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ブレードランナー審理、主任捜査官「炎上」 ピストリウス被告は保釈の可能性も(続報その4)

木村正人在英国際ジャーナリスト

両足義足で2012年のロンドン五輪に出場した南アフリカのオスカー・ピストリウス被告(26)が恋人を射殺したとして起訴された事件で、南アフリカのプレトリア治安裁判所は21日、3日目の保釈審理を開いた。同被告を逮捕した主任捜査官が7件の殺人未遂事件の被告になっていることが暴露されるなど、敏腕弁護士をそろえた同被告の弁護団の作戦が奏功し、22日の審理で同被告の保釈が認められる可能性が膨らんでいる。

2010年にマンデラ元南ア大統領のひ孫が死亡した交通事故で運転者の弁護を引き受け、無罪を勝ち取った弁護士も加わる弁護団は21日、前日の審理からボロを出し始めていたヒルトン・ボーサ主任捜査官を一気に炎上させた。

20日の審理で、ボーサ氏が「ピストリウス被告の自宅から約600メートル離れた隣人が14日未明、銃声3発がしたので外を見ると同被告宅に電気がついており、2~3度女性の叫び声がした後、さらに銃声3発が聞こえたと証言している」と隣人の供述調書を法廷に提出した。弁護団から「600メートル離れたところから、状況が見えたり聞こえたりするのか。現場の状況からピストリウス被告が発射したのは4発だ」と矛盾を突かれて、ボーサ氏は距離を「300メートル」に訂正せざるを得なかった。

こうしたボーサ氏のチグハグな受け答えに20日は傍聴席から失笑が漏れたが、21日は裁判官が「あなたの英語力は法廷に証拠を示すのに十分か」とボーサ氏を問い詰める一幕もあった。

2011年10月ごろ、同僚2人と犯人を追跡中、7人乗りのミニバスタクシーに向かって短銃を発射した事件で今年5月に被告席に立たされることがピストリウス被告の弁護団から暴露された。これでボーサ氏は完全に炎上状態に陥った。メディアのフォーカスもピストリウス被告からボーサ氏に移ってしまった。

7件の殺人未遂罪で、いったんは起訴が取下げられていたが、その後、改めて公訴提起されていた。

ボーサ氏は、酒は飲んでいなかったと話しているが、飲酒の疑いも残っている。

この一撃でノックアウトされたボーサ氏はピストリウス被告の事件から外された。

ボーサ氏は事件直後の14日午前4時15分ごろ、ピストリウス被告宅にいち早く到着し、同被告を逮捕した。ボーサ氏は刑事歴16年を含め、警察官として24年間、勤務する大ベテランだ。

「発砲した時、義足を着けておらず、不安に駆られていた」とピストリウス被告は証言していたが、トイレのドアには上から撃ち下ろした痕跡がくっきり残っていた。同被告は発射時、義足を着けていたことをボーサ氏が指摘するなど、保釈審理は初め検察・警察ペースで進んでいた。

(1)事件直前の14日午前2~3時に2人が言い争う声を近所の人が聞いていた(2)ピストリウス被告宅の間取りから考えると、恋人のリーバ・スティンカンプさん(30)がベッドから抜け出しているのに同被告が気付かなかったというのは信用できない(3)同被告が「殺す」と脅されていた事実は確認されていない(4)同被告は事件当時、室内は真っ暗だったと証言しているが、隣人の話では電気はついていた――ことなどから、「屋内強盗がトイレにいると思い込んで短銃を発射したら、スティンカンプさんだった」というピストリウス被告の弁明は大きく揺らいでいた。

しかし、ボーサ氏が勢いづいて、裏付けが十分取れていない証拠を法廷に出し始めたのを弁護団は見逃さなかった。

ロンドン五輪やロンドン・パラリンピックのドーピング検査に引っ掛かる恐れがある「ステロイド」がピストリウス被告宅から見つかったとして、法廷に提出された薬品が実はテストステロンで「ケガの回復を早めるため使用が認められている」(弁護団)と反論された。しかも、薬品の成分検査の結果はまだ出ておらず、「同被告の信用を不当に貶めようとした」と批判される有様だった。

ボーサ氏は現場保存のためのビニール袋を靴の上に着けないままピストリウス被告宅の室内を歩き回っていた。トイレの中に落ちていた銃弾を見落としていた――など、捜査官としてのイロハを疑わせるような事実が次々と同被告の弁護団によって浮き彫りにされた。

計画的殺人(スケジュール6ケース)なら保釈は認められにくくなるが、その下の殺人(スケジュール5ケース)なら保釈は認められやすい。21日、審理を終えた弁護団の表情を見ると、22日にピストリウス被告の保釈が認められる可能性はかなり膨らんでいるといえそうだ。

