Yahoo!ニュース

アカデミー賞に部門設定なし?ドキュメンタリー映画『キャスティング・ディレクター』の際どい論点

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
『真夜中のカーボーイ』のスクリーン・テスト

今年のアカデミー賞授賞式が現地時間3月27日(日本時間28日)に迫る中、賞の行方とは別に先行き不透明なのが、短編ドキュメンタリーやメイクアップ&ヘアスタイリング部門等、計8部門の受賞結果を生放送から外すのかどうかという議論だ。授賞式の放送権を持つABCが主催者である米映画芸術科学アカデミーに突きつけたこの要求に対して、多くの映画関係者たちから抗議の声が上がっているが、現時点で撤回される動きはない。

アカデミー賞に設置はないキャスティング部門

しかし、生放送で受賞の様子を取り上げるかどうか以前に、全部で23部門もあるアカデミー賞のカテゴリーから外れている不運な部門があることをご存知だろうか。適役と思われる俳優を監督やプロデューサーに推薦し、俳優と映画製作者の間の”架け橋”となるキャスティング・ディレクター部門である。アカデミー賞が設けていない最後のカテゴリーと言われる領域だ。

ハリウッド映画に於けるキャスティングの歴史は意外なものだ。ゴールデンエイジと呼ばれる映画の黄金期には、キャスティングは俳優のルックスによって役柄が振り分けられていた。つまり、主役に見える俳優は主役を、悪役に見える俳優は悪役を与えられ、各々の役割は俳優人生が終わるまで続くのである。この乱暴で残酷なシステムを最初に打ち破ったのはハンフリー・ボガートだと言われている。ギャング役でキャリアをスタートしたボガートは、その後、より人間味溢れるキャラクターに挑戦して、『アフリカの女王』(1951年)でアカデミー主演男優賞に輝いている。

ボギーが活躍した時代のキャスティングは職業というより人事に近いものだったが、映画がTVに押されてスタジオシステムが崩壊すると、俳優たちは次々とフリーランスになり、彼らの才能を熟知する人材が求められるようになった。単なる人事担当ではなく、目利きが必要になったのだ。

キャスティングの壁をぶち壊した女性

マリオン・ドハティ
マリオン・ドハティ

本年度のオスカーシーズン終了直後に公開されるドキュメンタリー映画『キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性』は、この分野に革命をもたらしたと言われるマリオン・ドハティ(1923~2011)の人物と仕事にスポットを当てている。これを観ると、もし彼女がいなければ、今のハリウッド映画を面白くしている個性派俳優たちが永遠に埋もれていたかもしれないと思うと、改めて、キャスティングという職業の重要性を痛感するのだ。

大学卒業後、TVのキャスティング・アシスタントとして頭角を現したドハティは、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『マリアンの友だち』(1964年)で長編デビュー。その後は、気鋭のキャスティング・エージェントとしてロバート・レッドフォードをサンダンス・キッド役として『明日に向って撃て!』(1969年)に、アル・パチーノを『ナタリーの朝』(1969年)に、ジョン・ボイトとダスティン・ホフマンを『真夜中のカーボーイ』(1969年)に推薦し、彼らにブレークスルーのきっかけを与える。言わば、アメリカン・ニューシネマ時代のハリウッド映画の顔を刷新したのである。他にもある。映画出演の経験がなかったグレン・クローズを『ガープの世界』(1982年)へと導き、演技派として開眼させたのも、『リーサル・ウェポン』(1987年)では監督のリチャード・ドナーを説得して、人種の壁を越えてダニー・グローヴァーの出演を実現させたのも、ドハティだった。

ドハティが集めた俳優の写真と詳細なメモ
ドハティが集めた俳優の写真と詳細なメモ

ドハティのキャスティングのプロセスは実に的確で、監督たちのクリエイティビティを刺激するものだったと語るのは、ドハティの業務を引き継ぎ、ほぼ全てのウディ・アレン作品のキャスティングを担当しているジュリエット・テイラーだ。テイラーによると、ドハティ以前のキャスティング担当は製作者側の秘書のような存在だったのに対して、ドハティは監督の前に個性が異なる3、4人の俳優を連れて行き、その誰もが、それぞれの方法で必要とされている役柄を演じることができると進言したのだという。それは文字通り、キャスティング・ディレクターと呼べる仕事である。

しかし、驚くべきことに、本作の原題である『CASTING BY』の後にマリオン・ドハティの名前がクレジットされたのは、ジョージ・ロイ・ヒルの『スローターハウス5』(1972年)が初めてだった。今でも、キャスティング・ディレクターをクリエイティブのパートナーと見なす監督と、そうでない監督に分かれていて、この認定を巡る論争はアカデミー賞にも影響を及ぼしている。現在、撮影監督と美術監督の2部門はカテゴリーとして認められているのに、依然として配役監督は認められていないのだ。

多くの映画人が栄誉賞授与を呼びかけたが

これに対して異論を唱えているのが、本ドキュメンタリーに登場する多くの映画人たちだ。クリント・イーストウッドはドハティに対して、『唯一無二の特別な人だった』と言い、ロバート・レッドフォードは『明らかに映画の水準を上げた』と絶賛。マーティン・スコセッシは『映画監督の仕事の9割はキャスティングの質で決まってしまう』と断言し、ダニー・グローヴァーは『自分自身ですら気づいていなかった何かを見つけてくれる』と感謝の言葉を捧げている。彼らの声はムーブメントとなり、アカデミー協会に対して栄誉賞授与のキャンペーンを起こしたが、残念ながら却下されている。1991年のことだ。そして、ドハティの業績を讃えるために製作された本作が公開される直前の2011年12月4日、彼女は88年の人生を閉じている。

果たして、配役を決定するのは監督か?キャスティング・ディレクターか?両者の共同作業なのか?未だ結論が出ない論争を封印したまま、今年もオスカーナイトが訪れようとしている。

『キャスティング・ディレクター ハリウッドの顔を変えた女性』

4月2日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

(c) Casting By 2012

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

清藤秀人の最近の記事