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シリア攻撃を前に英国で慎重論強まる

木村正人在英国際ジャーナリスト

キャメロン英政権の後退

英首相官邸前で米英仏による軍事介入に反対するシリア人留学生(木村正人撮影)
英首相官邸前で米英仏による軍事介入に反対するシリア人留学生(木村正人撮影)

28日午後5時からロンドンの英首相官邸前では、米英仏によるシリア攻撃にストップをかけようと抗議集会が開かれた。野党・労働党の下院議員らが次々と壇上に立ち、29日に予定される英議会での介入決議に反対票を投じようと呼びかけていた。

英ウェールズ地方カーディフからやって来たというシリアの女性留学生は「私たちはアサド政権側でも反政府勢力でもない。同じシリア人なのよ。米国やロシアが介入することでシリアの内戦はますます悪化する。大国はシリアから手をどけてほしい。私たちが祖国に帰れるようにしてほしい」と筆者に話した。

保守・自民・労働の与野党3党がシリアへの懲罰的攻撃で一致していた英国の政治状況は急変した。同日午後5時50分ごろ、労働党のミリバンド党首がキャメロン首相に電話をかけ、「国連調査団の報告を待った方がいい。29日の介入決議で労働党は反対に回る」と通告した。

「他の国はシリアから手をどけて」と訴えるシリア系移民(同)
「他の国はシリアから手をどけて」と訴えるシリア系移民(同)

キャメロン首相はびっくり仰天したに違いない。国連調査団の調査は30日に終了、報告書が出るまでにさらに1週間かかるかもしれない。労働党の支持を取り付けることができなければ29日のシリア介入決議は否決される恐れがある。

キャメロン首相率いる保守党内部から80人以上の造反が出る恐れがあるからだ。キャメロン首相は29日の決議は「シリアへの人道的対応」という総論的な内容にとどめ、国連調査団の報告を受けてシリア介入決議をやり直すという苦肉の策を提案した。

オバマ米大統領の腹積り

オバマ米大統領も表情を曇らせただろう。オバマ大統領はアサド政権に対して化学兵器の使用を「レッドライン(越えてはならない一線)」と警告してきた。米政府はロシア・サンクトペテルブルクでの主要20カ国・地域(G20)首脳会議(9月5~6日)に向けワシントンをたつ3日までに48~72時間の限定的なシリア攻撃を済ませる腹積りだったからだ。

フランス議会は9月4日にシリア介入を決議する予定だ。オバマ大統領が3日までにシリアに懲罰的攻撃を加えるという当初の日程にこだわれば、米国は単独でシリア攻撃に踏み切らざるを得ない事態に追い込まれる。

北大西洋条約機構(NATO)加盟国のドイツは、シリア介入を呼びかける英国の国連安全保障理事会決議案に賛成しているものの、安保理でロシア、中国が拒否権を行使した場合、米英仏による攻撃を支持するかどうかはわからない。

中東地域ではトルコ、イスラエル、サウジアラビアがシリア介入を支持しているものの、イラン、イラク、ヨルダン、レバノン、エジプトは反対している。

イラク戦争の影

英国の場合、急速に慎重論が広がったのは、イラク戦争への反省があるからだ。国連調査団の報告を待たずにイラクは大量破壊兵器を保有していると当時のパウエル米国務長官が国連で糾弾したが、後にまったくデタラメだったことが判明した。ブッシュ政権はイラクのフセイン政権を打倒した後の十分な青写真を描いていなかった。

今回のシリア介入は慎重にやらなければイラクの二の舞いになりかねないとの懸念が、与野党の政治家だけではなく、元英軍首脳にも強くある。ダナット元国防参謀長は「オバマ大統領にシリア内戦を終結させる戦略があるかどうか疑問」と話し、ウェスト元第1海軍卿も「極めて危険だ。次に何が起きるかわからない」と疑問を唱えた。

英大衆紙サンと世論調査会社YouGovは26~27日にアンケートを実施した。英原潜からミサイルでシリア国内の軍事施設を攻撃(賛成25%、反対50%)。英戦闘機やミサイルを使ってシリア上空に飛行禁止区域を設定(賛成34%、反対42%)。戦車や大砲など兵器をシリアの反政府勢力に供与(賛成13%、反対61%)、対空火器など防衛的な兵器を反政府勢力に供与(賛成23%、反対50%)と、慎重論が根強かった。

シリア介入に反対する市民集会(同)
シリア介入に反対する市民集会(同)

シリア介入への8つの疑問

オバマ大統領は化学兵器使用という非人道的な行為を見逃すことはできないと主張、懲罰的攻撃はアサド政権の転覆や軍事バランスを反政府勢力側に傾けるのが目的ではないと強調した。

欧州のシンクタンク、欧州外交評議会(ECFR)のアンソニー・ドーキン氏ら3人はこうしたオバマ大統領の戦略に対して8つの疑問を唱えている。

(1)介入のゴールは?

