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日本外交に良心はあるのか。フェイスブック社も削除したヘイト発言に加担。駐ミャンマー日本大使の差別煽動

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
「ロヒンギャはベンガル人ではない!」丸山大使発言に抗議する人々(筆者撮影)

外務省前での抗議行動

 2020年1月16日午後三時過ぎ。霞が関の外務省前は日本に暮らすロヒンギャ民族のシュプレヒコールが響き渡った。英語、ミャンマー語、そして日本語である。「虐げられた人とともに立とう」「立とう!立とう!」「ロヒンギャは虐殺の犠牲者だ」「Yes!Yes!」「私たちはベンガル人ではない」「No!No!」ロヒンギャとはミャンマー西部ラカイン州に暮らすイスラム教徒で、2017年2月に国連の調査団が「世界で最も迫害されている民族」と報告書を上げている。

 アクションを主催したハルーン氏(日本国籍を取得後は長谷川健一)はガバナンスに則り、所轄の警察署に示威行動の届け出を出した。この日も警視庁警備課警備第一課の警部補とコミュニケーションを取りながら、どこでプラカードを掲げれば良いか、歩道でのスタンディングはどこまで許されるのか、従順なまでに警察の指示に従いながら、それでもときに抑えきれない感情を剥き出しに抗議しているのは、駐ミャンマー丸山市郎日本大使の発言が到底許されないからである。昨年末12月26日に丸山大使は「ミャンマー軍は大量虐殺に関与していない」と発言。さらにこともあろうにロヒンギャを「ベンガル人」と呼称した。いわばバングラディッシュ、インドからやって来た違法移民と決めつけており、迫害と弾圧を繰り返すミャンマー政府の主張そのままである。

 しかし、歴史を紐解けば19世紀初頭から、ラカインに定住していた民であったことは明らかにされており、1948年にミャンマー(当時ビルマ)が独立後、国会にはこのラカイン州のムスリムの国会議員が存在した。1960年代初頭まで、ロヒンギャ語の国営放送も存在した。

ロヒンギャ迫害の歴史

 ところが1962年にネ・ウイン将軍による軍事クーデターが起きると、状況は一変し、以降ロヒンギャに対する差別的な政策が次々に施行される。1982年には「ビルマ市民権法」によって父祖の土地に暮らしていたにもかかわらずベンガルの違法移民とされ、国籍を剥奪されてしまう。この理不尽な弾圧の背景には、ラカイン州を横断するパイプラインの利権を独占したいミャンマー中央政府とそのバックにいる中国政府の思惑が動いていると言われている。

 アウンサンスーチーが国家特別顧問に就任後もロヒンギャへの迫害は収まるどころか、2016年8月には、あらたな「民族浄化」が始まった。筆者はちょうど8月25日にラカイン州の州都シットウエにいた。

 そこでミャンマー軍による焼き討ちやロヒンギャの女性に対する性犯罪がどれだけ行われたか、そして丸山大使の中国政府とミャンマー政府に対する忖度発言が今回が決して初めてではないことは、こちらの記事に書いたので、詳細はそちらに譲る。

https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2019/03/07/108345/

 大量の難民が流出し、その数は2年間で約76万人を超え、隣国バングラディッシュに巨大なキャンプが作られた。この問題は国連総会も注視し、2017年にミャンマー政府に軍事活動を停止する決議を出し、米、英、仏を含む135か国が賛成するも日本は棄権(中国は反対)している。ミャンマー軍によるヘイトクライムは収まらず、2018年にはFacebook社が差別煽動発言を繰り返すミャンマー軍最高指揮官ミン・アウン・フライン司令官のアカウントを削除する事態に陥っている。「憎悪と誤った情報の拡散を防ぐため」とFacebook社は説明している。

 

丸山日本大使によるヘイト発言

 そしてヘイトと認定されてWeb上から消されたミン・アウン・フライン発言を補強する丸山大使の発言が飛び出したのである。再び外務省前。在日ビルマ・ロヒンギャ協会のアウンティンはトラメガで号泣しながら声をからした。

