CONIFAもうひとつのW杯。タミール・イーラム対アブハジアの一戦から見えるスリランカとジョージア

開会式会場でタミール・イーラムの旗を掲げる亡命タミール人サポーター 撮影木村元彦

 6月5日、タミール・イーラムとアブハジアの順位決定戦が行われた。前回優勝のアブハジアが試合序盤から押し込んで6対0と大勝した。タミール・イーラムは2014年にスウェーデンで行われたCONIFAワールドフットボールカップ第一回大会に続いての二回目の出場であるが、本大会は結果が出ていない。グループリーグAでは、今回ホストであるソマリア出身のバラワ人のコミュニティであるバラワ、そして北米オレゴン州などの環境保護地域で独立主権国家を目指すカスカディア、公道レースで有名な英国領マン島の代表エラン・バニンの3チームと同組になっていたが、そこでも3連敗を喫している。

 「これがサッカーだよ」と開会式で知り合ったタミール人サポーター、ラジェンジャ(45歳)はごちた。「アブハジアとここでぶつかるとは、不運だった。本来なら、決勝トーナメントに行っているべきチームだろ?まあ、それでもヨーロッパでしかもサッカーの母国で我々の存在を示せたのは大きかったよ。嬉しい大会だ」

 ラジェンジャがかつて生まれ育ったスリランカでは、シンハラ人とタミール人の対立が続き、内戦が長く続いていた。多数派を構成する仏教徒のシンハラ人はシンハラ語を話し、人口の2割近くを占めるヒンズー教徒のタミール人はタミル語を話す。スリランカがイギリスからの独立直後に作られた憲法では、公用語はシンハラ語と規定されたためにタミール人は猛然と反発(現在は両方が公用語)した。その後もシンハラ人に対する優遇政策が取られ続けたことで、タミール人に対する圧政と差別は深刻化する。1956年には「シンハラオンリー法」が議会を通過し、1960年代にはタミール人に対する露骨な民族浄化を提唱するスリランカ人民解放戦線という政党まで現れた。

 そんな中、1972年にスリランカからの分離独立を望むタミール人による武装組織「タミールの新しいトラ」(TNT)が、当時18歳の下層カースト出身のタミール人学生ヴェルピライ・プラバカランの手によって設立される。シンボルのトラはシンハラ人の象徴ライオン(シンハ)に対抗するものであり、タミール人王朝のかつての紋章でもあった。スリランカの北東部にタミール人の独立国家を作ることを掲げたTNTはその後に勢力を広げて、二年後にタミール・イーラム解放のトラ(LTTE)に改組された。1980年代になるとスリランカ政府はタミール人の穏健派政党まで非合法化してますます弾圧が厳しくなる。プラバカランはスリランカ政府軍に何度も煮え湯を飲ませた神出鬼没のゲリラ戦の天才で、LTTEは各地で猛威を振るう。1983年7月には地雷を用いてスリランカ政府軍兵士13人を殺害し、以降激しい内戦が続いていく。ラジェンジャが親と共にスリランカを出たのは、この頃である。

 兵力が約20倍という強大で多数派のシンハラ人に向かって臆することなく戦うLTTEは、タミール人にとっては一時はまさに英雄で支持を集めた。しかし、仏教寺院などの宗教施設を破壊し、女性や老人、子供などの非戦闘員も殺害したテロ行為の残虐さは国際社会から、大きな批判も浴びるようになり、アメリカとEUはLTTEをテロ組織として指定。子どもを拉致して少年兵として戦わせていたことも国連などで問題視された。LTTEはスリランカ北部地域を一時、支配地域に置いていたが、2009年スリランカ政府軍による軍事掃討作戦で陥落、ついに壊滅した。この戦闘で約28万人のタミール人が国内避難民となった。(和平調停の経緯については拙著「独裁者との交渉術」を高覧して頂きたい)「独裁者との交渉術」

 

 ラジェンジャのような在外ディアスポラとなったタミール人にとっては、LTTEには複雑な思いが有る。「本当に酷い迫害があったから、立ち上がったことは頼もしかったと思う。しかし、目的のために酷い手段を選ぶようになってしまった」非人道的な行為から、当初は支援をしていた在外タミール人たちへの求心力もやがて低下していったのだ。

 CONIFAに出場している「タミール・イーラム」はまさに幻のタミール独立国のこと。在外タミール人のサッカー選手によって構成されたチームである。ラジェンジャは言った。「内戦はもうこりごりだ。LTTEが支配していた国が良かったか、悪かったか、そんな議論よりも嬉しいのは、このタミール人のチームが、今ここにあるという事実」土地を持たない民族タミール人の観念としての国「タミール・イーラム」がCONIFAの理念として表出したことが、何よりも嬉しいという。選手たちはカナダ、フランス、イタリア、そしてイギリスから駆けつけた。4連敗はしたが、「タミール・イーラムがあることで、蔑ろにされてきた我々の歴史や文化の存在をようやく示せた」スリランカ政府によって不可視の存在に置かれていた肉親の世代を見て、それがいかに悔しいことであったか、その表情から垣間見る思いがした。

 対して勝利したアブハジア。二年前2016年の第二回CONIFAワールドフットボールカップの開催国で、当時首都スフミで顔なじみになった選手やスタッフがたくさんいた。アブハジアは、かつて旧ソ連のジョージア(当時グルジア)西部に属する自治共和国であったが、ジョージアがソ連から独立すると、そのまま留まってグルジア人に同化することを拒み、1992年にグルジアからの独立を宣言、しかし、グルジア政府はこれを分離主義者として武力で制圧した。その後、内戦状態に陥った。1994年に停戦合意がなされた。同年にアブハジアは独立主権国家を訴えるが、ジョージア政府はこれを認めず、今に至る。現在でもアブハジアを国家として承認しているのは、ロシア、ニカラグア、ベネズエラ、ナウルの4か国である。日本政府も国交を結んでおらず、外務省の渡航勧告情報では「危険度4」というイラクやシリアよりも危険な地帯として設定している。

 そんな国だからこそ、FIFA(国際サッカー連盟)への加盟は遠い夢であり、国内のクラブチームも代表チームも世界とのつながりを断たれたままであった。サッカー選手たちはどれだけ素晴らしい才能を持っていてもアブハジアでプレーする限りは、チャンピオンズリーグにもワールドカップにも出場することはできない。それ故にホーム開催となったCONIFAの第二回世界大会への意気込みは、もの凄いものがあった。まさにアブハジアの国の威信をかけて開催し、そして優勝を成しえた。決勝でPK戦でパンジャブ(インドとパキスタンに渡って居住する民族)を破ったときの観衆の興奮は、スタジアム全体を震わせた。

 二連覇を狙った今大会は残念なことにカルパタリヤ(ウクライナ西部のマジャール人代表チーム)北キプロスの後塵を拝してグループリーグ突破にはならなかった。それでも宿舎で再会したFWのタルバは言った。「それでも最後までベストを尽くす。我々にとってCONIFAはもうひとつではなく唯一のワールドカップなのだから」

 ラジェンジャもタルバもアイデンティティの発露という喜びの他に、嬉しかったこととしてそれぞれ同じ思いを口にした。「試合をしてアブハジアという国の存在を初めて知ることができた」「スリランカにタミール人という少数民族がいることを改めて理解した」独自の文化を持ちながら、激しい迫害に晒されてディアスポラにされた民族と、国家承認がほとんどされず、無かった国にされている地域の民が知り合い、互いの存在をリスペクトする。そんな瞬間に立ち合えるのが、サッカーのそしてCONIFAの醍醐味である。