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新型コロナの出口戦略でよみがえる「集団免疫」論の幻惑 日本は感染を制御しながら経済を再開できるか

木村正人在英国際ジャーナリスト
「集団免疫」論に惑わされ、自ら生死の境をさまよったジョンソン英首相(写真:ロイター/アフロ)

「東京でも5千人の無作為検査をすれば信頼できる数値が得られる」

[ロンドン発]朝日新聞に「新型コロナ『経済封鎖せずに抑え込める』科学者が提唱」という記事が掲載されました。イスラエルのヘブライ大学のアムノン・シャシュア教授のインタビュー記事です。

「新型コロナウイルスの影響で外出禁止や自粛が長引く中、いつどうやって『解除』を進めていくか」という出口戦略がテーマです。

欧州でも都市封鎖(ロックダウン)が長引く中「生命も大事だが、経済を殺してしまうわけにはいかない」という議論が沸き起こっています。

シャシュア教授は自動運転分野のキーマンで、イスラエルで最も成功したエンジニアの1人だそうです。ポイントは次の通りです。

・ワクチンができるまで、67歳以上や持病を持つ人を高リスク、それ以外を低リスクのグループに二分し、低リスク・グループだけ外出を許可

・若者たちに徐々に感染が広まり、数週間から数カ月後に十分な人数がウイルスへの免疫を獲得し、感染が広がりにくい状況だと判断すれば高リスク・グループの外出も認める

・感染者が出ても十分なベッド数とそれに応じた人工呼吸器、医療スタッフがいれば命は救える

・高齢者と若者が同居するケースのうち半数は別居の選択が可能。残りの半数は別居が難しいので全員を高リスクに分類

・日本でも東京でサンプリング調査を実施すれば人工呼吸器(ICU)に何床の余裕があれば外出禁止を解除できるか計算できる。5000人の無作為検査をすれば十分に信頼できる数値が得られる

「集団免疫」論の落とし穴

この議論はロンドン在住の筆者にとっては既視感があります。シャシュア教授の主張は、一定の人が新型コロナウイルスに感染して抗体を持つようになれば、その人が壁になって感染の拡大を防ぐという「集団免疫」論に基づいているように見えます。

出口戦略ではなく入口戦略で「集団免疫」論に惑わされ、大きな痛手を被ったのがイギリスです。

まずイギリスの教訓を見ておきましょう。

・英政府は全国9カ所にコロナ専用臨時病院をつくると発表したが、重症・重篤患者用だったロンドンのNHS(国民医療サービス)ナイチンゲール病院(4000床)はガラガラ。他の病院では軽症・回復者用に切り替える計画も。医療崩壊は回避したが、死者数は2万7000人に近づき欧州最悪になる恐れも→→

【教訓1】治療法がないためICU病床や人工呼吸器に余裕があれば必ずしも患者の生命を救えるとは限らない。人工呼吸器を装着しても患者の約半分は死亡している。

・老人ホームで亡くなる高齢者が続出。英紙デーリー・テレグラフは最大7500人の入所者が死亡と推計→→

【教訓2】施設に出入りするケアワーカーとの接触が避けられないため老人ホーム内の感染を防ぐのが難しい。感染症数理モデルのスペシャリスト、英インペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授は「高齢者や持病のある人を社会から隔離しつつ、若者や健康な人の外出を認めて経済活動を再開させるとどうなるか。それで高齢者や持病のある人の感染リスクを80%減らしても年末までに10万人の死者が出る」と警告。

欧州連合(EU)離脱を控える英政府は当初、経済への影響に配慮して感染の緩和策をとり「集団免疫の獲得」をゴールにしていたフシがありありとうかがえます。

ボリス・ジョンソン首相は当初、コロナ対策の国家緊急事態対策委員会(コブラ)をマット・ハンコック保健相に任せて5回も欠席。

封じ込め・遅延・研究・緩和の4段階からなる行動計画を発表した3月3日の記者会見では感染者と握手したようなお気軽発言をして物議を醸しました。

「集団免疫」論を捨てて、厳格な封じ込め策に改めて舵を切ったのは、ファーガソン教授が緩和策だと死者はイギリスで26万人、アメリカで110万~120万人に達するとの報告書を公表した1週間後でした。

当初、緩和策をとった結果、ジョンソン首相自身も感染、一時はICUに運び込まれ、生死の境をさまよいました。4月30日、復帰後初の記者会見でジョンソン首相は「流行のピークは越えた」として来週にも包括的な出口戦略を示す考えを明らかにしました。

「スウェーデンはニューノーマルのモデル」か

スウェーデンも、当初のイギリスと同じように「集団免疫」論をとり、都市封鎖をしませんでした。大規模な集会は禁止されていますが、レストラン、バー、学校は開いたまま。社会的距離は強制ではなく、奨励されています。

100万人当たりの死者数は256人と、スペイン525人、イタリア463人、イギリス394人、フランス373人に比べるとまだ低いため、世界保健機関(WHO)から称賛されました。

「スウェーデンはニューノーマルのモデルを表しています。私たちが都市封鎖のない社会に戻りたいのであれば」(WHOで緊急事態対応を統括するマイク・ライアン氏)

スウェーデンの状況を見ておきましょう。

・100万人当たりの死者数はスウェーデン256人、日本は3人

・単身世帯の割合はスウェーデン50%超、日本は35%

・100万人当たりのPCR検査数はスウェーデン1万1833件に対して日本は1309件

・スウェーデンの周りを取り囲む国々の100万人当たりの死者数はノルウェー39人、フィンランド38人、デンマーク78人。こうした国が壁になり、スウェーデンへの新型コロナウイルスの侵入を防いだ可能性がある

・スウェーデンのある病院のガイドラインでは(1)80歳以上(2)70~80歳で臓器1つ以上に疾患のある人(3)60~70歳で臓器2つ以上に疾患のある人はICUで治療しない

「集団免疫」論は究極の選択

WHOのライアン氏の発言に対する批判も少なくありません。

「集団免疫」論が恐ろしいのは一体どれだけ感染者が広がり、何人が犠牲になるのか正確には読めないところです。生命の取りこぼしが出るのを承知の上で「集団免疫」論をとるかどうかは究極の選択と言えるでしょう。

ファーガソン教授は韓国を念頭に次のモデルを推奨しています。

徹底した都市封鎖と社会的距離で流行を制御する。次に大量のPCR検査で無症状や軽症の感染者をあぶり出して隔離する。感染者との接触をスマートフォンのアプリで知らせる「コンタクト・トレーシング(接触追跡)」をフル活用して感染経路を「見える化」して隔離の範囲を絞り込み、経済をできるだけ再開していく――。

日本もいつまでも外出を自粛しているわけにはいきません。社会的距離をとればとるほど経済は中小・零細企業、フリーランスといった末端から壊死していくのは避けようがないからです。

ワクチンや治療法が見つかるまで、大量検査による感染者のあぶり出し、コンタクト・トレーシングをどのように組み合わせて、感染を制御しながら経済を再開していくのか。

イギリスで実際に「集団免疫」論の実践を体験した筆者にとっては「集団免疫の獲得を目指す」のは悪夢としか言いようがありません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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