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【ルポ】北アイルランド和平20年の危機 ブレグジットでカトリック系とプロテスタント系の対立再燃

木村正人在英国際ジャーナリスト
カトリック系とプロテスタント系居住区を隔てるベルファストの壁(木村正人撮影)

「ベルファスト合意は次の20年を生き残れない」

[ベルファスト、デリー発]イギリスから分離してアイルランドとの統一を求めるカトリック系住民と、イギリス残留を主張するプロテスタント系住民が激しく対立し、3,600人以上が命を落とした北アイルランド紛争。紛争に終止符を打ち和平をもたらした「聖金曜日協定(ベルファスト合意)」が4月10日、20周年を迎えます。

イギリスの欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)に反対するカトリック系政党シン・フェイン党がいま、5年以内に北アイルランドとアイルランドの統一を問う住民投票の実施を呼びかけています。北アイルランドの住民たちがブレグジットをめぐって再び対立を始めたため「ベルファスト合意は次の20年を生き残れないだろう」と懸念する声が大きくなっています。

ベルリンの壁が崩壊してから「和解」「協調」が進んだ世界は、ロシアや中国の領土拡張の野心、北朝鮮の核・ミサイル開発、中東の混乱、ブレグジット、アメリカのドナルド・トランプ大統領誕生と「対立」「分裂」の時代に逆戻りを始めました。

筆者は「ベルファスト合意20年」を取材するため、ロンドンの外国人特派員協会(FPA)が呼びかけた北アイルランド取材ツアーに参加しました。

ベルファストのアルスター国立博物館では「The Troubles and Beyond(北アイルランド紛争とその後)」という展示コーナーが設けられています。子供連れの姿も目立ちました。大人たちはカトリック系住民の公民権運動から暴動、投石、銃撃、爆弾テロとエスカレートし、血で血を洗う宗派抗争となった暗い歴史をどう子供たちに伝えているのでしょう。

「北アイルランド紛争とその後」の展示コーナーには子供連れの姿が目立つ(木村正人撮影)
「北アイルランド紛争とその後」の展示コーナーには子供連れの姿が目立つ(木村正人撮影)

「2級市民」だったカトリック系住民

アメリカの黒人たちが人種差別の解消を求めた公民権運動に触発され、北アイルランドでも2番目に大きい都市デリーで1968年「2級市民」扱いされていたカトリック系住民が公民権運動デモを組織しました。雇用、公共住宅の割り当て、選挙区割り、そして警察官の採用についてカトリック系住民をプロテスタント系住民と平等に扱うよう求め、声を上げたのです。

16世紀、ヘンリー8世(イングランド王)がローマ・カトリック教会から離脱したことをきっかけにプロテスタントのイギリス国教会が発足しました。ローマ・カトリック教会が政治に影響を与えることを警戒してきたイギリスでは1人もカトリックの首相が誕生していません。これに対し隣国のアイルランドはカトリックの国です。プロテスタントとカトリックの対立はひと昔前まで理解を絶するほど深刻でした。

イギリスによるアイルランド支配、アイルランド独立戦争を経てイギリスにとどまることになった北アイルランドのカトリック系住民には「支配者」として振る舞い続けるプロテスタント系住民や警察権力に対する憤まんが渦巻いていました。

1972年にデリーで行進中のカトリック系住民が英軍に銃撃され、14人が死亡する「血の日曜日」事件を機に紛争は一気にエスカレートします。イギリスからの分離、アイルランドとの統一を主張して武装闘争に走るカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)と、イギリスへの残留を唱えるプロテスタント系民兵組織が互いに血塗られたテロを繰り広げます。

デリーの民家の壁画には紛争当時の光景が描かれている(木村正人撮影)
デリーの民家の壁画には紛争当時の光景が描かれている(木村正人撮影)

非常事態下の北アイルランドには最大2万1,000人の英部隊が展開するようになりました。

和平を達成した政治のリーダーシップ

3,600人以上の命が失われた紛争を終わらせるため、ジョージ・ミッチェル元米上院議員、トニー・ブレア英首相、ビル・クリントン米大統領による政治のリーダーシップで98年、ベルファスト合意が結ばれます。

