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「企業買収の裏に隠された国家の手を見つけよ」中国スパイに対抗するため特定秘密保護法を強化する英国

木村正人在英国際ジャーナリスト
MI5のケン・マッカラム新長官(MI5のHPより)

中国人記者に機密を売ったMI6の元スパイ

[英イングランド北部ナレスボロ発]香港国家安全維持法の強行やエリザベス英女王が元首を務めるバルバドス(カリブ海)の共和制移行を巡り、対立が鮮明になっている中国に対して、英スパイ機関が警戒を強めています。

4月、防諜や治安を担当する英保安部(MI5)で史上最年少の「40代」で長官に就任したケン・マッカラム氏は14日、テレビ電話会議システムを通じて初の記者ブリーフィングを行い、中国やロシアによる敵対的な国家活動の脅威を強調しました。

9月中旬、対外諜報を担う英秘密情報部(MI6)の元スパイで、その後、欧州連合(EU)の行政執行機関・欧州委員会で勤務し、ブリュッセルでシンクタンク、EU・アジアセンターを運営していたフレイザー・キャメロン氏が中国人ジャーナリスト2人に機密情報を売り渡していた事件が発覚。キャメロン氏はメディアに疑惑を全面否定しました。

イギリスはつい最近まで中国との経済関係を重視してきました。2015年、デービッド・キャメロン首相時代、西側諸国の中で中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加をいち早く表明、中国の習近平国家主席の公式訪英に合わせて「英中黄金時代」を高らかに宣言しました。

今年1月には、ボリス・ジョンソン英首相も中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の次世代通信規格5G参入を周辺機器に限りいったんは認めたものの、最終的にはアメリカの圧力に屈して7月、排除に方針転換しました。

MI5のアンドリュー・パーカー前長官は「ファーウェイの5G参入を認めても米英の情報協力は揺るがない」「中国の技術についてイエス、ノーの二者択一ではなく、幅広い競争と国家の選択がある未来について焦点を当て議論することが必要だ」とファーウェイ容認論をにおわせていました。

香港国家安全維持法の強行で雲行きが一変

しかし香港国家安全維持法の強行で英議会内では超党派で対中強硬論が一気に強まりました。ニック・カーター英国防参謀長は9月30日、「統合運用コンセプト2025」を発表した際、潜在的敵国として中国とロシアを名指ししました。

MI5のマッカラム新長官は2012年のロンドン五輪・パラリンピックや17年のウェストミンスター橋暴走テロ、マンチェスター自爆テロ、ロンドン橋テロ、18年の神経剤ノビチョクによる元ロシアスパイ暗殺未遂を担当した防諜のプロです。

MI5のサイトや英メディアによると、記者ブリーフィングでマッカラム長官は「中国に対処するには複雑なバランスが求められる」「地球温暖化対策では中国の協力が必要だが、と同時に中国の秘密活動には断固として立ち向かわなければならない」と指摘しています。

中国とロシアの脅威を比較して「ロシアは悪天候だが、中国は長期的にはるかに大きな問題であり、気候変動のようなものだ」と述べ、イギリスの企業や大学の知的財産を狙った中国のスパイ活動に「MI5のリソースを慎重に優先させる」考えを強調しました。

フレイザー・キャメロン氏の事件が示すように中国は「政治への干渉にも関与し始めている。EUを狙ったように見える中国のスパイ活動を中断させた」とマッカラム長官は言います。

「私たちの役割は将来の繁栄と安全を損なう恐れのある有望なイギリス企業の買収において隠された国家の手を見つけることだ」

「機会とリスクの両面でイギリスが中国にどのように関わっていくかについて賢明な判断を下すため、政府全体だけでなく、それを超えた幅広い議論、広範なチームワークが必要だ」とも述べました。

数学者のマッカラム長官はこれまで中国のサイバースパイやサイバー攻撃に対処するため人工知能(AI)の活用を提唱してきました。

公務秘密法強化の動き

「007」の国イギリスは伝統的に秘密主義が強く、1911年の公務秘密法で「職務上知り得た一切の情報」の伝達を包括的に禁止する規定が設けられていました。公務秘密法は日本で言う特定秘密保護法です。

89年の法改正で保護される秘密を(1)防諜とインテリジェンス(2)防衛(3)国際関係、外国・国際機関から入手した秘密(4)犯罪関係(5)通信傍受に関する情報(6)防諜、インテリジェンス、防衛・国際関係について他国・国際組織に内密に伝達された情報に限定しました。

テクノロジーの進化でイギリスの公務秘密法はすっかり時代遅れとなったため、英政府は情報機関や議会から公務秘密法を強化するよう圧力を受け、法改正案を提出する意向を発表しました。

外国企業への情報漏洩を起訴しやすくするため、条文にある「敵」という言葉を「外国勢力」やテログループや外国政府の影響下にある企業を含む「エンティティ」に定義し直す考えです。

現行法で禁錮2年の最高刑を引き延ばすことも求められています。しかし民間人やジャーナリストを保護するため、情報開示が公共の利益にかなう場合、違法性は阻却されることも検討されているそうです。

国家秘密と情報公開のバランスをとり、透明性を保つため、イギリスでは下院の情報安全保障委員会に、情報や安全保障問題に関する政府の活動を精査、監視し、対象機関に対して情報の開示を強制する権限が付与されています。

(おわり)

参考:諸外国における国家秘密の指定と解除(国会図書館)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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