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日本が主導する「自由で開かれた」インド太平洋を「安全と繁栄」に言い換えたバイデン氏の真意とは

木村正人在英国際ジャーナリスト
「バイデン米大統領」の誕生で世界はどう変わるのか(写真:ロイター/アフロ)

国際協力は第二次大戦以来、最悪

[ロンドン発]英有力シンクタンク「国際戦略研究所(IISS)」は20日、世界情勢を分析した最新の「戦略概観2020」を発表しました。今年のテーマは何と言っても世界全体で感染者5790万人、死者137万人を出した新型コロナウイルス感染症(Covid-19)のパンデミックです。

地球温暖化やパンデミック対策でこれまで以上に国際協力が求められるのに、米中対立により国際協力は第二次大戦以来、最悪の状況に陥っています。欧米とロシアの関係は1980年代以来、最悪。米中関係も60年代後半以来、最悪。中国とインドの関係も75年以来、最悪。米欧関係も40年代後半以来、最悪です。

「アメリカ第一主義」を掲げた共和党ドナルド・トランプ米大統領の退場と米大統領選における民主党ジョー・バイデン前副大統領の勝利で世界はどのように変わっていくのでしょうか。バイデン氏は中国との「冷戦」を望んでおらず、インド太平洋地域の「安全と繁栄」を目指しています。

米紙ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズ出身の敏腕政治記者が立ち上げた米バージニア州のニュースサイト「アキシオス」はバイデン氏が電話で話した順に世界の政治指導者を並べています。

11月9日(北米)、カナダのジャスティン・トルドー首相

10日(欧州)、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、イギリスのボリス・ジョンソン首相、アイルランドのミホル・マーティン首相

11日(アジア太平洋)、オーストラリアのスコット・モリソン首相、日本の菅義偉首相、韓国の文在寅大統領

12日、ローマ教皇(法王)フランシスコ

13日、イタリアのジュゼッペ・コンテ首相

17日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とレウベン・リブリン大統領ネタニヤフ。チリのセバスティアン・ピニェラ大統領、インドのナレンドラ・モディ首相、南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領

複雑な同盟国の胸中

バイデン氏はバラク・オバマ前大統領の政治的レガシー(遺産)であるイラン核合意に復帰するとみられており、サウジアラビアなど湾岸諸国の胸中は複雑でしょう。4年前、トランプ大統領は1979年以来の前例を破り、正式な外交関係のない台湾の蔡英文総統と電話会談しましたが、バイデン氏は見送りました。

対中貿易戦争や5G戦争で中国を完全に敵視したトランプ政権に比べ、バイデン氏の対中政策がどのように変わるのか世界中が注目しています。

IISSのサイバーセキュリティー・中国問題上級顧問のナイジェル・インクスター元MI6(秘密情報部)副長官はオンライン記者会見で「トランプ政権が死んでいく時に私たちが目の当たりにしているのは、バイデン新政権の対中政策を可能な限り封じ込めるトランプ大統領と、アメリカの国家安全保障コミュニティーのタカ派の努力です」と指摘しました。

「言い換えれば、バイデン氏がこの2年間に起きたことを逆転させるのを可能な限り困難にすることです。2018年にトランプ大統領は中国からの輸入品に懲罰的関税を課すことにより中国との貿易戦争を開始しました。それはテクノロジー戦争になり、コロナ危機でさらに増幅されました」

「昨年、米中関係は劇的に悪化し、トランプ政権は中国に対して立法・行政上の手続き、情報機関による調査など200以上の敵対的行動を起こしました。そして中国はしっぺ返しを厳しくしたりマイク・ポンペオ国務長官らトランプ政権の個人を攻撃したりすること以外の対抗策を実際にはとることはできませんでした」

「バイデン新政権に移行しても、特にテクノロジー分野に関してアメリカ国内の政治レベルでは中国を制御し、中国の野心を押し返す必要性についての超党派のコンセンサスはあると思います」

「私はバイデン新政権がトランプ政権の行ったことを取り消す可能性はないと思います。バイデン新政権がやりたいと思うのは次の2つのことです。アメリカの中国に関する問題の多くは実はアメリカの問題です。中国はアメリカに対して非常に適応的です」

