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「プーチンの料理番」がゼレンスキー大統領を「強いリーダー」と大絶賛の理由 クレムリンの力学が激変

木村正人在英国際ジャーナリスト
「プーチンの料理番」エフゲニー・プリゴジン氏(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

■プリゴジン氏「ゼレンスキーを過小評価してはならない」

[ロンドン発]「プーチンの料理番」と呼ばれるロシア民間軍事会社ワグネル・グループ創設者エフゲニー・プリゴジン氏が11月1日「ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を過小評価してはならない。強く、自信に満ちたリーダーだ」と自身のプレスオフィスを通じて声明を出した。プーチン側近がゼレンスキー氏について肯定的に語るのは異例だ。

プリゴジン氏のレストランやケータリング事業を利用してウラジーミル・プーチン露大統領が外国要人との晩餐を開いたことから、プリゴジン氏は「プーチンの料理番」と呼ばれる。2014年、ウクライナ東部ドンバス紛争ではロシア軍を支援するため陰で資金を出し、ワグネル・グループを創設した。

プリゴジン氏の活動は露国防省と軍参謀本部情報総局(GRU)に統合されていることが「べリングキャット」など西側市民団体の調査で指摘されている。プリゴジン氏は表ではワグネル・グループと距離を置いてきたが、ウクライナ軍の反攻でロシア軍の劣勢が明らかになった今年9月ようやく自身が設立したことを認めた。

英紙デーリー・テレグラフなど英米メディアによると、プリゴジン氏はゼレンスキー氏について「彼は現在ロシアに敵対する国の大統領だが、ゼレンスキーは強く、自信があり、現実的で、いいヤツだ」と語った。「強くなるには、勝つためには、相手に敬意をもって接することが必要だ。彼を過小評価してはならない」

■「プリゴジン氏は正式な権力者の役割を求めているわけではない」

プリゴジン氏は「常に自分の欠点を探し、敵の経験から学べる良い点、重要な点を見出すことが大切だ」とゼレンスキー氏を評価する理由を説明する。しかしプーチン氏はウクライナ兵にゼレンスキー放逐を呼びかけ、ゼレンスキー政権を「麻薬中毒者とネオナチのギャング」と批判してきた。プリゴジン発言はこれまでのプーチン路線とは180度異なる。

英大衆紙デーリー・メールは「クレムリンに反抗してウクライナ戦争の微妙な問題について発言することで世間の注目度が上がり、自信を深めている。プリゴジン氏はここ数週間、率直な発言を繰り返し、露チェチェン共和国の指導者ラムザン・カディロフ氏とともにウクライナにおけるロシア軍の将軍たちのパフォーマンスを嘲笑している」と指摘している。

同紙によると、米シンクタンク、カーネギー国際平和基金のロシア専門家タチアナ・スタノバヤ氏は「プリゴジン氏がプーチン氏とかけ離れた意見、支配階級があえて表明しないような意見を言っていることは興味深い。彼は自分にはそうする権利があり、プーチンを怒らせないだろうと考えている」とみる。

「プリゴジン氏は正式な権力者の役割を求めているわけではない。本当の意味での公的な責任は避けるだろう。国家と民間の中間にいる方が彼にとって居心地がいいのだ。クレムリンとより緊密に結びつくためにプーチン氏に『売る』必要のある『ビジネスプロジェクト』のようなものだと思う」(スタノバヤ氏)

■ワグネル・グループは1日に100~200メートルしか前進していない

英国防情報部は2日のツイートで「プリゴジン氏は10月23日『ワグネル・グループの傭兵部隊は1日に100~200メートル前進している。これは現代戦では普通である』と主張した。ロシアの軍事ドクトリンはほとんどの条件で1日30キロメートル以上進撃する計画を立て、ウクライナ侵攻では1カ月以内に1000キロメートル前進するつもりだった」と指摘した。