ピストリウス被告は14日に逮捕されてから、ブルックリン警察署の留置場で寝泊まりしているが、法廷に姿を現すのは15日、19日、20日に続き、21日で4日目。

南アの国民的英雄であるピストリウス被告が恋人を射殺するという衝撃的な事件は世界の関心を集めたため、法廷内の撮影は冒頭の一定時間に限って認められ、傍聴席の記者が法廷内の証言をソーシャルメディアのTwitterで刻々と報じている。同被告宅の間取りまで公開され、インターネットを通じてリアルに事件をフォローできる。

刑事裁判の公正さがどれだけ達成されているかを示す国際NPOワールド・ジャスティス・プロジェクトの法の支配インデックス調査報告2012~13年(1なら完全に達成、0なら全然ダメ)で、日本は0・68だったのに対して南アは0・49だった。

ボーサ氏の立証はお粗末の一言に尽きるが、逮捕の翌日には公開の法廷で審理が行われるという透明性のおかげで、ピストリウス被告の弁明の苦しさと同様に、ボーサ氏のデタラメさも白日の下にさらされた。法廷内撮影は一部制限されたが、傍聴席からのツィートで審理の「可視性」は確保された。

警察や検察庁の取調室という密室で行われた自白の信用性や任意性をめぐって、堂々めぐりの審理が数年、十数年と法廷で続けられる日本とは大違いのスピード感とオープンさ。日本では自白は証拠の王様で、裁判官も自白がないと有罪判決を出しにくいのが本音だろう。自白すれば情状酌量が認められ、刑期が短くなるというのは迷信に近い。

「金品を奪うつもりで殺害した」と自白すれば強盗殺人で悪くすれば死刑、「金品を奪うつもりはなかったが、現場の近くに落ちていた財布を持って行った」と物取りの犯意を否認したら殺人と窃盗に落ちて刑期が短くなるという矛盾が日本の刑事司法を覆っている。

容疑者は否認した方が圧倒的に有利になるのに、警察や検察は有罪を得るために自白を取らなければならないという二律背反(アンチノミー)。にもかかわらず、日本の刑事裁判は「精密司法」を表看板にしてきた。その看板に偽りがあることは戦後明らかになったいくつもの冤罪事件が証明している。

恐ろしいことに、日本の警察では優秀な取調官は「石の地蔵さんでもうたわせる(実際にやっていないのに自白させること)」といわれている。昔はその供述と現場の状況を付きあわせて、犯人かそうでないかを見極めていた。だから自白調書なんぞ、鼻から信用できないことは警察・司法関係者なら誰でも知っている常識だ。その自白が日本の刑事司法の柱になっているのだ。

DNA(遺伝子)鑑定が指紋に取って代わって立証の決め手になってきたが、髪の毛1本、吸殻1本、現場に持ち込めば、あなただって身に覚えのない事件の容疑者に仕立て上げられる恐怖が現実に存在している。

それに比べて、南アは米国流オープン・ジャスティスに近い。何でもかんでも丸出しにした方が個人の権利が守られるという考え方だ。今のところ、そのオープン・ジャスティスでピストリウス被告は不利な情勢を逆転してみせた。

南アのジェトロ(日本貿易振興機構)ヨハネスブルク事務所で勤務する女性大学院生シンディー・スナイダースさんに国際電話で事件の感想を聞いてみた。

スナイダースさんは「これだけ審理がオープンにされているので、透明性は確保されていると思う。南アは米英のような陪審員制度を採用しておらず、白人対黒人という米国流の対立構図が法廷に持ち込まれることはない」と説明してくれた。

また、「最初はピストリウス被告が間違ってスティンカンプさんを撃ったと思ったが、法廷で出てくる証拠を見ていると、同被告の言い分を信じるのは難しくなっている。裁判官の判決を待つしかないが、この事件をきっかけに女性に対する男性の暴力の撤廃を求める世論が南アでは高まっている」と話してくれた。

1999年以降、南アでは殺人事件は約5割減少したが、レイプの件数は横ばいのままだ。男性が女性を殺害する事件は世界平均の約5倍。今年2月初めには17歳の女性が昔、交際していた男性とその仲間に集団レイプされた後、腹部を切り裂かれ内臓が取り出されて殺害される事件が起きたばかり。

スティンカンプさんもこの事件をきっかけに女性への暴力撤廃を呼びかけていた。保釈審理の行方もさることながら、インドのレイプ事件と同様、女性がいとも簡単に男性に、しかも親しい男性に殺されている南アの現実から目をそらしてはならない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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