「丸山さん、訂正して下さい。私は日本が大好きです。私たちはベンガル人ではありません。ロヒンギャです。罪の無い女性がレイプされたことも子どもたちが、臓器密売の犠牲になっているのを知っています。なぜ、それを隠すのですか」館林に居住するアウンティンは、難民となって日本へ逃れてから、苦労を重ねた末に事業で成功し、何度もバングラディッシュのメガキャンプを訪問しては同胞のために学校を作って支援を続けている。自他ともに認める親日家のアウンティンは、税金も納め、地域への貢献を第一の信条として暮らして来た。大好きな日本が派遣している大使の信じられない発言に対するその口惜しさは推して知ることができる。外務省が公的に使う「ラカイン州のムスリム」でさえなく、ベンガル人と明言した。そして国軍による虐殺を否定したのだ。ミャンマー政府への忖度なのか。日本大使という肩書の人物が、歴史修正に加担し、虐殺に加担した罪は重い。

一方、同じ大使であっても昨年までバングラディッシュでその任にあった泉裕泰前日本全権大使は、ダッカに着任後に即座に難民キャンプに向かい、そこで迫害を受けたロヒンギャの実態を知り、昨年4月に故郷広島にロヒンギャ難民が折った千羽鶴を持ち帰り、折り鶴タワーに寄贈し、こんな言葉を残している。

「深刻なのは、難民が70万人、80万人いる中での半分が子どもたちであることです。一番の犠牲者は彼らなんです。キャンプで暮らす40万人の子どもに教育の空白を持たせてはいけない。レイプによって生まれた子どももいる。そんな子たちに恨みを持たせてはいけない。平和教育や人類愛を教えること。折り鶴はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が行なったその中の小さなひとつの行動なのです」泉大使(当時)は、僕の言う言葉はカッコつきですが、と言いながらロヒンギャという言葉を堂々と使い、ヘベカーUNHCR駐日代表とともに広島谷史郎副市長と面談して折り鶴を手渡している。

「ロヒンギャの人たちは原爆の子の像のモデルになった佐々木貞子さんのことをすごくよく勉強して知っています。その貞子さんのストーリーを理解した上で広島のために折り鶴を折ってくれたのです。無国籍にされて祖国を追われた彼ら彼女たちが一番平和が欲しいはずです。そんな人たちがこれを象徴として広島に持って行って欲しいと。僕は嬉しかったですよ。では日本はどうなんだと言いたいんです。21世紀に同じアジアで起こっていることに対してもっと感じていいんじゃないか。もっと報道されるべきではないか」

 泉大使は元サッカー日本代表キャプテンでUNHCRの親善大使である長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)とともにバングラディッシュ難民キャンプを訪問をするなど、人道的な立場から精力的にこの問題のアナウンスに務めてきた。https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/wfootball/2019/07/15/___split_54/

 現在、泉前大使の後任としてダッカに就いた伊藤直樹大使もまたロヒンギャ問題に対して理解が深いという声をアウンティンからも聞いている。

「バングラィッシュの日本大使は実態をよく分かって下さっています。それがどれだけ私たちの励みになっていることか、私たちはミャンマーの構成民族です。いつかミャンマーに帰って国のために働きたい」

ミャンマー政府側に立った独立調査委員会の結論

 しかし、1月20日。ミャンマー政府がロヒンギャ迫害問題について設置していた独立調査委員会は、「ミャンマー国軍に虐殺の意図は無かった」という報告書を提出した。独立調査委員会と銘打ちながら、いまだに軍政であるミャンマー政府が設定した段階で、「独立」ではなく国際世論をかわすためのアリバイ的な調査になることは、十分予想できたが、4人の調査委員会のメンバーの一人は大島賢三(元国連大使)である。軍が犯したジェノサイドの罪の検証と追及が無ければ、いつまで経ってもロヒンギャは帰国ができない。つまりは、帰さないための報告書とも言える。このロヒンギャの人権を無視したお手盛りな報告に加担した日本の責任はまた世界から問われよう。

 ロヒンギャ迫害の現場については、河野太郎防衛大臣も外相時代の2018年1月にラカイン州に外国の要人として初めて視察に訪れている。また2019年3月に日本財団会長でもある笹川陽平ミャンマー国民和解日本政府代表も同様に現地を訪問している。

 当然ながら、現地では、何が起きているのか。誰が起こしたのか。その事実も主語も把握しているはずである。「義を見てせざるは勇無き也」ジャーナリストですら入れないエリアを調査する特権に恵まれ、発言する機会も影響力もふんだんに与えられている大臣と日本政府代表はこの事態に見て見ぬふりをして、何も声を上げないのだろうか?日本外交の良心が問われている。

 

ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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