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孤高の元世界王者は今、格差を越えて寄り添う。女子柔道家・佐藤愛子の地域貢献

木村元彦ジャーナリスト ノンフィクションライター
NPO法人の活動で養護施設の子どもたちを指導する 東女体女子柔道部監督佐藤愛子

 2011年のフランスの夏を覚えているだろうか。8月、柔道世界選手権パリ大会で、佐藤愛子は前年の王者、そして翌年のロンドン五輪で金メダルを獲得することになる野獣・松本薫と準決勝でぶつかっていた。4歳年下のライバルとは同じ57kg級でこれまで5度対戦して未勝利だった。この試合も2分43秒に大外刈りで有効を取られた。

「また負けるのかな…」逡巡が脳裏に浮かんだのは、しかしほんの一瞬、ここからが驚異だった。怯むことなく激しく組み手を争い、終始積極的に攻め続けた。負けられない理由があった。これより三年前、佐藤は2008年北京五輪で右膝十字靭帯断裂の大けがを負っていた。アスリートにとって最高の舞台が、暗転した悲劇のステージとなった。そこから気が遠くなるようなリハビリを重ねてきたのである。

執念の結実は残り1分8秒だった。鎌の様に右足を伸ばして松本の重心を崩すと、体落としをかけた。堪える松本を倒れながら強引に巻いて、「技あり」。更にそのまま袈裟固めに移行して20秒押さえ込んだ。合わせ技で一本勝ち。雪辱を果たした。これが事実上の決勝だった。ファイナルはブラジルのシルヴァを背負い投げで仕留め、ついに頂点に立った。

 アスリートとしての佐藤愛子を語るとき、世界チャンピオンというキャリア以上に、そのプロセスに敬意を表せずにはいられない。ケガの後、一年間柔道が出来なかった。復帰後もメスを入れた膝が、元通りの感覚にはならない現実を思い知らされた。真実はいつも厳しいものだが、それを直視しないと前には進めない。「元に戻らないのなら、この膝とつき合っていくしかない」辞めるための理由は山ほどあったに違いない。しかし、屈しなかった。膝十字を切りながらも世界を制した稀有な人物の存在は、未来永劫、ケガからの復帰に苦しむ後進たちのどれだけ大きな励みになることか。柔道のみならず、日本スポーツ界の不死鳥のアイコンと言えよう。佐藤の現役に関する取材から感じたのは、強烈な自我である。高校時代から監督やコーチの指導に頼らず、自ら練習メニューを決めて精進して来た。復帰も引退もすべて自分ひとりで決めている。

 2018春、その佐藤が小学生を前に指導をしていた。自身が監督を務める東京女子体育大学の道場の畳の上である。柔道着には「こころん柔道部」の文字。ときに歓声を上げながら嬉々として稽古に取り組む小学生たちは、立川の児童養護施設至誠学園の生徒だった。それぞれに複雑な背景があって、親と一緒に暮らせない環境下にある子ども達である。佐藤は現在、NPO法人こころんプロジェクトこころんプロジェクトの指導者としてこの子どもたちにボランティアで柔道を教える活動をしている。

練習は、まずゲーム感覚のメニューで始まる。学生コーチの発案でねずみチームとねこチームに分かれて背中合わせで座る。「ね、ね、ねこ!」呼ばれたチームの方が、鬼になっての追いかけっこが始まるのだ。畳の端まで逃げたら、OK。瞬発系を鍛えた後は受け身の稽古に移り、続いては寝技の乱取り、体落としの打ち込みと淀みなく進む。ゲームから気が付けば真剣勝負に移行していた。佐藤は静かに見守っているが、時折り「集中」と声をかける。最後は礼。「距離をしっかり取って」「互いに」「先生に」

 

 稽古をやり遂げた子どもたちに話を聞く。「楽しい」「これからも続けたい」「試合もしたい」上気させながら、ポジテイブな言葉を繰り出す様子を見て養護施設から付き添って来た職員の方が笑う。「みんな、いつもと違う表情を見せてくれます」特に皆勤賞のSちゃんは施設とはまったく違った活発な姿を見せるという。学生コーチもまたやりがいを感じていた。「自分が教える上で言葉遣いを考えるようになりました。練習も頻繁ではないけど、技などは教えたことをずっと覚えていてくれるのでそれがまた嬉しいです」(山本コーチ)

佐藤が行っているのは、柔道を通じての地域への社会貢献である。東女体大柔道部があることで地元の養護学校とのコラボが成立し、互いに新しい出会いが生まれている。

 スポーツの世界ではJリーグの各クラブが「100年構想」の中で地域貢献活動を取り組んでいるが、女子柔道の世界では稀である。「いつからこういう取り組みを?」と聞くと、臨床心理士の中里文子との出会いが始まりであったという。

