ボブ・ディランのノーベル文学賞は米国のトランプ現象へのアンチテーゼ
スウェーデン・アカデミーが今年のノーベル文学賞を米国のシンガーソングライター、ボブ・ディラン氏(75)に授与すると発表するのを聞いて、ビックリしました。
これまで文学賞は小説、詩、脚本、文芸評論、短編、エッセー、史書、伝記、翻訳、哲学書、シナリオ、回想録を発表している作家計112人に贈られてきましたが、ポピュラー音楽のシンガーソングライターが受賞するのは初めてです。
授賞理由についてスウェーデン・アカデミーは「偉大なアメリカの歌の伝統の中で、新たな詩的表現を創造した」と説明しました。
発表後の記者会見でも、シンガーソングライターが書く歌詞も文学賞の対象になるのかと記者に質問され、「ディランは絶えず彼自身の作品に別の命を吹き込み、新しいアイデンティティーを創り出してきました。彼の歌詞は詩そのものです」と答えました。
ディランが偉大なシンガーソングライターであることに異論を唱える人はいないでしょう。しかし、ディランが詩人かと問われれば、首を傾げる人は多いのではないでしょうか。ディランのスポークスマンは米国の現地時間が未明であることを理由に欧米メディアに対して即答するのを断りました。
ディランはミネソタ大学芸術学部を中退してニューヨークのコーヒーハウスで弾き語りを始めます。フォークソングに社会的メッセージを乗せ、1962年にレコードデビュー。
63年の「風に吹かれて」は米公民権運動の賛歌となり、大ヒット。「時代は変る」「神が味方」「ハッティ・キャロルの寂しい死」など、若者の気持ちを代弁する「プロテスト・ソング」で時代の寵児になります。
すでにゴールデン・グローブ賞やアカデミー賞などの音楽賞のほか、08年にはピュリツァー賞の特別賞を受賞。12年にはオバマ米大統領から文民最高位の「大統領自由勲章」まで授与されたディランに、今さらノーベル文学賞を贈る理由は何なのでしょう。
筆者は、米大統領選で人種・性差別発言を繰り返す不動産王ドナルド・トランプが共和党の指名候補になったことと無関係ではないように思います。
これまでのノーベル文学賞受賞者の出身国を見てみると、フランスが16人でトップ、2番目が米国の11人でした。しかし米国出身者の受賞は1993年のトニ・モリスン以来23年ぶり。
ノーベル文学賞は平和賞と並んで、極めて政治性の強い賞で、ソ連が崩壊して米国の一国主義的傾向が強まってから米国の文学賞受賞者はパッタリ途絶えてしまいます。
58年、『ドクトル・ジバゴ』で共産主義体制を批判したソ連の詩人・小説家ボリス・パステルナークに文学賞が授与されましたが、共産党独裁政権の圧力でパステルナークは賞を辞退します。
2005年の受賞者、英劇作家・詩人ハロルド・ピンターはアフガニスタン、イラク戦争を批判し、当時のブッシュ米大統領をナチスにたとえました。07年の受賞者ドリス・レッシングもブレア元英首相やブッシュを激しく批判しています。
「理想主義」と「人道主義」を追い求める傾向が強い文学賞の選考は、作品の「文学性」よりも、著者や作品の「政治性」に基づいていると、たびたび論争を巻き起こしてきました。ブッシュのアフガン、イラク戦争以降は、米国批判のトーンが強まります。
記者会見によると、ディランへの授与決定は選考委員会の全会一致でした。ノーベル文学賞には欧州の価値観が込められています。
トランプには米国の大統領になってほしくないという欧州のプロテストと、米国はもう一度、ディランがフォーク・ソングに込めた「社会や世代、人種や宗教間の対立を乗り越えていこう」というメッセージを思い出してほしいという願いを文学賞授与に託しのではないでしょうか。
(おわり)
残念ながら今年も、村上春樹さんはノーベル文学賞を受賞できませんでした。日本人に順番が回ってくるのはまだ、かなり先なのかもしれません。作品の文学性だけでは、なかなか選ばれないようです。