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「ラグビー日本代表は遠い存在だった」29歳で韓国代表入りした“李承信の先輩”金勇輝が描くW杯出場

金明昱スポーツライター
韓国代表としてラグビーW杯出場を目指す金勇輝(写真・筆者撮影)

「僕が韓国代表で出て、日本代表の(李)承信と試合できたら、これ以上ない幸せなことやと思います」

 ラグビー日本代表の10番で若き司令塔として期待を一身に背負う22歳の李承信(リ・スンシン、コベルコ神戸スティーラーズ)の活躍を30歳の金勇輝(キム・ヨンヒ、レッドハリケーンズ大阪)は特別な思いで見ていた。

「後輩ですけれど頼もしい存在ですし、めちゃくちゃ誇らしいです。W杯はいちファンとして応援したい」

 2人は日本生まれの在日コリアンで、大阪朝鮮高級学校ラグビー部出身。昨年までは同じリーグワンで戦ったライバルでもある。そんな2人は高校日本代表も経験し、将来を期待された。

 しかし、金勇輝は日本代表に選ばれることなく時が過ぎ、一方の李承信は日本ラグビー界を代表する選手へ急成長している。“ジャパン入り”は諦めた金勇輝は昨年、29歳で韓国代表入りを決断した――。これは“もう1人の李承信”とも言える在日ラガーマン・金勇輝の決断と挑戦の話だ。

眺めるだけの2019年ラグビーW杯

「ラグビー日本代表は目指しつつも遠い存在でした」

 そう言って少し苦笑いを浮かべた金勇輝は、桜のジャージーに袖を通し躍動する2019年ラグビーW杯でベスト8入りしたジャパンの姿を遠くから眺めるだけでしかなかった。

「U-20日本代表で一緒にやってきた選手がどんどん日本代表に選ばれていました。何よりもセンター(CTB)は明確にサイズの違いが出ていて、リーグワンで活躍もしないといけない。日本代表を諦めていたわけではないですけれど、道のりは険しかった」

 19年当時のこんなエピソードも教えてくれた。

「チームからニュージーランドの留学に行かせてもらった時に、W杯直前に日本代表がニュージーランド遠征に来てたんです。合宿に飛び入り参加させてもらう機会があったんです。やれる感覚ではあったのですが、こえられない大きな壁はありました」

 憧れのW杯の舞台に立つためにもとにかく代表入りしたい――30歳を前に現役生活もそんなに長くないだろうと思い始めていた頃、代表入りがまた“別の道”で実現するとは、この時は誰も想像できなかった。

大阪朝鮮で花園2年連続の4強、高校日本代表にも選出

 大阪朝鮮高ラグビー部でキャプテンを務めた父と4歳上の兄の影響もあり、家庭では自然とラグビーに触れる環境で育った。

「アボジ(父)と当時小学1年の兄についていく形で、花園ラグビー場の近くにあるラグビースクールに行ってました。物心がついた頃にはラグビーのジャージーを着て、ラグビーボールを触って走っていた記憶があります」

 まさにラグビー一家。特に父のラグビーへの情熱は熱く、高校時代はまだ全国高校ラグビー大会に出られなかった時代(全国高校体育連盟は朝鮮学校に1994年に全国大会への門戸を開き、大阪朝鮮高ラグビー部は2003年度に花園に初出場)だけに「ちっちゃい頃から、お前に夢を託すと。花園に出て欲しいと言われていました。僕も大阪朝鮮高が花園大阪予選の決勝戦で戦った時に応援に行ってたので、その思いは強かったです」。

高校日本代表、U-20日本代表として国際大会も経験した
高校日本代表、U-20日本代表として国際大会も経験した

 高校時代は2、3年時に花園で2年連続でベスト4入りを果たし、全国高校選抜大会では準優勝を果たした。この流れで高校日本代表にも選ばれた。国際大会で得た手応えも大きかった。

「スコットランドやウェールズの高校生と試合した時に、体格はでかいし速い。正直、身体能力の差は感じましたが、ラグビースキルで負ける気はしませんでした。しっかりタックルを決めれば自分より大きな選手も倒せるもの。2対1で引き付けてパスすればトライも取れる。幼い頃から学んできたことと変わらなかった。それが知れたのは大きかったです」