9月に反攻に出たウクライナ軍は1日20キロメートル以上も前進した。英国防情報部は「この2カ月間、プリゴジン氏はワグネル・グループとは関係がないというふりをするのを止め、公の場でより明確に発言している。プリゴジン氏はストレスがかかるロシアの国家安全保障システムの中で自分の信用を高めようとしている」と分析している。

米シンクタンク、戦争研究所(ISW)の報告書(11月1日)によると、ロシア軍中央軍管区司令官アレクサンドル・ラピン上級大将が更迭されたとみられている。プリゴジン氏とチェチェン共和国指導者カディロフ氏で構成される一派を懐柔するため、クレムリンがラピン氏を更迭した可能性があるとISWは指摘する。

しかしロシアの軍事ブロガーたちはカディロフ氏とプリゴジン氏を「羊飼いと料理番」と皮肉り、ラピン氏を擁護する。プリゴジン氏は軍事ブロガーたちの批判が自分に向くのをかわすため、自身やワグネル・グループを批判する人たちが前線で戦うのを避けている間にワグネル・グループの傭兵は死んでいるなどと自己弁護に務めている。

■プリゴジン氏はラブロフ外相やショイグ国防相と同等の政治的影響力を持つ

プリゴジン氏は、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ベグロフ市長の辞任を繰り返し求めているにもかかわらず、彼自身はロシア当局との「対決」には関与していないフリをしている。ISWは「プリゴジン氏は政治的な役職に就く計画はなく役職を提供されても拒否すると述べ、彼自身が強力になりすぎるという印象を軽減しようとしている」と分析する。

プーチン氏に反旗を翻し、10年の投獄を経て西側に逃れた元露石油大手ユコス(破産)社長ミハイル・ホドルコフスキー氏は11月1日、英下院外交委員会で「プリゴジン氏は今やクレムリンでセルゲイ・ラブロフ外相やセルゲイ・ショイグ国防相と同等の政治的影響力を持っている」と証言した。

ホドルコフスキー氏は「最近、ウクライナ戦争の総司令官にセルゲイ・スロビキン将軍(前航空宇宙軍総司令官)が任命された背景にはプリゴジン氏の存在がある。ワグネル・グループのロシアでの人気は、その存在がより広範囲の動員の代替手段として機能することを主張できたため、ここ数カ月で急上昇した」と解説する。

ワグネル・グループは17の刑務所で最大1000人の犯罪者を説得し、月給20万ルーブル(約48万円)、死亡した場合の遺族への弔慰金、大統領恩赦で自由を得る見返りにウクライナで戦うことを約束させたと露独立系メディアは伝える。1キロメートル進軍できれば5万ルーブル(約12万円)のボーナスを支給するという話すらある。

■20代の大半を刑務所で過ごす

プリゴジン氏は20代の大半を刑務所で過ごした。強盗、詐欺、青少年の犯罪に関与した罪で9年間服役した。出所後、1990年代にサンクトペテルブルクでホットドッグの屋台を始め、当時、副市長だったプーチン氏のお気に入りの水上レストラン「ニューアイランド」をオープンさせ、ロシアのエリート層と良好な関係を築いた。

今回の発言はプーチン氏の政権基盤を覆す動きなのか、プーチン支配下での序列争いなのか、それともその両方を見据えた動きなのか、見極めるのは難しい。7000人の傭兵しかいないワグネル・グループだけでウクライナ戦争の流れは変えられない。プーチン氏は初期段階のパーキンソン病と膵臓癌を患っているとの真偽不明の情報機関の機密文書も流れ出す。

プリゴジン氏の意図ははっきりとは分からない。しかしウクライナ戦争で徴集兵が無駄死にすればプーチン政権への怒りに火がつく恐れは十分にある。プリゴジン発言はロシアの敗戦を見据えたゼレンスキー氏への白旗なのか、それともクレムリンの権力闘争の一環なのか。確かなのはプーチン政権の足元が崩れ始めていることだけだ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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