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フィリップ英殿下99歳で死去 13歳で恋に落ちたエリザベス女王 メーガン夫人も目をむく問題発言

木村正人在英国際ジャーナリスト
フィリップ殿下が死去(2012年撮影)(写真:ロイター/アフロ)

日本降伏時、東京湾の英駆逐艦に乗船

[ロンドン発]在位69年のエリザベス英女王(94)を支えてきた夫のフィリップ殿下が9日、ロンドン郊外のウィンザー城で亡くなられました。99歳。結婚生活は73年に及びました。偉丈夫で鳴らした殿下も高齢のため2017年に公務を引退、今年2月に体調を崩して入院、心臓手術を受けて3月に退院したばかりでした。

フィリップ殿下は国葬ではなく、ウィンザー城内の聖ジョージ教会で軍隊式の葬式を行うことを望んだそうです。英王室はコロナ危機で屋外でも7人以上の集まりが禁止されているため、バッキンガム宮殿やウィンザー城へ花を手向ける代わりに慈善活動への寄付を呼びかけています。

第二次大戦に出征し、日本が降伏した時、東京湾で英駆逐艦に乗り組み、戦後はエリザベス女王への愛と君主への献身を貫いたフィリップ殿下はロイヤルファミリーの守護者でした。良く言えば質実剛健、豪放磊落、悪く言えば傲岸不遜で時代錯誤。問題発言の数々に人柄がにじみ出ています。

【フィリップ殿下語録】

1966年「イギリス女性は料理ができない」

1981年「誰もが私たちにはもっと余暇が必要だと言っていた。今、彼らは失業していると不平を言っている」

1984年「あなたは女性ですよね?」(ケニアで地元の女性から贈り物を受け取り)

1986年「ここに長く滞在すると、みんな目が細くなるでしょう」(中国を公式訪問した際、イギリス人学生に)

1986年「4本足で椅子でなければ、翼があり飛行機でなければ、泳いでいて潜水艦でなければ、広東人はそれを食べるでしょう」(世界自然保護基金会議で)

1991年「あなたの国は世界で最も悪名高い絶滅危惧種取引の中心地の1つです」(タイで)

1992年「いや、恐ろしい病気にかかるかもしれない」(オーストラリアでコアラをなでるように頼まれ)

1996年「クリケット選手が学校でクリケットバットを使って多くの人を殴り殺そうと決意した場合、簡単に行うことができます。クリケットバットを禁止するつもりですか」(スコットランドで起きた学校での銃乱射事件で犯人を含む18人が死亡。銃器禁止運動が高まったことに対して)

2001年「あなたは太りすぎて宇宙飛行士にはなれません」(フィリップ殿下に宇宙に行きたいと言った少年に対して)

2002年「あなたはまだ互いに槍を投げ合っていますか」(オーストラリアで成功した先住民の起業家に)

13歳でフィリップ殿下に一目惚れしたエリザベス女王

長男アーチーちゃんの「肌の色」について人種差別があったと英王室を糾弾したヘンリー公爵の妻、メーガン夫人が聞くと仰天するような発言のオンパレード。しかしフィリップ殿下がくぐり抜けてきた人生を振り返ると、殿下が常識では測りきれない人物であることが分かります。

フィリップ殿下は1921年、ギリシャのケルキラ島で生まれました。出産場所は台所のテーブルでした。ギリシャがトルコに敗れた希土戦争で、ギリシャとデンマークの王子で陸軍中将だった父は命令に背き、反逆罪で逮捕されました。フィリップ殿下はオレンジ箱のベッドに入れられ、島を脱出しました。

一家はパリに逃れ、ビクトリア女王の血を引く英王族の一員として育った母はギリシャ難民を支援するものの、統合失調症を患うようになり、フィリップ殿下は無一文の少年に転落してしまいます。おじのジョージ・マウントバッテンに引き取られ、英スコットランドの名門寄宿学校で徹底的に鍛え直されます。

ギリシャ正教の修道女になっていた母は晩年、フィリップ殿下とエリザベス女王に招かれてバッキンガム宮殿で暮らすようになり、最期を迎えます。

歴史に翻弄されたギリシャ王国を目の当たりにしたフィリップ殿下は、時代に合わせて改革していかなければ王室は生き残ることはできないという信念を持つようになります。英海軍兵学校の士官候補生になり、海軍で最年少の中尉に抜擢され、将来は海軍トップの第一海軍卿になると有望視されていました。

エリザベス女王が初めてフィリップ殿下に会ったのは1939年、13歳の誕生日でした。当時18歳だったフィリップ殿下は長身で金髪、とびきりのハンサムです。フィリップ殿下はエリザベス女王、妹のマーガレット王女とテニスコートのネットでジャンプ遊びをして楽しみました。

とても高くジャンプするフィリップ殿下に、エリザベス女王の目は「何てすごいのでしょう」と釘付けになりました。まさに運命の出会い、エリザベス女王は一目惚れしてしまいます。

寛容は幸せな結婚に欠かせない要素の一つ

第二次大戦で疲弊したイギリスは帝国を維持する力を失い、王室の財政も逼迫します。1947年11月、エリザベス女王は初恋の人フィリップ殿下と結婚式を挙げます。国民を勇気付ける狙いもありました。

結婚を控え、フィリップ殿下はエリザベス女王に「戦争に勝利し、休息して自分自身を見直す機会を与えられました。完全に無条件に恋に落ちました。世界の問題さえも小さくて、ささいなように見えてしまいます」とラブレターをしたためています。

結婚50年の金婚式でエリザベス女王は「私たちは演説について事前によく話し合いました。想像に違わず、彼の意見は率直です。彼は私の強みであり、ずっとそばにいます。私と家族全員、この国や他の国々は彼が口にする以上に感謝しなければなりません」とフィリップ殿下への感謝の気持ちを示しました。

フィリップ殿下は「私たちが学んだ主な教訓は、寛容は幸せな結婚に欠かせない要素の一つだということです。女王は寛容の質を豊富に持っています」と述べました。しかし王室に入り、君主を支える大変さを、フィリップ殿下は知り尽くしています。だから殿下はダイアナ元皇太子妃の理解者だったとも言われています。

英王室はアーチーちゃんに対する人種差別をメーガン夫人とヘンリー公爵に告発され、窮地に立たされています。長年の支えだったフィリップ殿下を失い、エリザベス女王がお力を落とされないか、非常に心配です。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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