法政大ラグビー部でU-20日本代表としてもプレー

 3月29日生まれのため、日本では同じ学年だとほぼ1年も成長度合いが違う選手もいる。「小・中学時代は本当に一番身長が低くて、運動能力も低かった。でも根性だけは負けてなかったっていう自負がありました」

 高校卒業後は法政大へ。ラグビー部では1年からレギュラーを勝ち取ると、U-20日本代表にも選出された。レッドハリケーンズ大阪への入団も勝ち取ったが、1年目は試練が待ち受けていた。

「リーグワンはもうコンタクトレベルが違いますし、そもそもプロになるという自信はそこまでなかった。だからもうがむしゃらでしたし、毎日、ベストを尽くすことで少しずつ道が開けてきたんです。それが今まで続いている感じです」

 入団2年目までは一度も出場機会を得られず「敗北感を味わった」と語るほど、周囲のレベルの高さに圧倒された。それでも「ハングリー精神や反骨心、レジリエンスといういわゆる立ち直る力は他よりも強かったかもしれません」と振り返る。そして3年目にしてチームの主力となれたのは、これまでと同じように真っすぐにラグビーに取り組んできたからだ。

「何があっても腐らずいようと。そんな選手をたくさん見てきたので、自分はそうならないぞという強い気持ちがありました。こんなことを自分で言うのはカッコよくないのですが、より時間を使って、人よりラグビーのこと考えて、人より分析して、練習以外ではビデオ見て、自主練習もします。練習前後で個人練習をして、ウエイトトレーニングもやる。そもそも近道なんてなくてコツコツとやるべきことを地道に積み上げた量の差だと思います」

所属のレッドハリケーンズ大阪ではセンターとしてプレーする
所属のレッドハリケーンズ大阪ではセンターとしてプレーする

縁のなかった“ジャパン”入り

 こうした彼のブレない芯の強さがより強固なものになったのは、環境の変化にある。

「学生時代から各年代別の日本代表で国際大会を経験することで意識の高い選手と接する機会があったり、日本のトップレベルの指導を受けたりと多角的に自分を成長させる機会があったのはすごく大きかった。一つの環境にとどまらなかったことは自分が成長する機会になりました」

 そして自分自身の出自についても、改めて深く考えるようになったのもこの頃だ。

「ラグビーを通じて外出て、海外でいろんな選手と触れ合って、多文化、多様性をすごく考える機会になりました。日本では在日コリアン社会や朝鮮学校の文化って、すごく閉ざされてて、マイノリティーというイメージがあったんです。でも一歩世界に出たら、そんな民族はたくさんある。肌の色も違って言語も違うけど、ラグビーボール一つで敵にもなって、試合が終わったら仲間になれる。頭では分かってたんですけど、実際肌感覚でそういうのを感じたというのはすごい大きな経験でした」

 ラグビーを通して自分自身を俯瞰的に見られるようになればなるほど、自身の悩みの小ささに気づく。だが、縁がなかったのが、フル代表入りの話だった。高校日本代表やU-20代表で共に戦った仲間が、次々とフル代表入りしていく。時は過ぎ、その夢は徐々に「見てはいけないもの」へと心境は変化していた。

引退もよぎる中で訪れた韓国代表入りの打診

 29歳を迎え「何のためにラグビーをするのか」と自問自答する日々が続き、“引退”も頭によぎったのも一度や二度ではない。そんな時に舞い込んだのが、韓国代表入りの話だった。

 韓国ラグビー界は大変革の時期を迎えていた。2021年に在日3世の崔潤(チェ・ユン)氏が大韓ラグビー協会会長に就任し、理事として元大阪朝鮮高ラグビー部監督の呉英吉(オ・ヨンギル)氏が韓国代表コーチとして指導していた。ちなみに呉英吉氏は、金勇輝の高校時代の恩師で、花園ベスト4を経験。そんな縁もあって、韓国代表入りの声がかかったというわけだ。

「やりがいがあると思いました。そう簡単に誰でもなれるわけではないですし、これがまた自分の人生経験、ラグビー人生だけじゃなくて、のちの人生にもいろいろつながるチャンスかなと思って、ぜひチャレンジさせてくださいっていう返事をしました」

