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スペインテロ実行犯を射殺 IS浸透するモロッコ・コネクション ジハーディ・サラフィズムの恐怖

木村正人在英国際ジャーナリスト
泣き崩れるテロ容疑者の家族(リポイで)(写真:ロイター/アフロ)

サグラダ・ファミリア爆破計画

 [ロンドン発]スペイン第2の都市バルセロナで17日、白色フィアットが人混みに突っ込んで13人が死亡、100人以上が負傷した暴走テロで、警察は21日、バルセロナの西40キロのガソリンスタンド近くで爆発物に似せたベルトを締めた男を射殺しました。

 射殺されたのは暴走車を運転、逃走していたユネス・アブヤクブ容疑者(22)。

 今回、テログループ12人が関与、「サタンの母」と呼ばれる殺傷能力の高い爆薬TATP(過酸化アセトン)やガス缶120本を用意して世界遺産のサグラダ・ファミリア教会を爆発しようとしていたという見方も浮上するなど、大掛かりな計画だったことが浮き彫りになっています。

 まず、警察発表や報道によって判明した事件の全体像をおさらいしておきましょう。

グーグルマイマップで筆者作成
グーグルマイマップで筆者作成

(1)16日夕、バルセロナから南へ200キロメートルの小さな町アルカナーで民家が爆発。屋内からTATP、ブタンとプロパンのガス缶120本が見つかる。爆発物をトラックに積んで建築家アントニ・ガウディの代表作で世界遺産サグラダ・ファミリア教会を爆発する計画だったとの見方も。

 テログループの2人が死亡、15人が負傷。負傷者の1人は拘束され、警察が聴取。警察は「民家で爆発装置を準備していた」と発表。

建築家ガウディの代表作サグラダ・ファミリア教会(昨年7月、筆者撮影)
建築家ガウディの代表作サグラダ・ファミリア教会(昨年7月、筆者撮影)

(2)17日午後5時前、バルセロナの遊歩道ラ・ランブラで白色フィアットが550メートルにわたって暴走、少なくとも13人が死亡、100人以上が負傷。実行犯の運転手は現場から逃走。市民1人が刺殺され、車を盗まれる。

 午後7時半、バルセロナ郊外の検問所で車が警察官に突っ込む。後部座席でナイフの刺し傷を負った1人が死んでいるのが見つかる。

(3)午後6時半、バルセロナの北80キロメートルの街ビクで逃走用車両を警察が発見。この逃走用車両は白色フィアットと同時に借り出されていた。

(4)18日午前1時、バルセロナ南部のリゾート、カンブリスで警察が2度目の車暴走テロを阻止するも女性1人死亡、警察官1人を含む7人が負傷。ラ・ランブラの車暴走テロと関連するテロ容疑者5人を射殺。車内にはナイフや斧が積まれていた。

人口1万1000人の小さな町リポイ

 スペイン警察はこれでテログループ12人のうち6人を射殺。2人は誤爆して死亡。4人を拘束して取り調べています。全員がモロッコ系移民で、その多くがフランス国境に近いピレネー山脈の麓にある小さな町リポイ(地図5)に住んでいたか、関係していました。

 リポイの人口は1万1000人弱です。テログループの中には地元のフットサルチームでプレーしていた10代後半の若者もいます。

 10代後半から20代の若者を過激化させたのは、民家爆発で死亡したとみられるイマーム(イスラム教指導者)のアブデルバキ・エス・サティ師(40)です。サティ師は麻薬の密輸で4年間服役した後、2014年に出所しますが、その際、192人が死亡した04年のマドリード列車爆破テロの一味と特別な友誼を結んだと報じられています。

 サティ師はイラクでアメリカ軍と戦うためにジハーディストをリクルートしていたグループともつながりが指摘されており、警察の過激化リストに入っていました。15年からリポイのモスク(イスラム教の礼拝所)でイマームとして活動、コーラン(イスラム教の聖典)の教えに忠実に従い、古き良きイスラムの時代に回帰しようというサラフィズムに深く関係していたそうです。

 昨年3月のベルギー同時爆破テロ前の3カ月間、ベルギーに滞在していました。そして先週、「モロッコに帰る」と言ってリポイの町から姿を消してしまったのです。

 薬物やケンカ、窃盗などで服役した刑務所で、バリバリのイスラム過激派に感化され、出所してから家族や友人、地域を通じてネットワークを広げるのは過激化の典型的なパターンです。「ジハーディスト」の温床と呼ばれたベルギーのモレンベークでもモロッコ系モスクを通じて、若者たちが過激化していました。