キャメロン首相は「これはシリア内戦ではなく、化学兵器の使用にかかわるものだ」と説明。レッドラインを越えたアサド政権に対して行動を起こさなければ、米国の政治的な意思に対する国際的な評価を損なうという懸念がオバマ大統領にはある。

しかし、化学兵器による犠牲者は全体(10万人以上)の1%に満たない。懲罰的介入でアサド政権に化学兵器の使用を思いとどまらせることができたとしても犠牲者の数を減らすことはできない。そればかりか、地域を分裂させ、不安定化させる危険性がある。

(2)化学兵器のジレンマ

デンプシー米統合参謀本部議長は化学兵器の使用を防ぐ方法として、「シリアの化学兵器を管理する」「抑止力を働かせる」の2つを提案している。

しかし、化学兵器を管理するためには、飛行禁止区域の設定、アサド政権の軍事施設へのミサイル攻撃、数千人に及ぶ特殊作戦部隊の派遣が必要だが、今のところ検討の俎上にも上っていない。

懲罰的攻撃が持つ抑止力については、アサド大統領が化学兵器の使用を止めるという保証は何一つない。このまま内戦が激化して国家が崩壊すれば、シリア国内の化学兵器が国際テロ組織アルカイダ系イスラム武装勢力の手に渡るという最悪シナリオも十分想定される。

(3)証拠の問題

米国は通信傍受、衛星写真などによりアサド政権の化学兵器使用の「動かぬ証拠」を押さえたと主張しているが、国連調査団の報告を待てないというのは結論を急いでいる印象を与える。

国連調査団の報告を安保理で議論した方がロシアや中国に対して説得力を持つ。ロシアや中国の監視が強まればアサド政権も化学兵器を使用するのが難しくなる。

(4)法的な問題

国際法上、自国への攻撃、国連安保理の決議がある場合に限り、他国への武力行使が正当化される。1925年のジュネーブ議定書により「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」は禁止されているものの、化学兵器を使用した国に安保理決議がなくても懲罰的な攻撃を加えてもいいというお墨付きを与えているわけではない。

冷戦終結後の1990年代、イラク難民に対する安全な避難地域の設定やコソボ介入は「人道的介入」を大義名分にして安保理決議抜きで軍事介入が行われたが、多くの国がこうした考えを否定している。

コソボ介入には欧州の総意があったが、今回、アラブ連盟はシリアの化学兵器使用を非難しているものの、軍事介入を支持しているわけではない。安保理決議を回避して軍事介入を行うケースが定着すれば、長期的にみて国際的な合法性、集団安全保障の枠組みを損なう恐れがある。

(5)欧米の軍事介入が引き起こす波紋

デンプシー議長は「一度、軍事行動を起こせば、次に起きることに備えるべきだ。さらなる深みに引きずり込まれることを避けるのは難しくなる」と指摘している。

シリア反政府勢力の長期的な狙いは欧米諸国を内戦に巻き込むことだ。反政府勢力はアサド政権の新たな残虐行為を言い募り、それに対抗する形でアサド政権を支持するアクターが関与を深めていく可能性もある。

懲罰的攻撃を一時的な手段にとどめるのは難しいばかりでなく、もし介入の狙いが化学兵器の使用を抑止することならば作戦は失敗に終わる可能性が高い。

(6)シリア内戦の方向性への影響

欧米諸国は、攻撃目標は限定されていると主張しているが、アサド政権の軍事施設が攻撃されるのは疑いようがない。米英仏による軍事介入は内戦の行方やアサド政権と反政府勢力の軍事バランスに大きな影響を与える。

アサド政権はまだすべての兵器を使用しているわけではなく、米英仏の攻撃がもたらす変化はシリア国民が置かれている状況を悪化させ、地域を不安定化させる。欧米諸国の安全保障にも新たな脅威をもたらす可能性が高い。

(7)地域への影響

米英仏による攻撃は地域に与える影響の考察を欠いている。シリアで宗派対立が激化し、過激化が進めば、前例のない混沌と無政府状態の地域を生み出す。レバノンとイラクを崖っぷちへと押しやり、反欧米のジハードに新たな勢いを与える脅威を増幅する。

(8)外交上の代替策

今回の攻撃が新たな外交努力のきっかけになるという推測もあるが、攻撃の前に努力するのが正しい外交のアプローチだ。すでに米国とロシアの間で予定されていたシリアをめぐる協議は延期され、ブラヒミ国連・アラブ連盟特使の存在は主流から外されている。

外交上の代替策として、(a)化学兵器使用の調査に関する国連調査団の権限を拡大(b)シリアの化学兵器使用を裏付ける調査結果を安保理に提示(c)ロシアや中国、イランがアサド大統領に化学兵器使用禁止を働きかける環境を醸成(d)シリア国内の化学兵器を管理する手段を確立するよう努める。

以上が、ECFRが指摘する「8つの疑問」である。

オバマ大統領はシリア攻撃を先行させG20首脳会議で外交を進める戦略より、懲罰的攻撃の前に、国連安保理、NATO、アラブ連盟の支持を1カ国でも多く取り付ける外交努力を先行させるべきではないのだろうか。(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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