この合意では(1)イギリスとアイルランドは北アイルランドの領有権を主張しない(2)北アイルランド住民の過半数が合意することなしに北アイルランドの現状を変更しない(3)将来の帰属は北アイルランド住民の意志に委ねられる(4)帰属が確定するまではプロテスタント、カトリック系政治勢力が共同参加する自治政府によって統治される――ことを確認しました。(参考:「1998 年『ベルファスト和平合意』の構造」南野泰義立命館大学教授)

ベルファスト合意をきっかけに北アイルランドはどれだけ変わったのでしょうか。最も分かりやすい指数は観光です。首府ベルファストを泊まりがけで訪れる観光客は99年の50万人から2016年には150万人まで増えました。ベルファストに入港するクルーズ船の数は2隻から昨年には117隻まで増えました。12%台だった北アイルランドの失業率は3.2%まで下がりました。

合意から20年、北アイルランドは平和の恩恵を享受し、成長してきました。初めての航海で氷山と接触して沈没、1,500人を超える犠牲者を出した悲劇の豪華客船タイタニック号が米映画『タイタニック』で世界中の人気を集め、ベルファストの造船所跡地が観光名所に生まれ変わったのと同じように、安全を確保するためカトリック系とプロテスタント系の居住区を隔てる「平和の壁」も観光コースになりました。

タイタニック号が造られた造船所跡地は観光名所に生まれ変わった(木村正人撮影)
タイタニック号が造られた造船所跡地は観光名所に生まれ変わった(木村正人撮影)

再び背を向け始めた住民

ベルファストで観光ガイドをするピーダー・ウィラン氏(60)は元IRAメンバーで殺人未遂の罪で無期の判決を受けました。「今もIRAに参加したことを後悔していない。カトリック系のナショナリストは『南北アイルランドの統一』を、プロテスタント系のユニオニストは『北アイルランドはイギリスの一部』という立場を崩しておらず、政治的な対立は残っている。ブレグジットで南北アイルランド統一の動きに弾みがつく可能性がある」と言います。

元IRAメンバーのピーダー・ウィラン氏(木村正人撮影)
元IRAメンバーのピーダー・ウィラン氏(木村正人撮影)

シン・フェイン党は南北アイルランド統一の住民投票を呼びかけ、EU残留を望むカトリック系住民の支持を取り付けようとしています。

一方、プロテスタント系民兵組織の兵士だったノエル・ラージ氏(60)は計375年の刑を宣告され、16年服役したあとベルファスト合意を受け釈放されました。今は相互理解を深めるため観光ガイドをしています。「当時はIRAの攻撃に対抗するため武力闘争を正当化していたが、今ではすべてを後悔している。人生を無駄にした」と声を落としました。敵意からは繁栄は生まれないと言います。

プロテスタント系民兵組織の兵士だったノエル・ラージ氏(木村正人撮影)
プロテスタント系民兵組織の兵士だったノエル・ラージ氏(木村正人撮影)

ブレア英首相と一緒にベルファスト合意に調印したアイルランドのバーティ・アハーン首相(当時)は「ベルファスト合意の1週間前に合意すると考えていたのは5%。武装解除、服役囚の解放、警察の改革など問題は山積していた。しかし、変化をもたらすのは政治のリーダーシップだ」と振り返りました。

アイルランドのバーティ・アハーン元首相(中央、木村正人撮影)
アイルランドのバーティ・アハーン元首相(中央、木村正人撮影)

20年前は北アイルランドで最大の政治勢力だったプロテスタント系政党アルスター統一党(UUP)のマイク・ネスビット前党首は合意文書を片手にこう話しました。

「紛争時、銃弾、爆弾、警察、兵士が日常の風景だった。ベルファスト合意には自分のアイデンティティーは自分で決めると書かれており、ヒエラルキーはない。この20年で北アイルランドの風景は随分変わった。次の20年、ベルファスト合意が生き残れるかは私たちがどれだけ合意を前に進める努力をできるかにかかっている」

