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チャーチルやネルソン提督も標的にされた 白人帝国主義に対する糾弾をほくそ笑むのは誰だ

木村正人在英国際ジャーナリスト
抗議デモで落書きされたチャーチル像(写真:ロイター/アフロ)

「警察官は社会のパンチバッグではない」

[ロンドン発]アメリカで起きた白人警察官の黒人男性ジョージ・フロイドさん殺害事件への抗議運動「Black Lives Matter(黒人の命が大切なのだ)」が、かつて7つの海を支配し「太陽の沈まない国」と呼ばれたイギリスで大きな波紋を広げています。

英国で起きた抗議デモでは警察官27人が負傷。ロンドンのハックニーでは10日、職務質問された黒人男性が抵抗し、集まった黒人グループが白人警察官2人に暴力を加え逮捕される事件がありました。周辺にいた誰も警察官を助けようとはせず携帯電話で撮影してSNSに投稿しました。

ロンドン警視庁はたまらず「私たちは社会のパンチバッグではない」との声明を出しました。経済協力開発機構(OECD)の経済見通しでは、新型コロナウイルス対策の都市封鎖でイギリス経済は今年11.5~14%も縮小すると予測されており、社会の不満が爆発しないか心配です。

欧州連合(EU)離脱による経済的な打撃も小さくありません。パンデミックはようやく第1波が沈静化したに過ぎず、経済や社会活動を再開する道筋がついたわけではありません。法と秩序が失われると、人間は獣になります。筆者は事態がエスカレートするのを恐れます。

「私には夢がある(I Have a Dream)」

アメリカのアフリカ系公民権運動指導者、キング牧師は「私には夢がある(I Have a Dream)」という有名な言葉を残しました。自分の子供たちが生まれてきた肌の色で判断されるのではなく、その後に身に付けた中身で評価される国で暮らせるようになる夢を語りました。

そしてバラク・オバマ氏は「私たちにはできる(Yes We Can)」のキャッチフレーズで第44代米大統領に就任。アフリカ系大統領が誕生するのはアメリカでは初めてでした。その一方で、新自由主義とグローバリゼーションは白人労働者の仕事と豊かさを奪い、「白い怒り」を増幅させました。

それに火を放ったのがドナルド・トランプ米大統領です。白人至上主義を煽るような言動を繰り返し、白人と黒人の間に埋められない溝を広げました。ロンドンで暮らす筆者は黒人アイデンティティーを強調する「Black Lives Matter」というスローガンには賛同できません。

アフリカ系アメリカ人にあなたはアフリカ大陸の黒人と「Black」という言葉でひとくくりにされることに同意しますかと尋ねたら、おそらく「それは違う」と答えるでしょう。国民1人当たりの国内総生産(GDP)も生活水準もかけ離れています。

英王室を離脱したメーガン妃は結婚式でアフリカ系の出自と歴史をあれだけ演出したにもかかわらず、活動の拠点をイギリスでもアフリカ大陸でもなく、アメリカのロサンゼルスに選んだのは、彼女のアイデンティティーがアメリカ人であり「個人の自由」を求めたからでしょう。

南ア「白人は大量虐殺を犯した」

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃の先頭に立ち、同国初の黒人大統領になったネルソン・マンデラ氏は自由と基本的人権を認めさせれば、アパルトヘイトは自壊するという信念を持っていたため、武力闘争路線を放棄しました。

武力闘争路線を継続したウィニー夫人(当時)と袂を分かつという苦渋の決断を強いられたものの、南ア全土を覆っていた暴力は鎮まりました。しかしアパルトヘイト廃止から30年近く経ち、貧富の格差を拡大させた責任を「白人」になすりつける声が広がっています。

「白人どもが土地を略奪した」(ジェイコブ・ズマ前大統領)

「黒人国家の貧困」(シリル・ラマポーザ大統領)

「われわれは白人のノドを切り裂いている」「白人は大量虐殺を犯した」「南アの土地の正当な所有者は白人ではない」「白人はわれわれの土地を盗んだ敵だ」(ジュリアス・マレマ経済的解放の闘士=EFF党首)

ソーシャルメディア上にも「すべての白人は死に値する」(警官)、「攻撃者は目と舌を突き刺すべきだ」(陸軍少佐)と嫌悪の書き込みがあふれています。

チャーチル像や戦争追悼記念碑も標的に

イギリスの「Black Lives Matter」運動では、奴隷貿易で財を築き、学校や病院、教会に寄付したイギリス商人エドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像がデモ参加者によって引き倒され、ブリストル港に放り込まれました。

第二次大戦を勝利に導いた英首相ウィンストン・チャーチルの像も「人種差別主義者」と落書きされ、第一次大戦の犠牲者を追悼した記念碑セノタフに掲げられた英国旗ユニオンジャックが燃やされそうになりました。いずれも黒人抗議者の過激行動でした。

イギリスの「Black Lives Matter」運動が記念像の撤去や通りの改名などを求めている歴史上の主な人物は次の通りです。奴隷貿易だけでなく、白人帝国主義、植民地支配の歴史を裁こうというのです。

チャールズ2世(1630~1685年)

ジェームズ2世(1633~1701年)

ネルソン提督(1758~1805年)

ロバート・ピール首相(1788~1850年)

スカウト運動の創立者ロバート・ベーデン=パウエル(1857~1941年)

これに対して、自分をチャーチルになぞらえるボリス・ジョンソン首相は「歴史を今の価値観から編集しようとすることも検閲しようとすることも許されない」とツイートしました。

歴史の糾弾は強烈な反動を引き起こす

歴史はそれぞれの国のアイデンティティーそのものであり、伝統と文化とも密接に結びついています。現在の善悪の価値観により裁こうとすれば強烈な反動を引き起こすことは日韓間の従軍慰安婦、徴用工問題を見ても明らかです。

今回の「Black Lives Matter」は白人至上主義の傾向が強くみられるトランプ大統領と米大統領選の問題であって、世界中で普遍的に語られるべきスローガンではないと思います。「白人」と「黒人」の違いを強調する運動は人種間の緊張をさらに増幅させる危険性すらあります。

イギリスでの「Black Lives Matter」運動の呼びかけ人は極右との衝突を警戒して13日の抗議デモを中止しました。

「Black Lives Matter」運動が過去の白人帝国主義や植民地支配を標的にし始めたのをほくそ笑んでいるのは、香港国家安全法導入を強行しようとしている中国の習近平国家主席ではないのでしょうか。中国共産党にとって香港はまさに白人帝国主義の遺物です。

過去の白人帝国主義や植民地支配を批判するより、現在の、自由と民主主義、法の支配、人権が蹂躙されていることに目をつぶる方がはるかに重大な問題です。

マンデラ氏は自伝の中で「山の頂に到達したと思ったら、登らなければならない山がまた目の前に現れた」と書き残しました。夢や自由、人権の平等を普遍的に唱えたキング牧師やマンデラ氏の遺志を継いで、困難な山を登ってくれる指導者が現れることを切に願います。

差別や抑圧、支配とは、される側ではなく、する側の知性を貶め、それを克服しようと努める者の知性を高めるのだと筆者は信じたいと思います。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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