「アメリカの屋根の穴を修理することによりトランプ政権下で見られたような断片的なアプローチではなく、より一貫性のある戦略を構築するでしょう。中国の挑戦に対処する産業戦略を発展させるとともに、そのような活動で重要な役割を果たす同盟関係を復活させるなど、より一貫した継続的な思考が求められます」

「次に必要なのはブロックではなく、はるかに多様な同盟関係の幾何学に対応できるネットワークであることをアメリカが認識することを願っています。バイデン氏は対中政策に一貫性を注入しようとし、それがアメリカの国益と、グローバルな文脈で本質的に望ましいとみなされる共通の土俵を探すことになると思います」

「しかしアメリカの核心的な戦略的利益に影響を与える事柄について、いかなる譲歩もすることはないでしょう」

「自由で開かれたインド太平洋」に隠された3つの狙いとは

安倍晋三前首相が提唱してきた「自由で開かれたインド太平洋」について越野結花研究員(日本の安全保障・防衛政策)はこう解説しました。

「自由で開かれたインド太平洋は外交コミュニティーの流行語のようになっています。2016年に安倍前首相によって提示された日本の外交経済戦略です。基本的に東南アジアやインドなど日本にとって戦略的に重要な地域で法の支配と自由の秩序を維持、促進するのが狙いです」

「その戦略的ビジョンの背後には3つの鍵があります。まず、この地域で拡大する中国の強硬な軍事的・経済的活動に対抗する。第二にアメリカ第一主義の国民感情がこの地域にリーダーシップの空白を生み出すリスクがあるため、アメリカを地域に繋ぎ止める。第三に戦略的概念にインドを含める――ことです」

「また、これまでに3つの主要な成果と進展がありました。第一に主要な一里塚は経済ルールの策定です。日本は環太平洋経済連携協定(TPP11)の締結で重要な役割を果たしました。アジアで質の高いインフラパートナーシップを立ち上げ、欧州連合(EU)と20カ国・地域(G20)首脳会議に広げました」

「第二に、アメリカ、オーストラリア、インドのような志を同じくするパートナーとの地域連合の構築を再活性化させました。第三に、インド太平洋の概念は東南アジア諸国連合(ASEAN)やインドだけでなく、イギリス、フランス、ドイツなどの欧州、最近ではオランダにも広がっています」

「中国のインド太平洋地域における強硬で歴史修正主義的なアプローチの高まりに対抗するため、自由で開かれたインド太平洋は多国間の機関の法の支配に基づく秩序を維持する手段として機能しました。影響力が証明された日本外交の革新の証明であることは明らかです」

バイデン氏が安倍前首相の「自由で開かれたインド太平洋」を「安全と繁栄」に言い換えていることについて筆者が質問すると、越野研究員はこう答えました。

「安全で繁栄という言葉は、バイデン氏がアジアの指導者たちと電話で話した際、使用したことから生まれたと思います。これが実際に何を意味するのかについては多くの議論がありました。用語は自由で開かれた太平洋を推進する日本にとって重要です」

「自由で開かれたインド太平洋とは価値に基づくアプローチであり、自由で開かれたという言葉が意味しているのはオープンな貿易、リベラルな価値、ガバナンスや現実空間における透明性です」

「バイデン氏の“安全と繁栄”が、自由で開かれたインド太平洋という言葉を使ったトランプ政権からの移行を意味しているかどうかを評価するのは時期尚早だと思います」

「バイデン氏が安全と繁栄という言葉を使った事実から少なくともバイデン氏が安全保障と経済の両方に積極的に取り組もうとしていることがうかがえます。アメリカが経済的な機関に戻ってくるかどうかを見極めることは関係諸国にとってとても関心があり、バイデン氏のコミットメントは非常に重要です」

「私たちは様子を見る必要があります。しかし同時に、バイデン政権が太平洋地域での政策の表現を変えるのであれば、この地域の国々は、アメリカが価値に基づくアプローチを継続するのかというコミットメントを問いかけ、引き出していくことも重要だと思います」

オバマ前政権下に北朝鮮の核・ミサイル能力は飛躍的に向上し、東シナ海や南シナ海で中国はのさばるようになりました。オバマ氏の対中政策は米中対話のG2から最終的に「アジア回帰政策」に変わりました。バイデン氏の対中政策がどうなるのか、まだ明確ではありません。

日豪首脳会談でオーストラリアとの結束を確認した菅義偉首相は一段とふんどしを締め直す必要がありそうです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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