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「デビュー戦は少し震えていた」なぜヤン・ハンビンはあえて“レジェンドGK”がいるC大阪を選んだのか?

金明昱スポーツライター
今季からセレッソ大阪でプレーする韓国人GKヤン・ハンビン(写真・筆者撮影)

 今季、KリーグのFCソウルからセレッソ大阪に完全移籍した韓国人GKヤン・ハンビン。韓国では名門クラブの守護神でもあったが、31歳にして日本行きを決めた。それもセレッソ大阪の“レジェンドGK”キム・ジンヒョンがいることを知りながらの決断。なぜセレッソ大阪行きを選んだのか――。ヤン・ハンビンの素顔に迫った。

「子どもの頃からJリーグでプレーしてみかった」

 隣に立つとやはり“デカい”。195センチの長身はかなり威圧感があった。

「中学を卒業するときはすでに188センチはあったんです。確か3年間で25センチくらい伸びたと思います(笑)」

 こっちがその話に驚くと、ニヤッと笑うセレッソ大阪GKヤン・ハンビン。第一印象はそこまで口数が多くないのかなと思ったが、ユーモアと冗談を織り交ぜるのがとても好きなようだった。

「小学生の時に初めてGKをやってみたのですが、とても面白かったんです。最初は意外とシュートもよく止めることができた記憶があります。たぶん点を決められてばかりだと、つまらないと思っていたかもしれません。たぶん子どもの頃からうまかったんですかね(笑)。それにフィールドプレーヤーはとにかくハードじゃないですか(笑)。ポジションもうまく選択したと思います」

 久しぶりの韓国語での会話なのか話が弾む。彼に聞きたかったのはなぜ31歳にしてJリーグ行きを決断したのかだ。

「FCソウルに9年ほど在籍したのですが、少し新しい変化が欲しかったですし、新たな挑戦もしてみたかった。子どもの頃からいつかJリーグでプレーしてみたいという思いがありました」

 日本でプレーしたいと思いを馳せていたのは、かつてJリーグで活躍してきた韓国人選手たちの影響が大きかったからだ。

「Jリーグにいる韓国人選手の活躍をニュースで見ながら、とても華やかに見えました。あとはプロデビューした江原FCにJリーグから来た大橋正博(2009、11年に江原FC在籍、現在は栃木SCコーチ)という選手がいたんです。当時、Jリーグの環境やチーム事情など色々な話を聞いていたので、その影響も大きかったです」

キム・ジンヒョンが負傷で離脱し、Jリーグデビューは思わぬ形で訪れた(写真・セレッソ大阪提供)
キム・ジンヒョンが負傷で離脱し、Jリーグデビューは思わぬ形で訪れた(写真・セレッソ大阪提供)

クラブハウス到着直後に放った最初の一言

 日本でのプレーを思い描きながらもチャンスが巡ってきたのは、コロナ禍の頃。セレッソ大阪はヤン・ハンビンにオファーを出していたものの、チームにはキム・ジンヒョンという不動の守護神がいた。日本に行ったところで、ポジションが確約されたわけではない。FCソウルにいれば試合に出続けられたわけだが、迷いはなかったのだろうか。

「セレッソ大阪からオファーが届いていたのですが、自分に声をかけてくれるのには理由があると感じていました。もちろん(キム)ジンヒョンさんという偉大なGKがいましたが、とにかく新人選手の気持ちで挑戦しようと思っていました。仮に今年試合に出られなくても、自分にも長所があるし、いつかチャンスが巡ってくる。たくさん学ぼうという気持ちでした」

 “安泰”よりも“挑戦”を選んだヤン・ハンビン。ここで一つ面白いエピソードがある。セレッソ大阪入団後の様子を広報担当が教えてくれた。

「ハンビンはクラブに来てから、最初に言ったのが『ジンヒョンさんはどこにいますか?』でした。真っ先にあいさつに行ってましたよ(笑)」

 そこは後輩として当然の礼儀でもあるが、韓国人同士ならごく自然な行動だ。たくさんの事を学ぶ先輩であり、チームメイトでもあるわけだが、ポジションを争うライバルにもなる。だからこそ、最初のあいさつはとても大切なことだった。

 Jリーグでデビューして、ずっと日本にいるキム・ジンヒョンとは初対面で会話も初めて。その印象について聞くと「韓国代表としてもプレーしていましたし、僕がここに来る前からセレッソ大阪の試合でどんなプレーをするのかはずっと見ていました。ただ、Jリーグにずっといるのでどんな先輩なのかは分かりませんでした(笑)。でも、実際にはたくさんアドバイスをくれて、すごく助けてくれる頼もしい存在です」と語る。

浦和レッズ戦でPKを止めたヤン・ハンビン(写真・セレッソ大阪提供)
浦和レッズ戦でPKを止めたヤン・ハンビン(写真・セレッソ大阪提供)

