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堕ちたブレードランナー 血まみれのクリケット・バット(続報その2)

木村正人在英国際ジャーナリスト

両足義足で2012年のロンドン五輪に出場し、世界の注目を集めた南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(26)の「ダークサイド」が南アの地元メディアで次々と報じられている。

最も刺激的なニュースを連発しているのはヨハネスブルグで発行されているシティー・プレス紙。黒人読者向けの日曜紙で、南ア第3の発行部数を誇る。最新情報をピックアップすると。

・ピストリウス選手は寝室で1発発射、ドア越しに風呂場で3発発射していた。

・血まみれのクリケット・バットがピストリウス選手の自宅から発見された。一部でガールフレンドのリーバ・スティンカンプさん(30)の頭蓋骨が粉砕されていたとの報道もあるが、司法解剖待ちの状態だ。警察は(1)ピストリウス選手がスティンカンプさんに攻撃を加えるために使った(2)スティンカンプさんが防御のために使った(3)ピストリウス選手が風呂場のドアを壊すために使ったーー可能性があるとみて調べている。

・警察に通報がある数時間前に近所の人が激しく口論する声を聞いていた。

・外部から押し入った様子がない。

・ピストリウス選手がロンドン五輪に出場中、スティンカンプさんの前に付き合っていた彼女が同選手の友人の大富豪と関係を持ったことに激怒し、五輪終了後、南アのサーキット場で約50人が見守る中で「両足をへし折ってやる」と大富豪を脅した。

目撃した元サッカー選手がピストリウス選手の友人に電話をかけ、ピストリウス選手の行動を非難したところ、後日、ピストリウス選手から電話があった。「人を脅すことはできない」と忠告したところ罵倒された。さらに数日後、警察幹部から電話があり、衝撃を受けたという。

・浮気をした前の彼女は「オスカーはあなたたちが思っているような人ではない」と話している。

・2009年9月、ピストリウス選手の自宅で開かれたパーティーで同選手と口論になった女子学生は、同選手が叩き壊したドアの破片で足を負傷した。ピストリウス選手は警察で19時間拘束されたが、おとがめなしで釈放された。このあと同選手は女子学生を相手に220万ランド(約2300万円)、警察相を相手取り650万ランド(約6800万円)の損害賠償を起こした。

・ピストリウス選手が銃を携帯しているのを目撃した人がいる。

スティンカンプさんの葬儀が開かれる19日、ピストリウス選手は治安裁判所に出廷して、保釈を申請する予定だ。ピストリウス選手は「屋内強盗と間違ってスティンカンプさんを撃った。まだ息をしていたので人工呼吸をしたが、しばらくして息を引き取った」と主張。警察が計画的な殺人を立件しようとしているのに対し、錯誤による殺人の適用を求める方針だ。

法廷で計画的殺人での有罪を認めれば20年の服役、否認して有罪になれば無期刑となり、仮保釈が認められた場合、ピストリウス選手は25年後、51歳で出所することになる。

警察側の主張が正しいとするなら、事件の背景の一つとして指摘できるのはピストリウス選手と母親の関係かもしれない。

ピストリウス選手は腕に母親の誕生日と亡くなった日の刺青を入れている。ピストリウス選手は生まれながらに、くるぶしとひざをつなぐ腓骨がなかった。両親は赤ん坊の両足を切断して義足で人生を歩ませるか、車イスの上で生活を送らせるかを選択しなければならなかった。生後11カ月の時、両親が選んだのは義足だったが、激しい葛藤を伴う決断を強いられただろう。

ピストリウス選手はラグビー、水球、テニスを楽しむたくましい少年に成長したが、15歳の時、自分に生き方を示してくれた最愛の母を亡くした。その思いがピストリウス選手の両腕には刻み込まれている。

ピストリウス選手の女性関係は派手だったが、昨年、高校時代から付き合ってきたガールフレンドと別れたのが大きな転機になったと指摘する声が少なからず聞こえてくる。

母親との別離を強いられた人は、恋人が自分の元を去っていくのではないだろうかという思いに取り憑かれ、恋人や妻の不倫を邪推して事件に発展することもあるという。

スティンカンプさんはピストリウス選手の友人であるラグビーのスター選手との関係がうわさされていた。ピストリウス選手は前の彼女の不倫に激高したように、スティンカンプさんとラグビー選手の関係を疑って感情をエスカレートさせてしまったのだろうか。