「筑波大学監督の山口香先生からの紹介でメンタルトレーナーとして紹介されたのですが、中里さんはいわゆる『勝つために気持ちを注入する』という人ではなかったんです。選手とじっくりと話し合ってファシリテートする。うちの学生にはこういう寄り添う先生がいいのかなと思ったんです」先述したように現役時代の佐藤は勝負をする上で孤高を貫き、指導者に頼ることをしなかった。だからと言って、教え子にも自己流を押し付けることはしない。接する相手に合わせる柔軟性があった。中里に月に一度のキャリア講習会を依頼した。中里は柔道部の学生ひとりひとりと向き合った。中里の指導が画期的であったのは、選手としての4年間を強くするだけではなく、学生のために長期的な人生設計を視野に入れてのアドバイスを送り続けたことである。

 飯嶋華奈という部員がいた。飯嶋は3歳で両親が離婚し、父親の実家に引き取られるも中学二年のときにその父も亡くなってしまう。柔道は叔父が町道場の先生であった関係から小学生の頃から続けていた。佐藤によれば技の基礎がしっかりと出来ている優秀な選手だった。高校卒業後は美容学校に行きたかったのだが、それではお世話になっている周囲を落胆させてしまうのではないかという思いから東女体大に進んだ。自立するために入学金と学費を学生支援機構から借りた。ところが、これが大きな負担となった。2004年に日本育英会から改組された同組織の貸付は有利子であり、国会でも何度も問題視されたように、もはや奨学金ではなく「サラ金」と呼ばれる代物であった。責任感の強い飯嶋は返済するために黙々とアルバイトをしていたが、しばらくしてこのことを中里に話した。中里が相談に乗る形でマネープランを計算してみると、卒業時には800万円の借金が残ってしまうことが分かった。セーフティネットが無くなり、格差を野放しにする現在の教育制度は、かようにまじめな学生さえも追い込んでしまう。

佐藤に相談すると、決断は早かった。そんなに膨らんでしまうのならもう大学を辞めて別の道に進んだ方が本人のためではないか。4年間、大学に通って残ったのが800万円の負債というのではあまりに酷い。引き止めるのではなく、退学を勧めて一緒に新しい仕事を探した。目の前の強化だけを考えている監督であれば、続けさせたであろう。柔道部から退学者を出すことを大学側に責められるのではないかと忖度する指導者ならば、見て見ぬふりをしたかもしれない。しかし、佐藤は教え子のために毅然と進路を示した。

 今、飯嶋は中里の紹介で足立区の三好運送という会社で配送助手として働いている。熱心な勤務態度に会社からの評価も至って高い。飯嶋は佐藤への感謝の言葉を惜しまない。「練習のときにすごく綺麗に投げてくれたのもそうですが、私はそれまであんなにいい先生に会ったことが無かったです。辞めなさいと背中を押してくれた。それは冷たいのではなくて親身になってくれているのが分かって納得できました。今でも月の最初には必ず連絡を取り合っています」

佐藤と中里の二人は、選手と柔道の将来を考えるという価値観が共通していた。

 女性アスリートのメンタルケアを長きに渡って研究していた中里は東女体の選手と向き合う中で柔道の可能性に気がついていく。10代にイジメに遭っていた経験が、柔道に向かわせたと語る学生の事例があまりに多かったのである。強くなるだけではなく、礼節や相手に対するリスペクトを学ばせることでの成長は著しい。「経済的にスポーツをする機会の無い子どもに柔道をする機会を与えたい」と考えた中里はNPOを立ち上げることを佐藤に提案する。ここに「こころん柔道部」が立ち上がったのである。

まず養護施設に趣旨を書いてメールをしたら、大歓迎された。施設に行き、マットを敷いて柔道着を着てのパフォーマンスをした。それまで表情の無い子がみるみる変わっていくのが分かった。ずっと習い事がしたかった子がいた。彼女は食い入るように見てきた。佐藤は言う。「最初は子どもたちへの接し方も手探りでした。虐待を受けて来た子もいるから、どこにフラッシュバックがあるか分からない。道場の掃除をするときも箒を持たせることで、それで殴られていた過去を思い出すのではないかとか…。礼をするときも『いつも一緒にいて支えてくれているお父さん、お母さんに感謝しよう』という言葉を言えないわけですから、どうするかいろいろと考えました」

おそるおそるだったものが、やがて子どもたちとの信頼関係に昇華していった。

ともすれば五輪や世界選手権の度に結果ばかりが求められる柔道界において、佐藤愛子の活動は、スポーツ文化の観点からも極めて意義深いものである。学生とのコミュニケーションを大切にする向き合い方などは、常にひとりで勝負に没頭していた孤高の現役時代から見ると意外にも思えるが、その理由を中里が説明してくれた。「私は分かっています。佐藤さんにインタビューして心理検査してみたら、『人の役に立ちたい』という欲求項目がダントツで高かったのです」

 佐藤は少し照れながら言った。「現役時代は意識がいつも自分に向いていたのが、引退してそのエネルギーが人に向かったんでしょうか」注目し続けて行きたい世界チャンピオンのセカンドキャリアである。

ジャーナリスト ノンフィクションライター

中央大学卒。代表作にサッカーと民族問題を巧みに織り交ぜたユーゴサッカー三部作。『誇り』、『悪者見参』、『オシムの言葉』。オシムの言葉は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞、40万部のベストセラーとなった。他に『蹴る群れ』、『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず』『橋を架ける者たち』など。

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