北アイルランドの政治風景を一変したブレグジット

しかしブレグジットは完全に北アイルランドの政治風景を変えてしまいました。イギリス総選挙の結果から見た北アイルランドの政党勢力の変遷マップ(Nickshanks作)をWikipediaから見てみましょう。

Wikipediaより(Nickshanks作)
Wikipediaより(Nickshanks作)

ベルファスト合意を主導してそれぞれの党首がノーベル平和賞を授与されたアルスター統一党(UUP、薄紫色)や社会民主労働党(SDLP、黄緑色)が大きく後退し、IRAの政治組織シン・フェイン党(Sinn Fein、深緑色)とベルファスト合意に反対したプロテスタント系民主統一党(DUP、赤色)の2極支配が進んできたことが分かります。

悲しいかな、「協調」する政党より「対立」をあおる政党や政治家が伸長するのが政治の現実です。昨年1月に自治政府が崩壊して以降、北アイルランドではDUPとシン・フェイン党が激しく対立し「無政府状態」が続いています。EUからの「強硬離脱」に突き進むメイ政権にDUPが閣外協力し、シン・フェイン党が「EU残留」を主張していることが問題をさらに複雑にしています。

南北アイルランド統一

シン・フェイン党のエリシャ・マカリオン下院議員は「ベルファスト合意は保守党とDUPの攻撃にさらされている。ブレグジットで北アイルランドとアイルランドの間に目に見える国境が復活した場合、北アイルランドを分離してカトリック系住民だけがアイルランドと統一するという選択肢ももちろん浮上してくる」と話しました。

シン・フェイン党のエリシャ・マカリオン下院議員(木村正人撮影)
シン・フェイン党のエリシャ・マカリオン下院議員(木村正人撮影)

2011年の国勢調査では90歳以上のプロテスタント系とカトリック系の人口比率は64%対25%。08年以降に生まれた人口比率は31%対44%と逆転しています。このままカトリック系の人口割合が増え続けると南北アイルランド統一は不可避の選択肢になってきます。

これに対して故イアン・ペイズリー元北アイルランド自治政府首相の息子で、DUPのイアン・ペイズリー・ジュニア下院議員は「シン・フェイン党とDUPのプロジェクトは違う」と断言し、質問したハンガリー出身の記者に対して「次はハンガリーがEUから離脱することを期待しているよ」と言ってのけました。

DUPのイアン・ペイズリー・ジュニア下院議員(木村正人撮影)
DUPのイアン・ペイズリー・ジュニア下院議員(木村正人撮影)

イアン・ペイズリー・ジュニア氏は反イスラムのツイートをリツイートして謝罪に追い込まれたことがあります。

DUPにはEUからの離脱でEU加盟国アイルランドとの国境を明確化し、北アイルランドはイギリスに帰属することをはっきりさせる思惑が働いているのは言うまでもありません。DUPは20年前ベルファスト合意への反対を貫きました。

北アイルランドからアイルランドに入る国境ではスピード制限の表示が時速100キロメートルと記され、逆に戻ると時速60マイルという表示が掲げられていました。イギリスが単位としてマイルを使っており制限速度を間違わないようにするためですが、北アイルランドとアイルランドの国境はマイルかキロメートルかの違いだけなのです。

アイルランドから北アイルランドに入る国境(木村正人撮影)
アイルランドから北アイルランドに入る国境(木村正人撮影)

しかし「北アイルランドにようこそ」という看板の「北」が黒く塗り潰され「アイルランドにようこそ」と書き換えられていました。国境には、北アイルランド紛争が激化したため1969年から使われなくなった旧税関建物が残され、テナントを募集していました。ブレグジットで北アイルランドとアイルランドの間に目に見える国境が復活すると、再びこの旧税関建物が必要になるかもしれません。

ブレグジットはプロテスタント系、カトリック系住民の対立を呼び覚ますとともに、スコットランドや北アイルランド問題を抱えるイギリスの領土保全という最大の主権を自ら損なうリスクをはらんでいます。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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