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Black Lives Matterが突き付ける歴史問題の深淵「英国の歴史教育はとても許容できない」

木村正人在英国際ジャーナリスト
ロンドンの街角に展示される黒人女性のアート(筆者撮影)

「絶望と人生を変える苦難の時に」

[ロンドン発]ロンドンの高層住宅グレンフェル・タワー火災から3年余、24歳で命を落としたガンビア系イギリス人写真家カディージャ・セイェさんの9作品を通りの壁に展示するインスタレーションが7日から高級住宅街ノッティングヒルで始まりました。

グレンフェル・タワー火災では72人が犠牲になり、21階に住んでいたカディージャさんと母親が亡くなりました。米白人警官に膝で首根っこを8分46秒にわたって押さえつけられた黒人男性ジョージ・フロイドさんは死亡する前に「息ができない」という言葉を残しました。

カディージャさんも炎と煙に巻かれ、「息ができない」状態で亡くなりました。インスタレーションのテーマは「この空間で私たちは息をする」。カディージャさんの友人だったガイアナ系イギリス人デービッド・ラミー下院議員(労働党)がプロジェクトを立ち上げました。

カディージャさんの作品(筆者撮影)
カディージャさんの作品(筆者撮影)

カディージャさんは生前、作品について「トラウマを経験した後の精神的な根拠を個人的に必要としたため制作しました。私たちの生活に意味を与え、絶望と人生を変える苦難の時に私たちが保持しているものを探すことです」と話していたそうです。

グレンフェル・タワー火災でも新型コロナウイルスでもマイノリティーの犠牲者が目立ち、「Black Lives Matter(BLM、黒人の命は大切だ)」運動は根強い人種差別にスポットライトを当てました。街角から社会的不平等と不正を正していくためインスタレーションが企画されました。

「肌の色が違えば分からない」

ラミー下院議員は「カディージャは優しくて、創造的な魂を持っていました。彼女はガンビアとイギリス、イスラム教とキリスト教の遺産を受け継ぎ、芸術を目指す若者たちを助けました。マイノリティーの家庭で芸術を目指すのは難しい。ここを通った子供たちが彼女の作品を見て刺激を受けることを願っています」と話しました。

左がラミー下院議員(筆者撮影)
左がラミー下院議員(筆者撮影)

作品を見に来たカリブ諸国出身のデザリン・ルイスさんは筆者にこう話しました。

「肌の色が違う人には私たちがどう感じているのか、通り、学校、職場でどんな体験をしたのかは本当には理解してもらえないと思います。だからBLMとは距離を置いています。週に一度は嫌な思いをします。家族も同様です。しかし親の世代と違って若い世代に垣根はありません」

ジャマイカ出身のシャマディーン・リードさんはBLMについて「今はトレンディーになっていますが、一過性ではなく継続的な取り組みが必要です。システムや制度の変革が求められています」と話してくれました。

「黒人差別につながる不正義を許容すべきではない」

「謝罪の言葉だけでなく行動を」と訴えている西インド諸島大学の副学長でカリブ共同体補償委員会委員長のヒラリー・ベックルズ教授に国際電話でインタビューしました。西インド諸島にあるいくつかの国はイギリスの植民地でした。

ベックルズ教授は哲学を学んでいた10代の頃に奴隷制や植民地支配が西インド諸島の各国に残した傷跡に気付き、正義を実現させるため自分の人生を懸けて旧宗主国イギリスに対して謝罪と賠償を求めてきました。しかし交渉は難航し、ストレスや不安に襲われることもあるそうです。

筆者: BLMについてどう思いますか。

ベックルズ教授:非常に重要な運動です。黒人差別を撤廃する目的を持ち、奴隷制と植民地支配の一部だった黒人に対する差別表現に立ち向かい、追放しようとしています。

黒人差別とそうした文化に関連する不正義を決して許容すべきではありません。全ての文化、西洋文明と、その道徳的な基準に従って行動することはとても大切です。

筆者:どうしてBLMはアメリカからイギリスや欧州に広がったとお考えですか。

ベックルズ教授:なぜなら、こうした文化、こうした国々は奴隷制の上に築かれたからです。アフリカの植民地支配の上に築かれ、黒人は奴隷にされました。

奴隷制と奴隷貿易は欧米諸国によって管理される一つの西洋文明圏のグローバル・ビジネスでした。今は別々の国に分かれていますが、もとをただせば奴隷制の上に築かれた同じ経済システムだったからです。