 21年7月に結婚したばかりで、家族を支える大黒柱となったからには、簡単な決断ではなかった。というのも、社員を辞めての挑戦は“無給”となり生活がままならないからだ。

「これに会社(NTTドコモ)も理解を示してくれて、『日本代表と同等』の扱いで韓国代表へ派遣すると全面的にバックアップしてくれたんです。『W杯目指して頑張ってください』というメッセージをいただけたのは本当に感謝しています」

ラグビー韓国代表。後列左から3番目が金勇輝選手(写真・大韓ラグビー協会)
ラグビー韓国代表。後列左から3番目が金勇輝選手(写真・大韓ラグビー協会)

「日本に追いつくポテンシャルもある」

 22年5月の代表選考合宿に初参加。約30人が参加し、23人のメンバーに残った。簡単に見えてそんなたやすくはない。

「過去に日本の他のチームでプレーしてる選手もたくさんいて、韓国代表自体のレベルは全然低くないです。僕自身もメンバー入りが確約されてたわけじゃなかったので、死に物狂いで選考受けて、ふるいにかけられながら戦っていました。自分もチームや家族の期待、リーグワン選手という看板を背負っていましたから負けられない。『在日の選手がどんなもんやねん』て見られ方もあるだろうなって思っていましたから」

 過去に在日コリアンラガーマンの中から、韓国代表としてプレーした選手は多いが、今年は金勇輝の1人だけ。ただ、他の韓国代表の選手たちにとっては、貴重な戦力であり、その実力を認めていた。

「チームのアワード年間表彰で『チームマン・オブ・ザ・イヤー』に選ばれたんです。それを公式SNSで韓国の選手たちが見てくれていたみたいで、代表を強くしてくれとすごくウェルカムな雰囲気は感じました(笑)」

 近年、急成長を遂げる日本のラグビーを知る選手がいるのは心強く、その経験値はチームに大きく還元される。韓国代表選手たちにとって、彼の存在は頼もしいはずだ。

 2022年7月、ラグビーW杯2023フランス大会の予選を兼ねたアジアラグビーチャンピオンシップの決勝の香港代表戦で、初キャップを獲得した。試合は21-23の逆転で敗れたが、世界ランキング24位の香港に、30位の韓国が大健闘。まだまだやれることを再確認した。

「伸びしろはすごくありますし、環境が整備されればものすごく強くなる。それは間違いない。幼少期からの技術向上のプログラムができたり、コーチの資格ができたりと、日本が当たり前にやってることができれば、もちろん日本に追いつく可能性はあります」

W杯出場を目指し「もっと韓国ラグビーに貢献したい」と語る(写真・レッドハリケーンズ大阪)
W杯出場を目指し「もっと韓国ラグビーに貢献したい」と語る(写真・レッドハリケーンズ大阪)

後輩の日本代表・李承信の活躍に「負けられない」

 そんな彼の闘争心をかきたてるのは、ほかでもない後輩の李承信の活躍だ。

「承信には頑張ってほしいし、本当に高いところまで上り詰めたなという思いもあります。でも『やっぱりあいつはすごい。もう俺ら追い付けんとこ行った』っていう感覚でもない。そこはリーグワンの選手としてのプライドがありますし、もしかしたら国を背負ってライバルになる可能性もある。一方で母校の大阪朝高ラグビー部のつながりが強いので、弟のような感覚もあります。負けられないしまだ頑張りたい」

 李承信のように日本代表になれなかったが、次は韓国代表としてW杯出場を夢見る。30歳はまだまだやれる年齢でもあるが、分厚い壁であることは百も承知だ。

「もう本当に一年一年が勝負です。4年後を見据えて2027年のオーストラリアW杯出場も、もちろん目指しています。そこにたどり着けるように最大限に努力して、もっと韓国ラグビーに貢献したい。そしてレッドハリケーンズ大阪でも結果出さないといけない」

 シーズンが近づけば、死ぬほどきつい練習が待っていることに「もう今年で終わりやって思えたらどんだけ楽なんかなって思う弱さもあったり」と笑う。

「でも、毎年それの繰り返しなんです。厳しい代表選考を勝ち抜かないといけないですし、その先にはアジア予選もあります。高い目標に向けて、目の前の階段を一つずつ上っていくしかありません」

 志は高く。1パーセントでも可能性がある限り、金勇輝の挑戦は続く。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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