだと思ったから、開戦を選んだ。自分の判断だった」と繰り返して述べるようになった。

8月末の国会で「100%の確証はない、自分で判断するしかない」という表現を使いながら、化学兵器の犠牲の壮絶さを語るキャメロン現首相にブレア氏の姿がだぶった。

一方のミリバンド氏が国連の介入を主張したのも、ブレア時代の二の舞になるまいという意思が見て取れる。イラク戦争開戦前夜、新たな国連決議を得ないまま、米英両国が主軸になって開戦に踏み切った経緯があった。

「ガーディアン」紙のコラムニスト、ポリー・トインビー氏は「大英帝国という幻想が消えた」と題する原稿を書いた(8月30日付)。英国は首相が考えているほどの力はもはやないのだ、と。

第2次大戦直後にチャーチル英首相(当時)は米英両国が「特別な関係」にあると述べたが、これを彷彿とさせたのがイラク戦争開戦時の米英両国の緊密さであった。

今回は米国が乗り気のシリアへの攻撃案に参加できないので、英国は米国から見放され「孤立化」するのではないかという声を8月末のテレビやラジオの番組でよく聞いた。

30日、オランド仏大統領は、英国が参加しなくても、シリアに対する軍事行動に参加する考えを表明した(ル・モンド紙)。米国の新たな盟友はフランスになったという印象を英国の政治家やメディア関係者に与えた。

しかし、英国会での動きはオバマ大統領の決断に大きな影響を及ぼしていた。

米大統領も慎重派に

9月1日、オバマ氏は報道陣に向かって、「シリアに化学兵器使用に対する制裁行為として、武力攻撃を開始するつもりだ」と述べながらも、「議会で攻撃の承認を受ける」とし、キャメロン首相など英政治家を驚かせた。

米大統領は議会の承認がなくても攻撃を行うことが出来るが、あえてこれを選択したことになる。これで、少なくとも9月9日の議会開会前の攻撃の可能性は低いという見方が出た。

4日、米上院外交委員会は、シリアへの軍事攻撃を条件付きで承認した。地上軍投入は禁止し、軍事行動の期間を最大90日間に限定するなど。

6日、ロシアのサンクトペテルブルグで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席した米ロ首脳はシリア問題について溝を埋めることが出来ないままに日程を終えた。

オバマ氏は米国内外で武力行使への協力を求めているが、プーチン露大統領は反体制派が支持する国から支援を得るために化学兵器を使用したというシリア政府の主張を繰り返した。

事態が急展開するのは9日だ。

オバマ氏の命を受けて海外諸国を訪問し、攻撃への支持を取り付ける努力を続けてきたケリー米国務長官は、ロンドンでヘイグ英外相と共同会見に出た。攻撃を回避するためにアサド政権が出来ることを聞かれた、「来週中に化学兵器のすべてを国際管理下に置くことだ」、「不可能だがね」と答えた。

この発言について、後にロシアのラブロフ外相がケリー長官と電話で会談し、ロシアがシリア政府に話をつないだ。

10日、シリアは化学兵器を国際管理下に置くというロシアの提案を受け入れる意向を示した。同日、オバマ大統領は国民向け演説の中で、「ロシアの提案を検討する」と述べ、米議会には武力行使容認決議案の採決を延期するよう要請したことを明らかにした。

BBCニュースのマーク・マデル記者は、オバマ氏のテレビ演説の中で、ロシアの提案によって武力行使を遅らせる「理由ができて」、大統領が「ほっとした表情」を見せた、と書いた(10日付ブログ)。

化学兵器の使用という、自らが課した「レッドライン」によって何らかの行動を起こさざるを得なくなったオバマ大統領だが、英国が武力攻撃には参加しない見通しが出た上に、介入後、どれほど効果が上がるのかが不明で、米国民の支持も決して高くはなかった。ロシア側の提案は渡りに船という面があったことをマデル氏は指摘した。

化学兵器をめぐるシリア危機で、自らが事態打開の道を切り開くのではなく、出来事の推移に対応するだけだったオバマ氏。

世界最大の軍事力を持つ米国の大統領が、英国会での政府案否決後、決断を先延ばしにしたように見えたことが、気にかかる。国際社会をリードする役割をオバマ政権下の米国が果たせなくなっているメッセージが伝わった。

10月14日、シリアは化学兵器禁止条約の190番目の正式な加盟国となった。

31日、シリアの化学兵器の廃棄に向けた作業は、OPCW=化学兵器禁止機関と国連の作業チームの監視の下、兵器の製造設備や関連部品が破壊が完了したと発表した。

NHKの報道によると、今月から「国内に保管されている1300トンに上る化学兵器そのものの廃棄が始まる」という。

核兵器問題に進展があったとしても、シリアの混迷が消えたわけではない。

国連人道問題調整室(OCHA)の調べによると、内戦は今後激化し、シリアからの難民の数は今年12月時点で約320万人となり、来年中に200万人増える(今年の分とあわせると全体では500万人)と予測されている。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊は中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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