筆者:イギリスでは、奴隷貿易で財を築き、学校や病院、教会に寄付した篤志家エドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像がブリストル港に放り込まれるなど、奴隷貿易や植民地支配に関わった歴史的な人物の彫像や記念碑の撤去を求める運動が広がりました。

ベックルズ教授:もし、あなたが人道に対する罪に関与した文化や文明の一員であり、こうした犯罪に関わった指導者や組織が称賛されているとしたら、正義がもたらされるのではなく、犯罪に加担したことを祝福しているのです。

それゆえ、道徳や倫理を願う社会はこうした記念碑を撤去すべきです。こうした記念碑は人権を広げた人ではなく、自分を守る権威も力もない弱者からの強奪や海賊行為、殺人に関与した人を称えるものです。

筆者:どのような基準で奴隷制や植民地支配は裁かれるべきだと思いますか。

ベックルズ教授:現代の基準で裁かれるべきです。それらは17~19世紀にかけて行われた犯罪です。大切なのはこうした犯罪が行われた時、多くの人がそれに反対していたということです。多くの人が間違っている、犯罪だ、反キリスト教で罪深いと指摘しました。

しかし個人や組織、機関、国家を潤すために奴隷制や植民地支配は行われたのです。奴隷制や植民地支配が国益につながると判断された時、批判する声は脇に追いやられたのです。私たちはその時の基準だけでなく普遍的な価値観で判断するべきです。

軍事力を使って自分を守ることができない人を奴隷にするのは倫理に反しており、犯罪です。

筆者:イギリスの歴史教育のカリキュラムについてどう思われていますか。

ベックルズ教授:私は1955年にバルバドスで生まれ、1969年に英イングランドに家族で移住しました。私はイギリスの教育システムの産物です。イギリスの奴隷貿易の歴史について全く教えられませんでした。イギリスの学校やカレッジにおける歴史教育は受け入れられません。

筆者:英中央銀行、イングランド銀行や保険市場ロイズ、英大手銀行が一斉に謝罪しましたが、あなたは謝罪だけでは十分ではないと主張されていますね。

ベックルズ教授:もしあなたが人道に対する罪の一部だったとしたら、申し訳ない、謝罪するという言葉は3つの要素から構成されます。まず人を傷つけたり害をなしたりした犯罪に加担したことを認めなければなりません。次に過ちを二度と繰り返さないと誓う必要があります。

最後にあなたが加えた傷を治すのを手伝うことです。この3つがそろって初めて謝罪になります。犯罪に加担したことを認めるのなら、被害の回復を手伝うタスクを認めたことになります。だから謝罪には賠償が伴うのです。賠償と援助とは異なります。

筆者:イギリスとの交渉は進んでいますか。

ベックルズ教授:原則的な前進はありましたが、実体的な前進はありません。イギリスは国家や組織として犯罪に加担したことを認め、被害回復のプロセスを始めようという人もいますが、プロセスはまだスタートしていません。

筆者:イギリスは際限のない謝罪と賠償に陥る恐れはありませんか。

ベックルズ教授:賠償には犯罪行為によって富を築いた者と、犠牲になった者の2つのサイドがあります。両者が問題をどのように片付けるかベストの選択肢を議論しなければなりません。それは終わりのないプロセスではありません。

犠牲になった側の傷をいかに癒やすかを議論するのです。カリブ諸国はパートナーシップについて話し合っています。私たちは犯罪によって作り出された問題を取り除く開発について話し合っています。

筆者:イギリスにおける奴隷制度廃止運動をどう評価しますか。

ベックルズ教授:奴隷制度廃止運動が犯罪を止めるのに成功したのは世論がこうした犯罪に反対するようになったからです。当時、2つのグループがありました。一方はこうした世論を背景に対話を求め、他方はブラックコミュニティーが被った損害を心配し、正義の実現を求めていました。両輪が上手く回りました。

(筆者注)BLMは白人警官による黒人暴行死事件に端を発していますが、「公民権」でも「自由や平等」でもなく「ブラック(Black)」という肌の色を掲げたところに背景に潜む問題の底知れぬ深さと広がりを感じざるを得ませんでした。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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