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日本に敗れた「卓球韓国女子の監督」は平野美宇、早田ひなを育てたジュニア時代の“熱血恩師”だった!?

金明昱スポーツライター
左端が卓球女子韓国代表の呉光憲監督。2016年まで女子ジュニア日本代表監督だった(提供:ITTF/アフロ)

 杭州アジア大会・卓球競技の女子団体準決勝で、日本と韓国の対戦を中継で見ていると韓国側のベンチに見覚えのある人物がいた。女子韓国代表の呉光憲(オ・グァンホン)監督。

 試合は早田ひな、平野美宇ら日本がマッチカウント3-1で韓国を下し、決勝進出を果たした。平野は試合後に呉監督と握手を交わしていたが、互いにどんな思いでその試合に挑んでいただろうかと想像する。

 というのも、呉監督は日本の卓球とゆかりある人物。かつて伊藤美誠、平野、早田らをジュニア時代に指導し、世界レベルに引き上げたことはあまり知られていない。呉監督は2009年から卓球女子日本代表コーチに抜てきされ、13年から16年までの4年間は、同女子ジュニア日本代表監督も兼任した。

 それ以前は、1995年の初来日から淑徳大学女子卓球部のコーチとして活動。同部を2000年に1部に昇格させてインカレ初制覇。その後04年までインカレ5連覇へと導いている。その実績が買われ、日本のナショナルチームコーチへ抜てきされたわけだが、2015年の世界ジュニア選手権女子団体で日本が優勝し、この時のメンバーに伊藤、平野、早田らがいた。

 同年には日本卓球の強化に大きく貢献したことが高く評価され、韓国人として初めて「2015年度ミズノスポーツメントール賞」も受賞しており、現在の日本卓球の成長に大きく貢献した人物でもある。

 このまま日本女子卓球界で指導者を続けるかと思われたが、17年から母国・韓国の実業団「ボラム ハレルヤ」で監督に就任。その後、22年から女子韓国代表の監督に就任して現在に至る。17年当時、韓国で呉監督を取材したことがあるが、「日本を離れるのは後ろ髪を引かれる思い」だったという。

韓国女子の立て直しを託された呉監督

「いずれは日本の女子代表監督という道も想定していましたが、韓国の実業団からの熱烈なオファーを断れませんでした。もちろん韓国の卓球をもっと強くしたいという思いもありましたから」

 これだけ日本のジュニアを強くした指導実績からして、オファーがかかるのも無理もない。というのも当時から熱血の指導者としてかなり有名だった代表の練習があれば、毎日誰よりも早く来て、室内をきれいに整理して選手の練習環境を作り、合宿の最終日には、必ず選手たちと自腹を切ってまで、一緒に焼肉を食べにいくなど、コミュニケーションを図ることも怠らなかったという。

今回の日韓戦で平野美宇の成長を呉光憲監督もしっかり見届けていた
今回の日韓戦で平野美宇の成長を呉光憲監督もしっかり見届けていた写真:森田直樹/アフロスポーツ

 さらに「守備的なプレーでは中国に勝てない」と口を酸っぱくして伝え、「そのためには体力が必要なので、ジュニア選手ながらも厳しいトレーニングを課しました。結果が出始めると選手たちも『筋肉痛だ』と言いながらも、自発的にトレーニングをするようになった」という話もしていた。才能と才能が合わさり今の日本卓球女子の強さがあるのだと、当時、妙に納得したのを思い出す。

 そうして韓国のライバルとなる日本選手たちの技術力をさらに高めたのだから、韓国でもその手腕を発揮してほしいと思われるのも無理もない。

 呉氏は選手としての実績がなく、そんな人物を韓国ナショナルチームが監督に抜てきするのも珍しいことでもあったが、低迷を続ける韓国女子の立て直しを託されたというわけだ。

 そんな韓国は、今年の世界選手権女子ダブルス銀メダルで、日本のTリーグでプレーする19歳シン・ユビン(九州アスティーダ)の台頭や中国出身の帰化選手でもあるチョン・ジヒらベテランの力で、アジア大会では日本ともなんとか戦えるところまで力をつけた印象を受けた。ジワリと力をつけてきているのは、呉監督の指導が徐々に実りつつあるということだろう。

かつての呉監督が見た伊藤と平野の才能

 一方で、呉監督としてはかつての教え子たちが、しっかりと力をつけていることをきっと微笑ましくも、「いつか日本と対等に戦える韓国選手を育てる」と意気込んでいることだろう。

 当時、呉監督は伊藤と平野の才能についてこんなことを話していた。「美誠は潜在力が高く、頭のなかでシステムを構成する力、相手がどのようなシステムで出てくるのかを読む力のある選手です。加えてネットプレーとレシーブで主導権を握るのが優れています。一方、美宇は接戦になっても耐えられる体力に優れていて持久力があるのが特徴。美誠は天才肌タイプ、美宇は努力家タイプと言えます」。

 伊藤は杭州アジア大会の代表権を逃して参加していないが、呉監督はかつての日本の教え子たちと次はパリ五輪で対戦することを楽しみにしているに違いない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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