スティンカンプさんが生前、撮影していたリアリティー番組が遺族の同意のもと16日、南アで放映された。これから繰り広げられる法廷ドラマはリアリティー番組のリアリティーを通り越して「シュールレアリズム」の様相を示すのは間違いない。

名声が高まるにつれ、ピストリウス選手は自分の感情を抑制できなくなっていた。

ピストリウス選手からインタビューしたことがあるジャーナリストは「昔は謙虚で非の打ち所がないスポーツ青年だったが、ロンドン五輪の前から気に入らない質問があればインタビューの途中で席を立つようになった」と証言している。

中には取材中に冗談で銃口を向けられたカメラマンもいる。

南アにとってピストリウス選手は、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃の先頭に立ったネルソン・マンデラ元大統領と並ぶ国家的英雄だ。マンデラ元大統領が人種の壁を破った偉人なら、ピストリウス選手はディアスアビリティーの壁を超克したヒーローだからだ。

筆者は昨年夏、ロンドン五輪と同じようにロンドン・パラリンピックに夢中になった。「オリンピックとは参加することに意義がある」といわれるが、パラリンピックは自らの限界に挑戦する人間の美しさを実感させてくれた。

金メダル11個を獲得した車イスの英国人女性パラリンピアン、タニー・グレイ=トムプソンさんは英紙デーリー・テレグラフに「1988年ソウル大会では地元住民が応援に来てくれた。1992年のバルセロナ大会ではオリンピックに行けなかった人が安い入場券を買って来てくれた。期待した1996年のアトランタ大会は米国の理解が得られず、観客席には家族と友人しか見当たらず全員の名前が言えるほどだった。シドニー大会もアテネ大会もひどかった。しかし、ロンドン・パラリンピックには大きな飛躍があった」とロンドン・パラリンピックの成功をたたえた。

しかし、昨年夏のロンドン・パラリンピック陸上男子200メートルT44クラス決勝で、ブラジル代表のアラン・オリベイラ選手に敗れたピストリウス選手は、オリベイラ選手の義足について、「長い。彼は素晴らしい選手だと思うが、100メートルを過ぎてから8メートルもの差を追いつくなんてありえない」と不満を爆発させた。

ピストリウス選手が公の場で見せた怒りに多くの人が戸惑った。

ロンドン・パラリンピックは商業的に大成功をおさめた。英国では初めて、英BBC放送以外のテレビ局チャンネル4がパラリンピックの放映権を9億ポンド(約1300億円)で獲得。開会式の視聴者は英国だけで1100万人以上にのぼり、280万人だった北京大会の4倍近くに達した。チャンネル4開設以来、最高の視聴率を記録し、放送中、広告を入れたチャンネル4には苦情が相次いだ。

チャンネル4は「パラリンピックの放映では稼がない」と改めて明言しなければならないほど、注目を集めた。

ロンドン・パラリンピックのパートナーやサポーター企業には韓国メーカーのサムソンや、米ファストフードチェーンのマクドナルド、米清涼飲料水メーカーのコカ・コーラなど世界のトップ企業26社が名を連ねた。パラリンピックを支援することは今や企業イメージのアップにつながるだけではなく、顧客拡大など現実的なビジネスチャンスなのだ。

ショービジネス化が進んだ1984年のロサンゼルス・オリンピックは、オリンピックが商業化した分岐点といわれる。ロンドン・パラリンピックは、パラリンピックがオリンピックと同じようにビジネスチャンスになった初めての大会として歴史に刻まれた。

今、南アだけでなく世界中で、部屋にピストリウス選手のポスターをはっている子どもたちに事件をどう説明するのか、大人たちは頭を痛めている。富と名声を手に入れ、シュールレアリズムの世界に突入したピストリウス選手は自分を見失ってしまったのか。今回の事件はパラリンピックの商業化とも決して無縁ではない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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