モロッコ・ネットワーク

 テロリストのモロッコ・ネットワークは存在するのでしょうか。いくつかの観点から検証してみましょう。

【スペインとモロッコの地理的・歴史的なつながり】

 ジブラルタル海峡を挟んでスペインと15キロメートルにも満たないモロッコは19世紀から欧州列強の標的となり、1912年、国土の大部分がフランスの保護領、北部リーフ地方(地図6)はスペインの保護領となりました。56年に独立しますが、セウタ、メリリャは今でもスペインの飛地領です。

 領土問題でスペインとモロッコの2国間関係はもめることもありますが、経済協力、テロ対策、麻薬密輸対策、不法移民対策で緊密に協力しています。マドリード列車爆破テロでは、モロッコのイスラム過激派が多数関与していたことから、モロッコがスペインに対して情報協力したことは有名です。

 今年1月の時点で、スペインのモロッコ人は外国人455万人の16.4%を占め、欧州連合(EU)に新規加盟したルーマニア人を抜いて再び最大のグループとなりました。モロッコ北部リーフ地方の山岳地帯は数百年にわたって大麻密売、麻薬密輸などの無法地帯で、欧州のジハーディストの保育器とも言われています。

【ジハーディ・サラフィズム】

 マドリード列車爆破テロの実行犯の大半は北部リーフ地方のテトゥアンに関係していました。テトゥアンからは多くの若者が過激派組織IS(イスラム国)の前身であるイスラム過激派「イラクのアルカイダ」に加わり、アメリカ軍に対してジハードを実行しました。

 シリアのISに加わった即席爆発装置(IED)製造人もリーフ地方出身で、昨年3月のブリュッセル空港爆破テロで自爆しました。パリ同時多発テロのリーダーの両親はモロッコ南部の出身でしたが、実行犯の2人の両親はリーフ地方出身でした。

 モロッコでイスラム主義が広がったのは1960年代です。エジプトのアラブ社会主義の影響を排して王制を維持するため、モロッコ国王が同じく王制を敷くサウジアラビアと歩調をそろえてイスラム主義運動を支援したのです。

 これでサラフィズムが出版物、音声カセット、寄付、イマーム(指導者)の説教を通じて広がりました。社会格差、貧困、失業問題に苦しむイスラム教徒にサラフィズムは浸透していったのです。

 この中から暴力を伴う過激主義も派生し、湾岸戦争ではサウジで訓練され、過激化したイスラム法学者が書籍やCDを出版し、サラフィズムのプロパガンダをモロッコ中に広げていきます。

 中東民主化運動「アラブの春」以降、サラフィズムの主張を投票行動に移す政治化の動きも出てきますが、その一方で暴力化したイスラム教スンニ派の過激思想ジハーディ・サラフィズムもエスカレートします。

【ISの戦略的ビジョン】

 モロッコ政府によると、国内のIS支持者は2000人にのぼり、欧州に散らばるモロッコ系移民の若者1500~2000人(推定)がISか旧国際テロ組織アルカイダ系のヌスラ戦線に戦士として加わり、200人はモロッコに戻ってきていると言われています。

 ISのイデオロギーは、世界中にシンパを持つジハーディ・サラフィズムです。

 ロンドンにあるシンクタンク「ヘンリー・ジャクソン・ソサイエティ」は、ISが欧米で仕掛けているテロは一見、ISのプロパガンダ・ビデオに触発された「ローンウルフ(一匹狼)・テロリスト」が突発的に実行しているように見えるが、実際は周到にコーディネートされていると指摘しています。

 ISが関係するテロの形態は大きく分けて3つあります。

(1)ISが訓練して命令を下し、戦士を派遣、またはそれぞれの国でリクルートする直接指揮型

(2)シリアやイラクで戦っていた戦士がISから大まかな承認を受けたテロ計画を携えて母国に帰った後、戦士に対してテロ攻撃を促したり、承認したりする。IS情報機関内の外務省Amn al-Kharji経由でジハーディストは暗号化された承認や激励を受ける承認型

(3)ISのシンパが住んでいる国でテロ攻撃を実行するよう奮起させる発奮型

 「ローンウルフ」の無差別犯行に見える(3)でも実はISの外務省Amn al-Kharjiによって巧みに誘導され、ISの戦略的ビジョンの中に組み込まれているそうです。バルセロナの暴走テロもISのジハーディスト・ネットワークが依然として欧州に広く増殖し、そして深く張り巡らされていることを改めて印象づけました。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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