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「さまよえる靖国」戦争の真実と和解(6)デッチ上げだった女王参拝案

木村正人在英国際ジャーナリスト

第二次大戦は日本にとって、戦闘員と非戦闘員の区別がなくなり、戦闘員のほか民間人にも大量の犠牲者を出した最初の戦争だった。

従来、戦争といえば「騎士道(武士道)」精神が重視され、勇ましさが強調されたが、欧州はすでに第一次大戦でドイツ軍が毒ガスを使用するなど、凄惨で悲惨な全体戦争を経験していた。

英国の戦没者追悼施設セノタフ(2012年11月、筆者撮影)
英国の戦没者追悼施設セノタフ(2012年11月、筆者撮影)

今年は第一次大戦の開戦から100周年。英国では第一次大戦後、ロンドンの官庁街ホワイトホールに高さ10メートルの戦没者追悼施設「セノタフ(空っぽのお墓という意味)」が建てられた。

毎年11月11日(第一次大戦の休戦記念日)に最も近い日曜日の午前11時、打鐘と空砲に合わせて2分間沈黙し、エリザベス女王から順に参列者がヒナゲシを模した花輪をセノタフに手向ける。

第一次大戦の戦死者は900万人以上、このうち英国は80万人以上にのぼった。戦死者は英国国教徒とは限らないため、特定の宗教に基づかない無宗教の施設だ。

セノタフは巨大な墓標のようにも見える。

側面と頂上に月桂樹の輪を配して、「栄光ある死者」という文字と第一次大戦を示す「1914 1918」のローマ数字が刻まれた。後に第二次大戦を戦った「1939 1945」が加えられた。

第一次大戦は英国では「時代遅れのエリート(ロバ)が勇敢な志願兵(ライオン)を率いた戦争」と揶揄される。

セノタフは戦勝を祝い、戦死者を称賛することを目的に一時的なモニュメントとして作られたが、遺族の悲しみは深く、追憶と追悼の恒久施設として同じデザインのまま改めて建造された。

日本は第二次大戦で民間人を含め約310万人もの戦没者を出した。ビルマ戦線一つを取ってみても死亡率は60%という異常さだ。中国で勝手に戦線を拡大、ほかにも無謀な作戦で被害を拡大した無責任な旧日本軍の愚将は少なくない。

赤紙1枚で国家のために戦い、命を落とした若者たちを追悼するのは国家の道徳的義務である。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指導で一宗教法人になった靖国神社には引き続き、第二次大戦の戦死者が合祀された。

日本国憲法の政教分離規定、靖国神社の国家護持案、東京裁判で処刑されたいわゆるA級戦犯の合祀問題(1978年)をめぐって、首相の靖国参拝は次第に政治・外交問題化していく。

高度経済成長を遂げた日本の国際化に伴って、中国、韓国などアジア諸国への配慮も必要になってきた。

しかし、靖国神社はA級戦犯の合祀以前から「隠れた外交問題」になっていた。2005年8月、共同通信が英外交公電から1975年5月のエリザベス女王訪日をめぐる「靖国秘話」をスクープした。

71年の昭和天皇、皇后両陛下の訪英に対する返礼として、エリザベス女王が国賓として訪日、その際、横浜市保土ヶ谷区にある英連邦戦死者墓地を訪れることになった。

日本の外務省は、自民党右派の反発を恐れてエリザベス女王の英連邦戦死者墓地訪問に難色を示した。同墓地には第二次大戦で捕虜となり、日本で亡くなった英連邦の兵士たちが眠る。

女王が同墓地を素通りするというのはあり得ない話だ。

日本の外務省は予定変更が無理とわかると、英連邦戦死者墓地とともに、無名戦没者が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑も訪れることを提案、いったんは日英双方がその案で合意した。

「千鳥ケ淵は無宗教で論争になる可能性は少なく、女王の英連邦戦死者墓地訪問に対する右派の批判をやわらげるだろうと日本側は感じているようだ」と英外交公電は記す。

当時の英外交官の1人は「日本側も英外務省も女王が靖国問題に関わることは望んでいなかった」と記録している。

しかし、実際にエリザベス女王の訪日が近づくにつれ、日本の外務省は豹変、「女王の千鳥ケ淵訪問は靖国神社への批判と受け止められる恐れがある」と心配し始める。

右派がデッチ上げたエリザベス女王の靖国参拝案

複数の英外交官は「靖国を支持する政治家が、英国から女王の靖国参拝の申し出があったというデタラメの情報をメディアに流して書かせている」と信じて疑わなかった。

最終的に日本側は女王の千鳥ケ淵訪問に反対したが、右派に配慮して「あらゆる選択肢は残っている」と発表したという。

エリザベス女王が訪日した際、数え切れないほどの人並みが沿道を埋めた。日本の外務省が当初、画策した通り、女王の千鳥ケ淵訪問が現実になっていたら、その後の靖国問題は大きく変わっていた可能性は否定できない。

結局、エリザベス女王は伊勢神社を訪問。政教分離に反するという声もあったが、抗議活動は起きなかった。

英国を代表する知日派の1人で、1980~84年に駐日英国大使を務めたサー・ヒュー・コータッツィ氏は筆者に「女王が千鳥ケ淵を訪れることに反対する人は英国側には1人もいなかったと確信する。靖国訪問を英国から提案することは絶対にあり得ない」と話す。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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