忘れられない初先発と初ヒーローインタビュー

 当然、今季は開幕からスタメンとはいかなかったが、思わぬ形でリーグ戦デビューが訪れる。

 その前に5月24日に開催されたYBCルヴァンカップのFC東京戦に先発出場して、“日本デビュー”を飾ったが、「この時はほとんど緊張しなかった」という強心臓ぶり。しかしリーグ戦となると様子が違った。

 6月3日のJ1リーグ第16節、名古屋グランパス戦で負傷したキム・ジンヒョンに変わり、後半から交代で入ったのがヤン・ハンビンだった。

「この時はまさかの出来事で、交代で入ったときは少し震える感じがあり、足も硬くなっていた感じはありました」

 突如、訪れたリーグ戦の出場。試合の流れをつかむことに加え、自分のアピールのためにもミスは許されない。

「試合に出てからは、最初のシュートがFWユンカー選手だったのですが、それを止めてからは緊張が一気にほぐれました」。試合は1-3で敗れたものの、ヤン・ハンビンが出場した後半は無失点で抑えることに成功した。それから迎えた6月10日の首位のヴィッセル神戸戦。先発にヤン・ハンビンの名前があった。

「この試合が一番忘れられません。初めてのスタメン入りで、90分戦い、首位の神戸に2-1で勝利できた。自分もようやくJ1でもできるという自信がついた試合でした」

 負傷のキム・ジンヒョンにとっては不運でしかないが、その間、チームへの貢献度は高く、武藤嘉紀や佐々木大樹のシュートを止めるセービングや空中戦の安定感はKリーグの名門FCソウルで主力をはるだけのことはある。

 そして、再び見せ場が訪れたのは7月16日の浦和レッズ戦。76分に献上したPKを見事にストップ。「アレクサンダー・ショルツの蹴るコースは分析していた」と2-0の勝利に貢献。そのあとは、多くのサポーターが見守る中でヒーローインタビューも受けた。

浦和戦でPKを止めて勝利に貢献し、初めてヒーローインタビューを受けた(写真・セレッソ大阪提供)
浦和戦でPKを止めて勝利に貢献し、初めてヒーローインタビューを受けた(写真・セレッソ大阪提供)

「韓国では中継局でインタビューするくらいで、ファンの前では一度もやったことがないんです。みんながやっているのを見て、自分もいつかやってみたいと思っていたんですが、実際に初めて経験することができたこともそうですが、こうしてファンの方と受け答えができたことが本当にうれしくて、楽しい時間でした」

 まだ日本に来て半年だが、KリーグとJリーグを比べてみるとその違いを感じることも多いという。

「例えばKリーグはゴール前から積極的に仕掛けてシュートが来るシーンが多いので、たくさん止めたり、決められたりするシーンが多い。Jリーグの場合、シュートはそこまで来ないですが、一度の攻撃を完璧な形を作ってくるので失点を防ぐのが難しい。GKの立場からするとどちらも一長一短で、それこそ日本と韓国のサッカースタイルの違いを感じますね」

「ジンヒョンさんとはポジションを争うライバル」

 今やチームに欠かせないGKとして、監督やチームメイトからの信頼も大きくなりつつあるが、巡ってきたチャンスをものにするためには「やはり常に準備することが大切」と強調する。「Kリーグの時もプロになりたての頃は中々試合に出られない経験をしているので、Jリーグに来たときも同じで、常に練習から真剣に取り組み、いつ呼ばれても大丈夫なように準備をすること。そうすれば急にピッチに立つことがあってもいいパフォーマンスはできると思います」

 Jではまだ“新人”と表現するなら、ヤン・ハンビンは“大物新人”とでも言おうか。セレッソ大阪では不動のGKだったキム・ジンヒョンとようやくポジションを争う選手が出てきたことは、チーム強化の観点からすれば、大歓迎だろう。もちろん、キム・ジンヒョンがケガから復帰すれば、またポジションを争うことになる。

「その時々で選択は監督がすることですから、ジンヒョンさんが復帰しても、そこからはポジションを争うライバルです。自分がやれること、ベストを尽くして取り組めば、今の位置を守ることも可能だと思っています。今まで一度もタイトルを獲ったことがないので、J1リーグ優勝のタイトルを獲ってみたいです」

 中途半端な覚悟で日本に来わけではない――。そんな気持ちが伝わる眼差しに新たなセレッソ大阪の守護神となる覚悟と頼もしさを見た。

 インタビューが終わり、あいさつを告げた。通訳担当に何か韓国語で話している。会話の内容が分かると笑ってしまった。

「家の洗濯機が壊れたので、修理のお願いをしていいですか?(笑)。妻から言われています…」。

日本での私生活が垣間見られるホッとする瞬間に、彼が日本で成功する姿が透けて見えた気がした。

Kリーグではタイトルとは無縁のヤン・ハンビン。J1優勝が目標だ(写真・セレッソ大阪提供)
Kリーグではタイトルとは無縁のヤン・ハンビン。J1優勝が目標だ(写真・セレッソ大阪提供)

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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